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14.鐘楼は誰の罪を数えたか

南の荒野に、陽が傾き始めていた。  


共同体『ノア』を遠望する丘の上で、ゼフィルスは馬を止めた。

眼下には、掘立小屋が寄り集まる貧しい集落と、その周囲を無愛想に固める、真新しい「いしゆみ」の防壁が見えた。


「……あれが、『聖女』の集落か」  


ゼフィルスの声は、乾ききっていた。


「……ずいぶんと、物騒な『お祈り』の場所だな」  


隣に並んだシルヴィアが、皮肉を込めて呟く。

彼女の視線は、集落の防壁に立つ、明らかに正規軍ではない、殺気立った傭兵たちに注がれていた。


(……バルトロメオの『金獅子』ギルドの連中か。あの強欲な商人が、なぜこんな場所に……)


「――何者だ!」  


集落から、太鼓腹の傭兵隊長が、巨大な戦斧を担いで進み出てきた。


「ここは聖女エルミナ様の御領地だ! 王都の騎士様が、何の御用だ!」

 

ゼフィルスは、シルヴィアの冷たい視線を背中に感じながら、馬をゆっくりと進めた。


「……恐れることはない。我らは、星の御子ゼフィルスの名において、この地を脅かす魔王軍の残党を『浄化』し、聖女様を『お守り』するために参った」  


完璧な、聖者の笑み。

だが、その顔は恐怖で青ざめ、引きつっていた。


「ハッ! 魔王軍の残党だと? ここ数日、オークの小便すら見かけねぇがな!」  


傭兵隊長が、下卑た笑いを浮かべた、その時。  

集落の中から、エルミナが慌てたように走り出てきた。


「お待ちください、ボルグさん! その方々は……!」  


エルミナは、王都の騎士の紋章と、その中心にいるゼフィルスの姿を認め、その場で膝をつき、祈るように手を組んだ。


「……ああ……! まさか、星の御子様が、直々に……? なんという、お恵み……!」  


彼女の瞳は、一点の曇りもなかった。

ゼフィルスが、あの赤子と同じ、純粋な信仰の眼差しを向けてくる。


(……やめろ)  


ゼフィルスの脳裏に、コルネリウスの冷たい声が響く。


『殺せ。あの偽物を、神の雷で浄化しろ』


(やめろ……!)  


同時に、オークどもが内側から破裂し、血反吐を撒き散らしながら仲間を喰らう、あの地獄絵図がフラッシュバックする。


(……俺の、この手で……? この、俺を信じきっている、無垢な女を……?)


「――聖女様、そいつから離れろ!」  


鋭い声が飛んだ。

集落の防壁の上、傭兵たちをかき分け、バルトロメオ・ガッツォが姿を現した。

その手には、黄金の装飾が施された弩が握られている。


「……何のつもりだ、星の御子様よぉ? テメェが砦を滅ぼしたっつー『神の雷』。そいつは、どうも、魔族の残党だけじゃなく、人間にも、よく効きそうじゃねぇか?」  


バルトロメオの情報網は、砦の「奇跡」の真相――それが無差別な音響兵器であった可能性――に、すでに気づいていた。

 

ゼフィルスは、息を呑んだ。  

聖女の純粋な信仰。

聖職者の冷酷な命令。

商人の殺意に満ちた弩。

そして、騎士の断罪の剣。  

彼は、完全に包囲されていた。  


シルヴィアが、剣の柄に手をかけた。

その目は、ゼフィルスが『星の円盤』を取り出すか、あるいはバルトロメオが弩の引き金を引くか、そのどちらが早いかを見極めている。


「……さあ、どうする、星の御子」  


シルヴィアの呟きは、ゼフィルスにしか聞こえなかった。


「ここで、奇跡を見せるか? それとも、ただの詐欺師として、死ぬか?」  


引き金は、ゼフィルスの指にかかっていた。


◆ ◆ ◆


その頃、王都、軟禁部屋。  


リリアンデは、カサンドラの父が残した「鐘の譜面」の写しを睨みつけ、指折り、何かを計算していた。


「……中鐘セントラルが鳴ってから、小鐘イーストが鳴るまで、三十秒。その後、大鐘ウェストが鳴るまで、一分……。この『間』が、観測の『律』を同期させるためのタイミング……」

「リリアンデ……」  


レオナルドは、彼女の狂気に満ちた集中力に、恐怖すら覚えていた。


「……でも、カサンドラのメモの『逆順』で鳴らしたら、どうなるか? 同期が乱れ、観測に『穴』が開く。……でも、どうやって? あの鐘楼は、どれも聖騎士団が厳重に警備してるわ」  


彼女が、苛立たしげに髪をかきむしった、その時。  

コン、コン。  

再び、カサンドラが、今度は夜食の盆を持って現れた。  

彼女は、リリアンデに怯えながらも、そっと盆を置くと、今度は、一枚の「古い時計の歯車」を、リリアンデの掌に握らせた。


「……時計職人の、セルゲイさんが……。彼は、父の、友だちでした。……彼は、西の大鐘楼の、管理者です」  


リリアンデは、その小さな、油の匂いがする歯車を見つめ、そして、悪魔のように笑った。


「……揃ったわ。駒も、鍵も、舞台も」  


彼女は、レオナルドの肩を掴んだ。

その指は、興奮で熱く、細い爪が彼の肌に食い込む。


「殿下。今夜、私たちは、この鳥籠から飛び出すわよ。……神様の、あの忌々しい『目』を、ほんの少しの間だけ、私たちが潰してあげる」  


その囁きは、反逆の狼煙であると同時に、レオナルドを共犯者へと引きずり込む、官能的な誘惑だった。


◆ ◆ ◆


王都、地下水道。

 

ガリウスは、汚泥の中を、地図も持たずに進んでいた。

だが、彼には、この地下迷宮の構造が、三十年前の記憶として焼き付いている。


(……コルネリウスは、俺が南へ、あの偽物の小僧を追うと踏んでいるだろう。だが、甘ぇよ)

 

彼の目的地は、南ではなかった。


(あのジジイの狙いが『聖女』なら、ゼフィルスは囮だ。本命は、王都を空にして、何かを仕掛けるつもりだ)  


彼は、ある地点で足を止め、壁の、一見するとただの染みにしか見えない模様に触れた。

隠し通路が、重い音を立てて開く。  

その先にあるのは、大聖堂の、さらに地下。

コルネリウスの私室よりも深く、王宮の禁書庫よりも古く、『律』そのものに接続されていると噂される、禁断の祭壇。


(……アランを狂わせた、あのクソったれな『仕掛け』の、本当の心臓部だ)  


ガリウスは、眼帯の下の異物――アランの聖剣の、最後の「欠片」――に触れた。


(三十年、待たせたな、アラン。……今度こそ、てめぇの呪いを、俺が終わらせてやる)

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