表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
34/34

第35話 真っ向から香妃へ

 闘技場の砂がようやく静まり返った。

 黒紫の圧は消えても、胸に残る重さは簡単には抜けなかった。十人は武具を下ろし、ダロスは肩を鳴らして舌打ちする。影王は膝をついたまま、年端もいかぬ姿で深く頭を垂れている。


「……やはり、あなたこそ“リムロード様”」

 その声はか細いが、確かだった。


 俺は影王の前に立ち、問う。

「なぜ、そう呼ぶ」


 灰色の瞳が揺れ、砂の上に手をついた。

「私は、ただの民の子でした。列強の兵に攫われ、見せしめにされかけた時……救ってくださったのがリムロード様でした」


 声が震えている。

「その直後、“魂の匣”の副作用を受けました。歳を取らぬまま、ただ一つの掟に縛られたのです。『王が戻れば必ず従え。敵であっても、従者としても』。……それが、今の私を作った」


 シオンは瞳を伏せ、十人も息を呑んだ。

 影王は続ける。

「だから、誓ったのです。王が転生されるその時に、力となろうと。私は組織を作りました。列強に潰されそうになれば別の勢力を取り込み、生き延びるために。……けれどそのせいで、組織は三つの頂に割れました。私と、“香妃”、そして“牙侯”」


 そこまで聞けば十分だった。俺は短く告げた。

「続きはギルドでだ。ここは目が多い」



帰路


 街へ戻る道は長かった。夕闇が石畳を濡らし、街灯の油がぱちぱちと燃える。

 誰も余計な言葉を発しなかった。だが沈黙が重くならないのは、三か月で培った歩調のせいだ。


 斥候は影を先に走り、ガルドは俺の背に影を重ねる。シオンは影王の歩幅に合わせ、ダロスは外を見張って大股で進む。十人は二列に並び、互いに短い合図を交わす。


「痛みはどうだ」

 俺が問うと、影王は首を横に振る。

「問題ありません。……ただ、黒紫の圧は、忘れられません。あれほどはっきり“動けなくなる”力は初めてでした」


「一度で足りる」

「はい。心に刻みました」


 街の灯りが見えた頃、影王はぽつりとこぼした。

「私の“王”の記憶は、断片です。救われた日の光、温度、声……『行け』と命じられた気がしました。

 だから私は、行き続けたのです」


 その横顔は、子どもに見えて、大人よりも深い影を持っていた。



ギルドの夜


 ギルドの扉を開けると、暖かな灯りが迎えてくれた。帳簿を抱えたミランダが立っている。

「おかえりなさい。……無事で良かった」

 彼女は影王に視線を移し、驚きを隠せない。「その子が……?」


「影王だ。だが敵じゃない。話を聞け」


 ミランダは頷き、帳簿を机に置いた。


 応接室に集まり、長机を囲んだ。

 ダロスは壁にもたれ、十人は左右に分かれ、影王は背筋を伸ばして座る。ガルドは俺の後ろに影のように立った。



影王の過去


「最初に、私のことを」

 影王は口を開く。


「私は名前も家もない子でした。ある日、兵に縄で繋がれ、広場に立たされました。泣けば殴られ、倒れれば引きずられ……。

 その時です。“王が来る”と誰かが叫んだ。影が落ち、縄が切られた。手を取ってくださったのは……リムロード様でした」


 その声は震えていた。

「王は私を起こし、『走れ』と。私は走りました。背後で兵が倒れ、火が上がる。……それが最後の記憶です。その後、私は“魂の匣”の副作用で歳を取らなくなり、制約だけが残りました」


 影王は目を伏せる。

「孤独でした。けれど、あの日の『行け』という声が、私を支えました。だから私は歩き続けた。行き場をなくした子を集め、井戸の裏や空き倉庫に隠し……それが最初の組織です」


 ミランダが小さく息を呑んだ。


「列強に潰されそうになれば別の勢力を取り込み……生き延びました。ですが、色が濁った。甘さで縛る“香妃”。正しさで締める“牙侯”。二人を取り込んだことで、私は頂点の一人でありながら、逆らえぬ立場になりました」



対抗策


「香妃は香と宴で人を縛ります。恩を与え、拒めぬほど甘くしてから切る。孤児院や施療院にも金を出すから、人々は頭を下げる」

「牙侯は兵糧と街道を握る。正しさで人を縛り、見せしめで恐怖を与える」


 影王の説明に、シオンは机に紙を広げた。

「ならば対抗策を。香妃には匿名の依頼と報酬を。孤児院や施療院に仕事を回し、代価を払う。恩ではなく“当たり前”を積むのです。牙侯には先回りを。倉庫を整え、街道を掃除し、橋を補修する。彼より“正しく”すれば、兵は迷います」


 ミランダが頷く。

「帳簿は私が隠す。寄付ではなく仕事の対価に変える。それで香妃の鎖は薄れる」


 ダロスが笑った。

「噂は俺が潰す。困ってる奴を目の前で助けりゃいい。派手にゃやらん。積み重ねるだけだ」


 影王も言葉を足す。

「私は“内”を案内できます。香妃の倉の隠し机、牙侯の倉庫の鍵。扉の場所は私が示す」


 対抗策は、どれも正しかった。

 だが――。



真っ向勝負


「全部、いい。全部やる価値がある。けど――先にやるのは別だ」

 俺は立ち上がり、言った。

「真っ向から、香妃に会う」


 部屋が静まり返る。

 最初に反対したのはミランダだ。

「無茶よ!香妃は笑って近づいて、手を取らせてから鎖をかける。正面から行けば、全部“恩”に変えられる!」


「そうです!」シオンも声を上げる。「遠巻きに支援を回し、線を作ってから切るべきです!今は真正面は危険です!」


 影王も低く言った。

「王を香妃に近づけるのは……おすすめできません。彼女はまず王を取り込もうとする。宴、名誉、同情、街の声……何もかもを贈り物に変える」


 反対の声は当然だ。

 だが俺は譲らなかった。


「避けて通るなら、誰が救える。俺は王じゃない。ただのテイマーだ。けど、“弱い者を先に守る”って決めた。街を縛る鎖の根元を、避けたまま切れるわけがない」


 沈黙が落ちる。

 ダロスが「はあ……」と天井を仰ぎ、笑った。

「ほんっと、お前は真っ直ぐだな」


 俺は影王を見た。

「香妃に伝えろ。俺が会うと」


 影王は息を呑み、深く頭を下げた。

「……命に代えても、お連れします」



決意


 その夜、作戦は整えられた。

 香妃との会談中、街では匿名の支援を流し続ける。噂は潰し、倉庫は整え、孤児院には朝食が届く。十人は外周に立ち、刃は抜かないが線を守る。


 明け方、影王が戻った。

「返答が届きました。明後日、白薔薇の間。茶会。『おひとりで』と」


「行く」


 短く答える俺に、誰も笑わなかった。

 けれど全員が分かっていた。

 ここを避ければ、何も救えないと。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ