高層ビル
「そう言えば梨乃ちゃん、今回のこの第一班って、避難しそびれた民間人の救助も任務に含まれているんだよね?その理由って何だっけ?」
「そういった民間人が実際にいるかどうかはさておき、そういった民間人の救助を当初は我々とは別の救助班か何かが行った場合、その救助班が民間人じゃなくて貪食獣と出逢ってしまったらどうするのかという話になって、戦闘能力に長けた我々のような人員がその任務を進めるように変更されたんです。忘れないでください」
「そうだったそうだった。となると民間人を探すべき場所は、差し当たって部屋の数が沢山ある隠れやすいような建物や施設だっていうことになるかしら」
「そうですね。あ、例えばほら、あそこに見える高層ビルなんかでは、しっかり探してみるべきでしょうね」
「あ……」
ヴリトラを討伐してから20分後、わたし達は静岡市を探索する中で、聳え立つ高層ビルを見つけた。
高い。何階建てなのかわからない。
「…り、梨乃ちゃん、いやいや、そういう特に大きな建物だけを探索すれば良いってものじゃないでしょ?ほっ、ほら、どこか小さな小屋にでも隠れている人がいるかも知れないんだから、一箇所一箇所、地道に…」
「いえ、その辺は他の班の仕事ですよ。聞いていなかったんですか?任務の説明を」
「うぐ……」
やばい。やばいぞ。
わたし、今からこの高層ビルに登らせられるのか?
まずいまずいまずい。
「梨乃ちゃん」
「何ですか」
「どれだけ離れていても、わたしはいつでも梨乃ちゃんのことを応援しているからね」
「いいえ一緒に来てもらいます」
「逃がす訳ねえだろ」
「ぐわっ!」
踵を返して、急いで逃げ帰ろうとしたわたしの襟元を、いつの間にかわたしの背後に控えていた馬垣くんががしっと掴んでくると同時に、梨乃ちゃんがわたしの足にタックルを仕掛けてきて、気付けばわたしは二人の圧倒的なコンビネーションに組み伏せられていた。
未遂に終わったものの、国栖穴さんも足を掛けようとしてきていたし。何なんだこの、『わたしvsそれ以外の全員』みたいな構図は。
梨乃ちゃんが異能を使わなかったから、わたしのズボンが切れなかったことだけは幸いだけれども……
「くああぁ!嫌だ!高い所だけは嫌だ!」
「篠守お前、高所恐怖症だったのかよ」
「そうよ!言ってなかった!?」
そう、わたしは高所恐怖症なのだ。
本当に嫌なの。本当に。
「窓際とかから下を見なけりゃ大丈夫だって。行くぞほら」
「落ちてしまっても私の網で受け止めますから」
言いながら、わたしの腕を両脇から掴んで陣列の先頭に戻す馬垣くんと梨乃ちゃん……いや。
待て!梨乃ちゃんの言い分には納得しかねるぞ!
さっきもそうだったが、梨乃ちゃんは最近、わたしの確保(あるいは捕獲)のために異能を使わなくなった。それは上官からの言いつけで、これ以上わたしの隊服が切り刻まれることを避けるための工夫らしい。
要はわたしの防弾防刃仕様の特別で高価な隊服に対して《固定斬撃》を使うなっていうこと(わたしに対してじゃないんかい!)なのだが、それなら斬撃の網で落下するわたしを受け止めちゃ駄目だろ。第一、そんなことされたらわたし、大変な格好になっちゃうよ?わたし、年頃の女の子なんだが?
いや、落下してる時点で駄目だけど。
落下するくらい高いところに行く時点で駄目なのだけど。
「御水見さん、もしわたしが落ちたら受け止めてください」
「…………」
「相手が御水見だからな、そりゃ返事は無えだろ」
くそぅ!御水見さんは無口だから、わたしの言葉を聞いてくれているのかどうかからして判らない!無視してるのか聞いてるのかだけでもはっきりして欲しい!
「ぐぬぬ……お父さんお母さんごめんなさい、わたしはどうやらここまでのようです……」
「この絵面でその台詞を言うな。どうせ、まるで蛮族に捕まってこれから色々されるであろう女騎士みたいだとか何とか言うつもりだろ?」
「あら?そんなこと、全く言おうと思ってなかったわよ?わたしにはそんな発想すらも出てこなかったわ。流石、路地裏に女の子を連れ込むことに定評のある馬垣くんだわ、独創的な発想をなさるのね」
「こいつ、他人の過去を捏造しながら失言を拾い上げて揶揄い始めた途端に、元気になりやがった……」
呆れたような馬垣くんだったが、しかしこれは元気になったというよりも、これから高い所に登らせられる現実からの逃避なのかも知れなかった。
元気そうに見えるからと言って、元気であるとは限らない。例え鬱病の患者であろうと、周囲には気丈っぽく平然を装って振る舞うものだ。
「では、この高層ビル内を探索する。今回に関しては裏切りの心配は無さそうなので、第一班と第二班が二手に分かれて散策する」
「うぐ」
砂原さんが隆谷寺さんを一瞥しながらそう言ったのはさておき、案の定、わたしはこの高層ビルに足を踏み入れることになってしまった。
探索途中で知ったことを先に今言ってしまうと、このビルはどうやら27階建てらしい。
……やっぱり、何としてでも逃げるべきだったか?
◆ ◇ ◆ ◇ ◆
「一階は全てクリア。二階に上がるぞ」
第一班と第二班の二手に分かれて、まずはビルの一階を探索したが、何も見つからなかった。
二手に分かれると早いものだ。絶対的な数ではなく相対的な割合で考えれば、手数が100%増加しているようなものだ。効率は単純計算で2倍である。
エレベーターはとうに機能停止していたため、当然わたし達は階段を使って、二階に登る。
当然のように、わたしが先頭だ。
「ふぅ、落ち着け落ち着け……ここからよ」
「いえ篠守さん、まだ二階です。いつも寮で貴方が私と過ごしている部屋と同じ高さです」
「わたしもそろそろ、高所恐怖症を乗り越えなきゃ駄目よね……、そう言えば恐怖を乗り越える訓練とかってあんまり受けていないけれど、なんでだろ。軍隊や自衛隊に入る時のアレで、そういう訓練を受けてもおかしくはないのだけれど……」
「『アレ』とは何です?」
「あー、えーと…何て言ったっけ、通貨…いや、通過…あの、英語で言うと、古の呪術みたいな言葉…」
「イニシエーションじゃないですか。どんな憶え方をしているんですか貴方は。『古の儀式』ならまだしも、『古の呪術』って。『儀式』だったら『通過儀礼』の『儀礼』から来ていると考えることもできますが、『呪術』はどこから来たんですか?貴方の心の中からですか?」
「いや、だってほら、イニシエーションって言葉を最初に知ったのが、縄文時代の抜歯文化を習った時だったから……怖い感じのイメージが定着しちゃうじゃない」
「抜歯文化だって呪術ではねえよ。やたらとネガティブな方向に記憶してしまうお前の暗さのほうが、まだ恐ろしいんじゃねーの?」
「恐ろしいだなんて心外だわ。何を見当違いなことを……わたしはこう見えても、一部界隈では水も滴る美少女と呼ばれているのよ?」
「誰にも信じてもらえない嘘を言う意味がどこにある」
「その麗しさといったら、例えば燃え盛る炎に囲まれていたとしても、身体を滴る水滴は途絶えないというくらいよ」
「それはただの汗です」
「焼け死ね」
梨乃ちゃんはともかく、馬垣くんのツッコミが酷すぎた。
口の悪いキャラと言えば国栖穴さんだけれど、馬垣くんも地味に口が悪いところがあるんだよな。
くそう生意気な野郎だ。このまま言われてばかりではいられない。何か、報復をしなければ……
わたしを敵に回すとどうなるか、思い知らせてやる…!
「青くなーれ……青くなーれ……」
「どんな呪いだよ。古の呪術にだってそんなのは無えよ」
……さておき。
話しながら二階を散策するが、特に何とも遭遇せず……
そのまま三階に上がって。
そして今度は、四階に上がって。
しかし、静かではなかった。
それは勿論、大勢で通路を歩き回っている訳だから、足音も声も沢山聴こえてくるという理由もあるけれど、しかしそれだけではないような、雰囲気とか空気感とか、そういう漠然とした騒々しい印象を、音は聴こえなくとも肌で感じるのだ。
「バイオ○ザードのゲームみたいに、不気味だな」
国栖穴さんが口を開く。
この人の脳内はゲームのことばっかりだな……
「幽霊とは違う、それよりももっと実際的でタチの悪い何かが、『出そう』な感じだよ」
「まあ、八束ちゃんの言いたいこともわかるよ。治安の悪い国に行った時に、妙に人気のある廃墟を訪れた時のような感覚だ」
と、隆谷寺さんもそれに同じる。
……隆谷寺さんは本当に、誰のことも下の名前で呼ぶんだな。『くん』とか『ちゃん』とか付けて。
案の定、国栖穴さんはド直球に「キメえ呼び方をすんなや。てめえが宇都宮のデパートだかショッピングモールだかであたしを気絶させたこと、忘れてねーからな」と、隆谷寺さんに噛み付いていた。
まあそんなことよりも、とにかく、とりあえず。
「ねえ、馬垣くんはどう思う?嫌な予感とかする?」
少し前から剣呑な表情で黙りこくっている馬垣くんに、わたしは確認する。
「あん?そりゃあもう、嫌な予感がしまくりだよ。気味が悪くてしょうがねえんだからよ」
「なるほど」
馬垣くんも感じているらしい。
だったら、それは気のせいではないということなのだろう。隆谷寺さんも馬垣くんも『嫌な予感がする』と言うのであれば、この高層ビルに何かがあるということは間違いない。
一流の武術家。
一流の勝負師。
この二人の勘は、相当あてになる。
更にビルを上がって行くと、八階のとある位置に、広々とした、開けすぎた部屋を発見した。というのもこの部屋、屋内と屋外とを分け隔てる壁が大破しているのだ。
壁に大きな穴が空いているというよりも、むしろ穴の周りに申し訳程度の壁が添えられているだけ。これでは壁が無いと言っても過言ではなく、当然ながら風が外から吹き込んでくる。
「なんだこの部屋……」
わたしは嫌悪感を覚えずにはいられなかった。
わたしには無理なことだが、例えばこのビルの高さを確認しようとして、ここから地上を見下ろすように下を覗き込んだとしよう。
危険だ。一歩間違えれば転落してしまう。ちょっと足を滑らせれば、この八階の位置から真っ逆様。高さを確認するまでもなく、それは即死だと言えるだろう。
わたしの場合は死なないって?はん、それは恐怖心を捨てられる理由にはならないね。
「しかし、どうしてここだけ壊れているんだろうね?床に瓦礫が散らばっているところを見ると、どうやら外から中に向かって破壊されたようだけれど……はて、何者が何のために壊したんだろうか」
部屋の中には隆谷寺さんと社大路さんの二人だけが入っているのだが、その社大路さんが呟く。
壊れているのがここだけとは限らないけれど、確かにこれまでこんな風に風穴が空いた部屋は見かけなかった。この穴は貪食獣の仕業なのだろうか。
……もしかして、『ヴリトラ』の仕業か?
穴のサイズ的には、それっぽいけれど。
いや、でも、それにしては穴が小さい…?
「とりあえず、何かあるかも知れないし、ちょっと誰かあの穴を調べたほうが良いんじゃない?」
と、隆谷寺さん。
いや、じゃああんたが調べろよ。
「いやあ、俺が調べても良いんだけどさ、他にやりたい人とかいない?久凪ちゃん、やる?」
「絶対嫌です」
「なら僕がするよ、隆谷寺さん。僕は高所恐怖症とか無いから、穴から落ちるようなことさえ無ければ問題ない」
と、わたし達が嫌な役回りを押し付け合う中で、社大路さんがそう言って不用意に大穴へと近寄った、その時だった。
穴の上方から、人型の化け物がこちらを覗き込んだ。
どうやってか、ビルの外から中へ、上からこの階へ、穴を通るようにして、人型の貪食獣がこの部屋に這入ってきた。
人型だが、紛れもなく貪食獣だろう。人間じゃない。
先の場面で討伐したヴリトラが喰っていたものとは別種の貪食獣だと思うが、全身が緑色で、巨大かつ異形の手足を持ち、眼も耳も鼻も見当たらない、ただ口だけがある、怪物。
人型にして、異形の怪物。
しかも卑劣にも忍び足で上から来たため、偶然下を向いていた社大路さんは気付いていない。
「危ない!」
『危ない』とは言ったが、しかしわたしは足を動かせなかった。仮にわたしが社大路さんに駆け寄って、それが何かの拍子で何かしらやり損ねた場合、わたしは勢い余って風穴からビルの外に投げ出され、この高さから転落することになる。
別にわたしの身体は壊れないので、情けなくもそれは恐怖心の問題に過ぎなかったのだが、とにかくわたしは動き出しが遅れた。
「ふんっ!!!」
と、わたしが足踏みしている間に、隆谷寺さんは走り込むようにして人型の化け物に素早く接近していて、両手の掌底で化け物を突き飛ばした。
勇気があるとはこういうことなのだろう。あっさりと化け物を突き飛ばし、自分はスクワットのような体勢になってブレーキをかけて転落せず、化け物はそのまま外まで吹っ飛んで、ビルから転落した。
この高さならば即死か、そうでなくとも動けないくらいの重傷を負って、外で待機している少数の上官に撃ち殺されて終わりだ。
心があるのかどうかも判然としない貪食獣とはいえ、最期がこれでは同情せざるを得ない。
「うおお……ありがとう隆谷寺さん」
「危なかったね。もうちょっと気を付けてよ?俺の予知だって絶対じゃないんだから」
礼を言う社大路さんに対し、警める隆谷寺さん。
「あれ?絶対ではないのかい?」
「正確には、俺が何もしなければ絶対なんだけど、俺が何か発言したりして状況を変えてしまうと、未来も変わっちゃうからね。今のは予知が遅れた」
ああ、隆谷寺さんが『誰かやらない?』とか言ったから、それに反応して社大路さんの行動が変わり、未来が変わったという訳か。そうなってくると、隆谷寺さんの予知能力、《神眼》にも弱点はあるということになるな。
「ところで今の動き、相撲かな?諸手突きというか、ぶちかましみたいな技だったけれども……」
と、話題を換える社大路さん。
たった今危ないところだったのに、図太い人だ。
「ああ、うん、今のは諸手突き。柔術繋がりで、相撲も使えるんだよね」
「隆谷寺さんの使う武術って、柔術だったんですか?」
「ん?あー、柔術がメインだね」
……この人は本当に、どれだけ体術を習得しているんだ?
それに、柔術とどういう繋がりがあるのかは知らないけれど、相撲も使えるときた。
隆谷寺さんは決して巨漢ではない。体重はわからないが、身長は170cm程度で、太っているようにも見えない。とんだ小兵力士もいたものである。
というか、社大路さんもよく技の名前を知っているな。相撲とか格闘技とか、好きなんだろうか?
「……なんか、リッカーみたいだったな」
「え?」
今度は国栖穴さんが口を開いた。
「何ですか?国栖穴さん。リッカーって」
「いやほら、今襲ってきた貪食獣さあ、バイ○ハザードに出てくるリッカーに似てるなーって思ってな」
何それ、全然知らない。
名前を言われてもわからん。
「どういう外見なんです?そのリッカーというのは」
「あー、大体、さっきの化け物と同じだぜ。人型のクリーチャー。違いは、さっきの奴は緑色だけどリッカーは赤色で、さっきの奴は普通の口を持ってたけど、リッカーは口から変な舌を出すとか……」
「バイオ○ザードなんてからっきしだからな俺……、そう言われてもさっぱりだわ」
馬垣くんも知らないのか。男の子だけど、そういうゲームとかはやらないのかな?まあ、ゲームを遊んだり映画を観たりしたところで、必ずしもクリーチャーの名前が判る訳ではないけれど。
「バイ○ハザードって何ですか?」
まずバイオ○ザードを知らない人が出てきちゃった!
畑田畑さん、しっかりして!どっかであるでしょ、知る機会は!
「とにかく、不意打ちへの警戒は必要になったな」
結局、その部屋の壁に空いた風穴の正体はわからなかったし、その人型の怪物(便宜上、『リッカー』と呼ぶことにした)も、ビルの外に落ちてしまったから死骸を調べることもできなかったが、皆で一通り思案した後に上官がそう言って、引き続き部屋を見て回ろうと、わたし達は行動を再開した。
再開した、のだが……
八階を全て調べて、九階に上がったところで、そこにあった光景にわたしは戦慄した。
床、壁、天井。
九階の廊下を立体的に埋め尽くすように、上下左右あらゆる面に貼り付くように、おびただしい数のリッカーが待ち構えていたのだ。




