第8話 瘴気の根
雨漏りの小屋、一か月後
あれから一か月。
雨漏りの小屋は相変わらずだ。だが、床板を直し、屋根に古布をかけ、ようやく「暮らす場所」と呼べるようになった。
ドウマは壁板に拳を突き出し、感触を確かめる。
以前は皮膚が切れて終わりだった。だが今は、衝撃が体の奥に吸収される。
胸のリムルードも小さく跳ね、核の光は濃さを増していた。
識別の瞳を開く。視界に淡い光が走り、数字と文字が浮かぶ。
――【ドウマ Lv8】
――副次スキル:【識別の瞳】熟練度向上/簡易ステータス解析(自分・眷属限定)
――体力:小幅増加/筋力:小幅増加/精神耐性:上昇
リムルードにも同じように数値が現れる。
――【リムルード Lv8】
――スキル:【被膜化(小)】【寄生的保護】【微弱浄化】
(……見える。今まで名前とレベルだけだったのに、ステータスとスキルまで……)
塩漬け依頼
この1ヶ月で変わった点といえばギルドへの立ち入りが許可された事だ。ドウマがギルドに足を踏み入れられるのは、ただ一つの理由による。
監査官バロウが「実務をこなす」と推薦し、受付嬢の上司が例外を認めたのだ。
――誰も受けず放置された塩漬け依頼だけなら構わない。
そう言い渡され、ようやく彼は依頼受注の“資格”を得た。
救済ではなく、残飯処理を押し付けるための制度にすぎない。
だがドウマにとっては、それでも唯一の生きる道だった。
勇者パーティは王都へ帰還した。街の祝宴は去り、代わりに日常のざわめきが戻っている。
掲示板の端に貼られた古い紙――“下水の瘴気再燃”と書かれた札が、埃を被って残っていた。
「……これだな」
誰もが避けたそれを、ドウマは迷わず剥がした。
受付嬢は冷たい声で告げる。
「……確認しました。塩漬け依頼につき、受注を許可します」
だがその横顔は、いつも以上に硬い。
彼女の背後には上司が控え、頷いた。規則通りの処理であり、情けは介在していない。
それでも、ドウマは小さく礼を言った。
誰も受けないからこそ、自分がやるしかないのだ。
⸻
下水道の奥へ
雨上がりの石畳を抜け、ドウマは地下へ降りていった。
胸のリムルードが淡く震え、瘴気の濃さを伝えてくる。
石段を下りると、空気は前回以上に淀んでいた。
鼻を突く悪臭。目の奥が焼けるような瘴気の刺激。
リムルードは小さく泡を弾けさせ、まるで警告するように震えた。
(前より濃い……間違いなく、根は残っている)
松明を掲げ、慎重に進んだ。
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三十分の探索
湿った石畳を踏みしめ、靴裏に水と泥がまとわりつく。
折れた槍、鼠の死骸、黒ずんだ血痕。
数日前に挑んだ者がいたのだろう――そして、帰らなかった。
水面に泡が浮かぶ。リムルードが核を震わせる。
影は一瞬で消え、また沈黙。
ただ、瘴気は刻一刻と濃くなっていく。
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小競り合い
前方で水音が弾けた。
石壁の隙間から這い出したのは、小型の群れだった。
――【スウォーム・ラット Lv5】×3
――【スウォーム・バット Lv6】×2
赤く濁った眼。飢えた鳴き声。群れは血を求めて突進する。
「くそっ……!」
短剣を抜き、ドウマは迎え撃った。
リムルードが膜を広げて鼠の牙を防ぎ、蝙蝠が背後から襲いかかる。
首筋を狙う影に身を伏せ、叫ぶ。
「リムルード!」
スライムが跳ね、蝙蝠を呑み込む。羽ばたきは泡に包まれ、もがくうちに動きを止めた。
その隙に短剣で鼠を突き、壁際へ追い詰める。
血飛沫と腐臭が混ざる。
三体の鼠を斬り伏せ、残る蝙蝠を叩き落として、ようやく静寂が戻った。
(小物でも数が揃えば危険だ……。消耗させられて、奥で仕留められる算段か)
息を荒げつつ、さらに奥へ進んだ。
⸻
クロコダイル・アバス出現
腐臭が一段と濃くなり、屠殺場の中に迷い込んだかのような錯覚を覚える。
リムルードが身を縮め、不安げに震える。
前方の水面が、不自然に盛り上がった。
次の瞬間――爆ぜる水飛沫。巨大な顎が現れる。
――【クロコダイル・アバス Lv10】
――瘴気に侵された凶獣。下水を棲家とし、獲物を骨ごと噛み砕く。
爪が石畳を抉り、赤い眼がこちらを射抜いた。
唾液に混じった腐肉が滴り、下水の水面に濁流を描く。
喉が乾く。手の震えが止まらない。
リムルードが胸元で跳ね、必死に鼓動を合わせてきた。
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死闘
突進。地響き。
リムルードが被膜で噛みつきを防ぐが、顎の力は凄まじく、膜は裂ける。
ドウマは短剣を突き立てるが、鱗は鉄壁。刃が弾かれ、逆に尾で叩き飛ばされた。
「ぐはっ……!」
背中が壁に打ちつけられ、視界が白む。
顎が迫る。牙が視界を埋め尽くす。
(終わる……!)
⸻
融合共鳴
その刹那、胸のリムルードが激しく震えた。
――寄生的保護、発動。
冷たい被膜が全身を覆い、視界が淡く青に染まる。
識別の瞳が数値を浮かべた。
――【ドウマ+リムルード 融合状態】
――体力:二倍相当
――防御:被膜化強化
――追加スキル:【衝撃吸収】【水圧耐性】
息が楽になり、脚が軽い。
リムルードの鼓動と、自分の鼓動が重なっていた。
「一緒に――戦うんだな」
突進する巨体。
ドウマは滑り込み、逆手に短剣を構える。リムルードが刃にまとわりつき、青い膜が槍のように尖った。
――新技:【纏・穿牙】
突き上げる。鱗の隙間に刃が喰い込み、リムルードが貫通力を増す。
巨体が絶叫し、のたうつ。
その隙に石柱を掴み、融合強化された力で振り下ろす。
ゴシャッ!
眼窩を砕かれ、クロコダイル・アバスが崩れ落ちた。
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戦いの後で
静寂。腐臭と残響だけが残る。
ドウマは壁にもたれ、砕けた短剣を床に落とした。
膝が笑い、掌は震えを止められない。
リムルードが淡く脈打つ。識別の瞳が反応した。
――【ドウマ Lv8→Lv9】
――【リムルード Lv8→Lv10】
――新スキル:【融合共鳴】習得(初段)
(……やっと一段目。たった一段だ)
痣だらけの腕。きしむ肋骨。
もし遅れていたら、顎に粉砕されて終わっていた。
喉が乾き、低く呟く。
「……足りない。全然足りない。
力がないやつは殴られる。踏みにじられる。土下座で命乞いするしかなくなる。
あの時みたいに――グラディウスの前で」
石畳に額をこすりつけた感触が甦る。胃が軋む。
リムルードが胸でぽんと跳ねた。
「二度と繰り返さない。俺も、お前も」
核が強く脈打つ。
それは慰めではなく、共に進む意思の灯だった。
(融合共鳴は初段。なら、次がある。もっと強く、もっと多く。
俺ひとりとスライムひとつじゃ、薄氷だ。群れを作る。進化を導く。軍団にする)
瘴気はなお奥から流れている。今日仕留めたのは“根”じゃない。
それでも、足は震えながらも前を向いていた。
「戻る。報告して、金を掴む。武具を整える。積む。積んで積んで……
いつか、踏みにじる側の靴底ごと、ひっくり返す」
救済ではなく、あくまで残飯処理を押し付ける制度。
だがドウマにとっては、それでも唯一の生きる道だった。




