孤軍苦闘 (1)
「あの、篠守さん……この期に及んで嘘を言っているとかではないんですよね?」
「そうだって言ってるでしょ。やるったらやるから」
「何と言うか、いやその……」
二十一階。
この階の中でも特に広々とした部屋で、隆谷寺さんが壁に空けた風穴を前にするわたしに、梨乃ちゃんがくどく確認してくる。
高所恐怖症……これはわたしに今も健在の難癖だ。
隆谷寺さんはどうやら、その気になれば壁くらいぶち抜いて風穴を空けることができたらしい(あんたが一番のバケモンだよ)。それで壁に穴を空けて外まで開通してくれた訳だけれど、二十一階という高さでそんな穴が大口を開けているこんな部屋にいるだけでも、高所恐怖症のわたしは相当なストレスを受けている訳だ。
「隆谷寺、『コーラー』はまだこの階にいそうか?」
「うん。さっき壁を空けたのに反応して、ここからは多少遠い位置まで離れて行ったけども、恐らくまだこの二十一階にいる」
日倭さんの隣で、隆谷寺さんが答える。
直後に日倭さんは無線機を取り出し、他の位置に移動したメンバーに順番に連絡し始めた。
二十一階のこの部屋。この部屋に今いるのは、わたしと梨乃ちゃんと日倭さんと隆谷寺さんだけだ。
日倭さんは、他のメンバーと連絡を交わすために。
隆谷寺さんは、壁に風穴を空けるために。
梨乃ちゃんに至っては、ただの付き添いとして。
三人が、わたしについて来てくれた。
「よし。第二班も定位置に着いたらしいな」
「じゃあ、そろそろですかね?」
「そろそろだ。しかし、あの篠守がな……いや待て、これはまさか、精神干渉系の異能の影響を我々が受けている状況じゃあないだろうな?」
「いいえ日倭さん、恐らく現実だと思われます」
「夢幻である可能性を考慮しないでもらえる?」
「もちろん、理に適ってはいるんだけどね。《不壊》の君にしかできないことと言ったらこれくらいだし……」
「隆谷寺さん、ナチュラルに貶さないでください……って言うか、もうそろそろお三方もここから離れる時じゃないんですか?」
「ん、まあ……そうなんだけどもな」
ばつの悪そうな日倭さんが言う。
「一応、外でも準備は終わっている。後はやるだけだ。でも篠守、誰もお前のことは心配していないが、私達はただ少し…困惑していてな」
「ちょっ、ちょっと待ってください?しれっと今めちゃくちゃ傷付くことを言われたような気がするんですけれど、それは、どういう、どういう……」
「気のせいだ。まあとにかくだな……」
気まずいというか、何を言って良いのかわからないという感じの日倭さんは、取り敢えずの台詞として。
「任せたぞ」
そう言って、部屋を後にした。
「では、まあ……お願いします」
「頼んだよ」
後を追うように、梨乃ちゃんと隆谷寺さんも部屋から出て、自分達の持ち場に戻って行く。
そうしてわたしは、一人っきりになった。
「……はあ」
ふと、ため息を吐く。
何でだろうなあ。
わたしはいっつも……ではないけれど、ここぞと言う時は毎度毎度こうなのだ。金足大学の時とかはその最たる例だったけれども、ADFに入って共に戦う味方を獲得してからは、二度とこうはならないだろうと思っていたのに。
何をしてんだろうな。
『リタイア』……ただの自己犠牲だよこれ。
多分死なないと思うけれど……それでも、気絶や失神は免れないだろう。気持ち的には死と大差ないよ、本当。
あーあ、『わたしは大丈夫なんで、他の人は全員でコーラーをやっちゃってください』とか言うんじゃなかったなー。誰か助けてくんないかなー。御水見さんとか、梨乃ちゃんとか、1人くらいはわたしのために動いてくれる人を用意するんだったなー。
まあ良いけどさ。
自己犠牲。みんなのため、世のため人のため。
そんなの、わたしの柄じゃない。
どちらかと言えば祖父のやりそうなことだ。祖父とは性格から何から似ても似つかないわたしには、どうにも似合わない。
でも、たまにはそういうのも良いだろう。
「……ふひっ」
壁に空いた大穴から不意に風が吹き付けてきて、わたしは突然の恐怖と不安で変な声を出してしまった。
……今の声、我ながら気持ち悪かったな。
いやぁもう、関係ないけどさ、全身が震えているよ。武者震いなんかじゃない、紛れもない恐怖だよ恐怖。
「いやぁ、あはは、PTSDになるとしたら今かな」
震える声で、強がって適当な台詞を言ってみる。誰もいなくなった部屋で、独りぼっちで……いや。
違う。独りぼっちではない。
そうだよ、これのどこが孤独なんだ。これからみんなと協力して作戦を遂行するんだから。わたしの合図で、全員が動き始めるようなものなんだから。
あはは……わたしは相変わらず、眼に視えているものしか見えないらしい。あるいは、ポジティヴな事柄だけが見えないのか?
悪い冗談だよ。『冗談』……あるいは、わたしの従兄弟であるところのあいつなら、こういうのを……
「こちら日倭。篠守、応答せよ」
おっと、早い。
「こちら篠守。配置はどうです?」
「さっきお前の所にいた三人、全員が改めて配置に着いた。後はお前の『リタイア』を合図に、総員が動くだけだ。で、お前は今から1分後の、38分になったタイミングでやってくれるか?そんで2分間だけ耐えてくれ。2分後の40分にリタイアするっていう感じでやってくれれば完璧だ」
「わたしから志願しておいてこう言うのもなんですけれど、注文が多いですね……やれるだけやりますけれど」
「お前に『タイマー』渡しといただろ?それで2分計りながらやれ」
「ああ、それがありましたね」
「確認のため繰り返す。38分になったら始めろ。そこから2分間耐えてからリタイアだ。40分になったタイミングで、我々が動く。わかったな?」
「了解」
さて。
もうここまで来れば、勘の良い読者はこの後の展開などとっくに予想しているだろう。そして、その通りだ。
予想通りで、意外性が無くて悪いのだけれど、でもこれしか無いんだよ、わたしは。
わたしにはこれしか無い。
それすらも、誇らしい訳でもない。
でも良いんだ。いや良くはないけれど、やるんだ。
「37分、45秒……」
あと15秒。
あと10秒。
「……ふぅ。7、6、5…」
ごめん皆!
なんかフライングしたい気分だ!
「うおおおおおおあああああああ!!!」
そうして数秒早く、わたしは暴れ回り始めた。
壁を殴る。壊れることの無い、しかし痛みは腹立たしいくらいにしっかりと感じるこの拳で、ひたすら壁を殴る。
思えば、建物の壁を全力で殴りまくるなんて初めての体験だ。
意外と壊れない壁に、隆谷寺さんの凄さを思い知る。
殴るのは一箇所だけじゃない。ヒトガタがどういう法則性を持って動くのかわからない以上、念のため色々な場所を殴ってみることになっているのだ。
部屋中の壁を、満遍なく殴っていく作業。冷静に考えてみたら、本当にわたしは何をしているんだろうという白けた気分になってきてしまうけれど、でも今はそんな気分になっちゃ駄目だ。
わたしは今、冷静であってはならない。盲目的で、酔狂でなければ、こんな作戦なんか遂行できるもんか。
そういう意味では、この作戦を提案した時点でのわたしは、既に狂っていたのだろう。そして、毒を食らわば皿まで……最後まで狂い続ける必要がある。
おっと、忘れていた……『タイマー』も起動しなきゃね。
これが重要なんだから。
「はあ。来たか……」
さて、案の定、ドタドタとベタベタとガタガタと、無数の足音がありとあらゆる方向からこの部屋に近づいてくる。気分はさながら、大勢の暴走族の一斉突撃をたった一人で迎え撃つ伝説の不良だ。
……それ馬垣くんでは?
「さて、お見せしますか。わたしの使い道を」
さておき、お見せしよう。
永久の凪、《不壊》の異能の正しい使い方を。




