討伐本番 (2)
隆谷寺さんが言ってからすぐに、隊列は曲がり角を曲がろうとして、列の先頭にいたわたしの視界にそれが映った。
「あ、います。ヴリトラが見えました」
「いたか。様子は?」
「……あ」
見た光景を、ありのままに語るなら……
わたしが曲がり角から片眼だけ出して覗いた先の、100m程の距離にある交差点にとぐろを巻いて鎮座していた巨大な大蛇、つまりヴリトラは、人間の形をしたモノを貪り喰らっていた。
ただし、それはあくまでも人間の形をしているだけで……体長は目測で5m程度、肌の色は暗い紺色、首から上は元から無いかのように、頭は無く、首の部分は切られた断面というような感じではなくて普通に皮膚で覆われていて、手の指の数は3本しかない。
つまるところ、ヴリトラが貪り喰っていたモノは人間の形をしているだけの怪物であり化け物であり、貪食獣だった。
「なるほど、共喰いというのはそういう意味か」
食事に夢中になっているヴリトラの隙を窺って、こっそり奴の近くまで移動して位置取りをしたわたし達だったが、改めて奴が今まさに喰らっているモノを見ながら、日倭さんが呟く。
まあ、『共喰い』なんて言ったらヴリトラがもう一体いるのかと誤解されてもおかしくはないだろうけれど、別にそうではない。貪食獣同士の共喰いというだけのことだ。
「貪食獣が共喰いすることってあるんですか?」
わたしは小声で、日倭さんに訊いてみる。
「そういう話も聞いたことがあるような気もするけど、私達はこれまで見たことが無かっただろ?」
「ですよね……もしかして、静岡県は貪食獣が元々多すぎたから、貪食獣同士が共喰いをせざるを得なくなって、今はこんなに数が減った、とか…?」
「あり得るな。あるいは、あのヴリトラが単独で食い尽くしたかだ。何せあの巨体、食欲は旺盛だろ」
「かも知れませんね……」
ただ何か違和感があるな、あの食事。
蛇というのは、大抵食べ物を丸呑みにするものではなかっただろうか?ましてや体長何十mというあの大蛇のことだ、丸呑みにしないほうがおかしいだろう。
ところが、今わたしが物陰の隙間から覗く先では、ヴリトラはその人型の化け物を、チマチマかじりながら食べている。
なんだ?あの食べ方……
そういう蛇もいるのかな?
「全ての貪食獣が共喰いするものなのであれば、都合が良いんですけれどね。東京とかの奪還も、そこまで難しくはなかったりして」
「ああ……それで、よし、全員配置についたようだな」
さて、わたしの希望的観測をサラッと流しながら日倭さんがそう言ったのは、各作戦の準備が完了したことを意味する。
いよいよ攻撃が始まる。
まずは作戦A、奇襲攻撃。その準備はとっくに完了していて、それが失敗した時のためのカバー、即ち作戦Bの準備も、たった今完了したらしい。
梨乃ちゃんはここにはいなくて、もっとヴリトラに近い位置に潜伏して待機中。それよりかはヴリトラから遠く、わたしがいる位置よりかは近い位置に、馬垣くんと御水見さんが待機中だ。社大路さんもまた、別の場所で機を窺っている。
「作戦A、開始…!」
作戦、開始。
日倭さんではなく、この中で一番偉い砂原さんがそう合図し、その直後一呼吸置いてから、御水見さんが異能を発動させた。
「…………」
御水見さんの持っていた水筒の中から、生きているかのように水が這い出てきて、宙に浮かんだまま薄く展がり、本当にめちゃくちゃ薄く展がり、その水の膜は直方体のような形を成して……
その直方体のうちの一面が開き、そこから中に馬垣くんが乗り込むようにして這入った。
すると直方体の開いていた部分が再び閉じて、馬垣くんを中に閉じ込めるようにした状態で、水の箱は動き出しす。
御水見さんの《船幽霊》は、水の運動状態を自在に操作し、また制限する異能だ。御水見さんが水の運動状態を変えないようにしてしまえば、水とは言え、それはもはや極限まで硬質で頑丈な固体も同然だ。しかも、それは粒子レベルでの熱運動をも対象とする(いやそれめちゃくちゃ凄いだろどういうことだ!?)ため、水をあまりにも薄く展げすぎたせいで素早く蒸発してしまうということも無い。
その水の箱は、中に馬垣くんを乗せた状態で、地上から1m程高い位置を浮かんだままホバークラフトのように水平移動し、ほぼ音も立てずに高速で飛行した。
目指す先は勿論、ヴリトラだ。
「……!」
私語の余裕は無い。わたしは奇襲が失敗した時に備えて自分の出番を今か今かと見計らうように、馬垣くんを乗せた水の箱を見つめる。急加速によって体勢を崩しそうになるのを懸命に立て直す彼を、まばたきもせずに見つめる。
この作戦Aはずばり、御水見さんの異能で作った箱でヴリトラの場所まで無音で運ばれた馬垣くんが、《万物融解》でヴリトラを融かして殺傷するという内容である。ヴリトラが逃げられないよう、梨乃ちゃんの《固定斬撃》で退路を塞ぎ、抵抗力を奪うために社大路さんの《霊魂置換法》で攻撃することも怠らない。
「まだ……」
「……」
日倭さんが、独り言のように小声で言う。
まだだ。奴の近くに潜んでいる梨乃ちゃんや社大路さんは、まだ異能を使うべきではない。使うのが早すぎると、もしそれが上手く決まらなかった場合、ヴリトラが驚いて暴れてしまって、作戦に支障が出る恐れがある。
《固定斬撃》の発動は、《万物融解》のそれとほぼ同時が良いし、《霊魂置換法》の発動は、その少しだけ前が良い。
ところで馬垣くんの異能である《万物融解》は、どんな大きさの物体でも瞬時に融かすことができるという規格外の異能だ。初めてこれを聞いた時は、へえー強そうだなーくらいにしか思っていなかったのだが、今ならわかる。
この異能は、確かに最強の異能の候補に相応しい。
ポテンシャルというか、可能性というか……そう、爆発力。爆発力で言うなら、間違いなくわたしの知る中でもトップクラスの異能だ。
……彼が間違って地球を融かしてしまわないことを祈るばかりであるが、融かす範囲は自由自在だから、その心配は無いのか。でも、万が一があるかも知れないから、やっぱり馬垣くんがADFの中ではぶっちぎりの危険人物なのかも知れなかった。
水の箱とヴリトラとの距離は、あと40mくらい。ヴリトラは食事の時間を少し前に終えたようで、交差点から再びどこかへ動き出しているが、食後だからなのかその動きは鈍い。
背後から接近してくる水の箱に気付いてもいない。
徐々に減速しつつヴリトラの尻尾の辺りに到達した後は、御水見さんが箱の一部に穴を開けて、そこから馬垣くんが腕を出し、その手でヴリトラに触れることで異能を発動させ、仕留めるという手筈だが……
「あと少し……」
ヴリトラとの距離、あと20m。あと少しで各員の異能を、ほぼ同時に発動させる予定だ。
というところで、奴は振り返ってしまった。
背後から来る、水の箱の存在に気付いてしまった。
「っ!」
その瞬間、梨乃ちゃんの隣にいた上官が指示を出したらしく、
「《固定斬撃》」
と、一応は原則に従って、早口で異能の使用を宣言するが早いか、梨乃ちゃんが異能を発動させた。
水の箱と、その中にいる馬垣くんを守るためではない。依然としてその目的は、ヴリトラを逃がさないことだ。
馬垣くんから見てヴリトラの向こう側に、斬撃の糸で編まれた網が出現する。
ヴリトラは水の直方体に乗って飛んでくる馬垣くんを視認した時に、一瞬だけ馬垣くんに向かって行こうとしたようだったが、どういう訳か次の瞬間には急ブレーキをかけるように止まり、馬垣くんから逃げようと後退するような動きを見せた。そこで斬撃の網に少しだけ身体が触れて切れたことで、その網の存在にも気付いたようだが……退路を塞いで正解だった。
あれ?そう言えば社大路さんの《霊魂置換法》の矢が、まだ来ない。どうしたことかと見てみると、彼は頭を抱えてうずくまっていた。彼のすぐそばに、砕けた瓦礫が散らばっているが……
ともかく。
ここで、妙なことが起こった。
あくまで念のために退路を塞いでいただけなのに、まさか本当にヴリトラが逃げようとするとは思わなかったので、それについても違和感があった。
しかし、違和感というなら、その直後の出来事に対する感覚のほうが、余程そう言い表すに相応しいだろうと思う。
「…っ?」
「…?」
「ん…?」
馬垣くんの手が触れた場所から、忽ち全身が融解し、煙と炎を開けながら、ヴリトラは完全に沈黙した。
ヴリトラの討伐に、成功した。
あっさりと、成功してしまった。
「…あれ?」
動物の肉体は、大体がタンパク質だ。タンパク質という物質は普通なら加熱しても融けず、空気中なら燃焼したり炭化したりするだけだ。だからタンパク質の融点や沸点についてはあまりはっきりとは判ってない部分があるのだが、融けるくらいの温度ならば相当な高温だということははっきりしている。
ヴリトラの超巨大な肉体の全てがそんな超高温の物体になってしまったら、その下にあるアスファルトの路面が解けてしまうこともあるのだろう。炎と煙を上げる液状の死骸がドロドロと流れ広がっていく中で、融けたコンクリートのようなにおいが漂っていたらしく、ヴリトラの近くに控えていた上官が鼻を摘んでいる様子が見えた。
「ひょ、標的、沈黙……」
「……なんだこれ」
「なんか、あっけなくないですかね…?」
わたしは切り出す。
恐らく、その場にいる全員が思っているであろうことを。
「あっけないというか、拍子抜けというか……」
「なんか、逆に怖いね。不自然だ」
梨乃ちゃんや隆谷寺さんも、概ね同じ思いらしいが。
これは、一体……
あの時……馬垣くんがヴリトラに気付かれ、梨乃ちゃんがヴリトラの退路を塞いだあの時、ヴリトラはどういう訳か、馬垣くんを見つめたまま、何もしなかった。
《船幽霊》で作られた水の直方体の中に入って飛行してくる馬垣くんを、見ていたことは確かだ。認識していたことは確かだ。そして、いくら自分より遥かに小さい相手とは言っても、背後から凄い勢いで突撃してきたら、何かしらの防御反応を見せてもおかしくないだろう。逃げることができなくなれば、反撃したりとか……
しかし、奴はそれをしなかった。強いて言うなら、接近してくる馬垣くんからほんのちょっと頭だけ退いたくらいで、それ以外は本当に、何もしなかった。
抵抗も何もせず、討伐された。
「まあ、臆病だったのかね?あんな巨体に挑んでくるような生き物はいないから、いざ挑まれたらパニックになっちゃって何もできなかった、とか?」
と、隆谷寺さん。
「……そう言えば、隆谷寺さんはこの未来も予知していたんですか?作戦を開始する直前辺りに」
「うん、実はね。そんなこと言っても、皆を無駄に混乱させたり油断させたりするだけかなと思って、言わなかったんだけど」
「というか社大路さん、さっきはどうしたんです?大丈夫ですか?」
「いやはや、突然僕の頭に瓦礫が降ってきてね。こんなところで不運体質が出るとは……ヘルメットがあったから大事には至らなかったけれど、ちょっとクラッときちゃったんだ。心配ありがとう、篠守さん」
「大丈夫かい出雲くん?もしかして、頭を打った拍子にショタコンが治ったりとかしてない?」
「いやいや隆谷寺さん、ショタコンは病気じゃないから治るものでもないし、そもそも僕はショタコンじゃないよ。親友が男子小学生ばかりだっていうだけであって」
……えーと、隆谷寺さんと社大路さんはいつもこんな感じで話しているのだろうか?わたし達長野県支部と、どっこいどっこいなのでは?
話を戻すが、ヴリトラが反撃してこなかったことについて、いざ自分が挑まれたらどうこうという話にも、納得はしかねる。貪食獣というのは、例え満腹状態だろうが人間を襲うという個体が多く確認されているし……それも例外があるのかも知れないけれど、獰猛で凶暴であるという点では例外は無いと思っていた。自分が攻撃される側になるのに慣れてないからっていう、そんな生物として真っ当な理由は、逆に不自然だ。
たかだか人一人の大きさしかない生き物、つまりは人一人が飛んできたところで、構わず喰らい付くほうが貪食獣らしいと思うのだけれど。
「言っても、人間が空を飛んで襲ってくることなんてありませんからね、普通は」
と、梨乃ちゃんの鋭い指摘が入ったけれど、冷静になればそれもそう…かな?そりゃ普通は、人間が空を飛んで巨大な大蛇に突っ込むことなんて無いだろうけれども。
しかし、水の箱に乗って飛んでくる馬垣くんがそういう理由で未知の存在だと感じたのなら、尚のこと、防御反応くらいは見せる筈なのでは?
「まあ……斃せたんだし、良かったとしようぜ」
「…………」
御水見さんの水の箱で運んでもらうようにして戻ってきた馬垣くんは、そう言いつつもすっきりしない顔だった。ヴリトラを直接的に屠った者として、思うところはあったのかも知れなかったが……
いや、やっぱり何か、引っかかる。
何か、わたし達、何かを間違えたような……
「お前ら、そこまでにしろ。これは過ぎたことで、終わったことで、あのヴリトラが何だったのかなんてどうやっても知ることができないだろ。ならもう、あの大蛇について考えるのはやめだ。もうやめろ。どうやってもわからないことは、考えないようにしなきゃいかんぞ。じゃなきゃ、できることもできなくなる」
と、わたし達が不思議に思っているところに、日倭さんの声がよく通った。
まあ、そうなんだけども。尤もではある。とにかくわたし達は引き続き、静岡市の安全確保のために動かなければならない。
どうしてもわからないことは、考えないようにするべきだ。
どうやっても知りようの無いことは、気にしないべきだ。
「わからないことをわからないままに放置する勇気とか、知らないことを知らないままに放置する覚悟とか、そういうのが必要なんだよ、この仕事は」
「……了解」
どうにも奇妙な感覚を引き摺ったままではあるが、誰一人として死傷者が出なかったというのは良い想定外だろう。
わたし達は気を取り直して、静岡市の散策を再開した。
大した苦労をした訳でもないのに、もうラスボスを斃したような気になって慢心していたような部分も、この時のわたしには正直、あった。




