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第7話 栄光の扉、薄闇の取調室

雨上がりの朝


 雨は夜のうちに上がっていた。

 革なめし場の湿った風が、街はずれの小屋を撫でる。桶は満ち、藁布はしっとりと湿っている。


 ドウマは壁板に拳を触れ、衝撃が皮膚の下で柔らかく散るのを確かめた。胸のリムルードが小さく跳ね、被膜化の気配が体の奥に息づいている。


(反応が速い。昨日より、確かに強くなってる)


 石畳を歩き出す。今日はギルドの掲示を見に行くつもりだった。依頼が受けられるかどうかは別として、規則や動きを知っておきたい。


「行くぞ、リムルード」



祝宴のざわめき


 ギルド前はいつもより騒がしかった。

 入口に赤い敷物、花飾り。人垣の向こうでは、金の杯が高く掲げられている。


 勇者パーティーが戻ってきていた。

 勇者アレクト=ヴァルディス。聖女セラフィナ=ルミナリア。大賢者ハイデン=オルドニア。戦鬼グラディウス=ヴァルダン。

 歓声は熱く、言葉は甘い。英雄譚はいつだって街を温める。


 ドウマは輪の外から、恐る恐るその姿を見つめた。

 識別の瞳を開くと、数値は伸びていたが、まだ限界には遠い。

 それでも、自分との差は天と地ほど。息が浅くなり、足が石畳に縫い付けられるように動かない。


 グラディウスがこちらを見て口角を上げる。

「……まだ生きていたか。ゴキブリ以上の生命力だな」


 アレクトは無視。視界に入れたことすらなかったかのように顔を前に戻す。

 セラフィナは一度だけ瞬き、視線を外す。慈悲の顔は、規律に縛られている。

 ハイデンだけが一歩近づき、リムルードを見て薄く笑った。


「核の縁に偏光が出ている。進化階梯を一段跳んだか。……珍しいケースだ」


 ドウマは喉がひりつくのを覚えた。

 言い返す勇気など持てない。ただ視線を逸らし、小さく肩を震わせながら扉の脇へ身を寄せた。


 拍手の波が強くなる。ドウマは目を伏せたまま、脇の扉から中へ滑り込んだ。

 用があるのは祝宴じゃない――それだけを心の支えにして。



冷たい声、目の温度


 掲示板の前は空いていた。新しい依頼が何枚も重なっている。

 背後から声。受付の彼女が、いつもの冷たい声で告げた――はずだった。


「昨夜の依頼の記録が残っています。報酬はすでに支払い済みです」


 声は冷静だが、ほんのわずか震えていた。

 祝宴の熱気が背後から押し寄せる中で、彼女の視線は周囲を気にして泳ぎ、ドウマに向けられた時だけ揺らぎが強まった。


「わかってる。今日は掲示を見に来ただけだ」


 彼女は奥を示した。

「……あなた宛ての呼び出しがあります。監査官室へ。灰鷹の爪が、被害申告を出しました」


 言葉は事務的だったが、目だけは「気をつけて」と告げていた。



取調室の空気


 監査官室は小窓ひとつの、冷たい部屋だった。

 机の向こうで分厚い紙束をめくる男。


 ドウマは無意識に識別の瞳を発動させる。淡い光が視界に走り、文字が浮かぶ。


 ――〈ギルド監査官:バロウ〉


 名前と肩書きだけ。レベルも能力も、何ひとつ読み取れない。


(……どういうことだ? 俺の瞳が未熟なのか。それとも、あの男は何かに守られている……?)


 喉が渇き、背に冷や汗が伝う。

 初めて味わう「識別の遮断」。それはただの役人に似合わぬ、異様な壁だった。


 バロウは視線を上げた。

「君がドウマか。報告は受けている。昨夜、灰鷹の爪と衝突したな」


「ああ。路地で待ち伏せされた。刃を抜いたのは向こうだ。俺は非致死で止めた」


「相手は『命を奪われかけた』と主張している。頬に切り傷を負った者がいる」


 バロウの瞳は冷たく研ぎ澄まされていた。勇者パーティが街にいる今、些細な判断すら許されぬという圧がそこにあった。


「……目撃者の供述は割れている。ゆえに当面は監視対象とする。灰鷹の爪に近づくな。再度衝突すれば、拘束する」


「……了解した」


 短い沈黙。バロウは紙束を閉じ、わずかに息を吐いた。

「……下水の瘴気は、一時的に弱まった。君が害獣を倒したことで表層は落ち着いたが、根源は残っている。

近いうちに、再び依頼が出るだろう。その時は今回よりも危険になるかもしれない」


 規則に縛られた声。だが最後に、ほんの一瞬だけ人間らしい柔らかさが滲んだ。

「規則は規則だ。……だが、仕事をした者は、いつか見られるべきだと思う」


 ドウマは小さく頷き、部屋を後にした。

 だが胸の奥に残ったのは、監査官バロウへの拭えぬ違和感だった。



扉の前の影


 廊下を抜けると、正面の扉から歌と歓声が溢れてきた。

 赤い敷物の端に、灰色の外套。灰鷹の爪だ。頬に包帯を巻いたガイルが薄笑いを浮かべる。


「監視対象だとよ。ざまあみろ」


「お前らも接近禁止のはずだ。規則は両方に刺さる」


 ガイルの唇が歪む。「……覚えておけ」

 互いに声を荒げ、睨み合う。


 その時、扉が開き、勇者アレクトと共にグラディウスが現れた。

 戦鬼の眼が、言い争う二人を射抜く。


「……なんだ、その喧噪は」

 視線がガイルへ移る。頬の白い包帯を鋭く見据えた。

「その包帯……どうした」


 ガイルは一瞬たじろぎ、視線を逸らす。

「……こいつに……ドウマにやられた」


「……何だと?」

 グラディウスの顔が瞬時に怒りで染まる。


 足音が響いた次の瞬間、ガイルの顔面に拳が突き刺さった。

 ドゴッ! 鼻血が飛び散り、石畳に転がるガイル。


「奴隷に負けただと? 恥さらしが!」

 罵声と共に蹴りが浴びせられ、ガイルは呻き声を漏らすばかり。


 荒い息を吐きながら、グラディウスは振り返る。

 その眼はドウマに突き刺さっていた。


「いいだろう……。奴隷風情が俺の前で粋がれるとはな。今度こそ切り捨ててやる!」


 慌ててドウマは叫ぶ。

「待て! お前は言っただろ、『生きていられたら手を出さない』って!」


 だが、戦鬼の耳には届かない。剣閃が走り、リムルードが必死に飛びかかる――


 バシィッ!

 張り手一発。小さな身体は壁に叩きつけられ、核が鈍く光を失った。


「やめろっ……!」

 ドウマは膝を折る。


 グラディウスの眼が細められ、低い声が落ちる。

「『やめろ』じゃねえ……『やめてください』だろ、奴隷が」


 さらに唇を歪め、踏み込んだ声で命じた。

「土下座しろよ。頭を地につけて、俺に乞え。そうすりゃそのスライムは見逃してやる」


 ドウマの全身が怒りで震えた。

 屈辱に胃が焼ける。拳を握りしめたまま、奥歯が軋む。


 だが――リムルードが、壁に叩きつけられたまま震えている。

 その姿を見た瞬間、抵抗の炎は押し込められた。


 沈黙ののち、ドウマは両手を地につけた。

 額が石畳を打ち、血の匂いが鼻に広がる。


「……やめてください。リムルードには手を出さないでください」


 グラディウスの笑い声が響いた。

「ははっ、いい面だ。お前みたいなクズに似合ってる」


 リムルードは揺れる視界の中で、必死に震えていた。

 その小さな核に触れながら、ドウマは奥歯を噛みしめた。


(俺は……必ず強くなる。お前を守るために)


 その様子を、ギルドの入口近くから受付の彼女が見ていた。

 声をかけることはできなかった。ただ、悲しげに揺れる瞳で、地に額をつける少年を見つめていた。

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