第3話 拒絶の街、芽吹く光
谷底の夜
月明かりが崖の上に引っかかり、谷底には影ばかりが落ちていた。
勇者たちに突き落とされ、ドウマは血に濡れた体を岩の陰で休めていた。胸の内では、小さなスライム――リムルードが淡い光を放ち、かすかな鼓動を彼の心臓に重ねている。
「……一人じゃない」
言葉にすれば、かえって哀れにも響いた。だが、それでも胸に寄り添う存在があるだけで、心は辛うじて折れずに済んだ。
谷底を抜け、川伝いに下れば街道に戻れるはずだ。だがその先には再び人の街――。勇者に見捨てられた奴隷が受け入れられる余地など、果たしてあるのか。
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レヌスの街へ
二日後。ドウマは血と泥を洗い流し、よろめきながら再びレヌスの街門に辿り着いた。
鉄環は既に外されている。だが、その痕跡は首に赤く刻まれて残っていた。
門兵の視線は冷ややかだった。
「ギルド所属は? ……ない? なら辺獄の流民だな」
鼻で笑われ、荷車を通すついでに手を振られただけで終わる。
街中は熱と喧噪に満ちていた。酒場からは笑い声と油の匂い、石畳を踏む馬の蹄音。だが、ドウマに向けられる目は一様に厳しかった。
粗末な服、浅黒い肌、そして「アヴェルネ」の発音。
それだけで、「穢れた血」と刻印される。
――けれど、それでも依頼を得なければ生きられない。
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ギルドの拒絶
勇気を振り絞り、再びギルドの扉を押す。
前回は勇者の影に隠れていたが、今は一人。
酒と油の匂いが鼻を突き、笑い声が止む。
「……奴隷じゃないか?」「あれ、勇者の後ろにいたやつだ」
囁きが広がる。
受付の女性が視線を上げ、息を呑んだ。勇者と共にいた時、彼女だけがわずかな温度を向けてくれた人物だ。だが――。
「申し訳ありません。あなたに受けられる依頼はありません」
声音は硬い。周囲の冒険者たちの視線が突き刺さる中で、彼女一人が情を見せるわけにはいかないのだろう。
「……何でもいい。簡単な仕事でも」
ドウマの声は掠れていた。
「規則です」
冷たい言葉と共に、机の上から彼の存在を押し退けるように帳簿が閉じられる。
背後で笑い声が上がった。
「モンスターテイマーだとよ。竜でも連れてるのかと思えば、泥遊びか?」「せいぜい犬の餌でも探すんだな」
拳を握る。だが殴れば、即座に衛兵に連行されるだろう。
ドウマは唇を噛み、静かに背を向けた。
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森の依頼
その夜、裏通りで出会った一人の老婆が声を掛けてきた。
「……あんた、仕事を探してるんだろ」
老婆は薄汚れた依頼書を差し出す。正式なギルド案件ではなく、ただの私依頼だ。
「森で家畜を狙う獣を追い払ってくれ。ギルドじゃ相手にされん」
わずかな銅貨。それでも生きる糧にはなる。
ドウマは頷いた。
「やろう」
翌朝、森の奥へと足を踏み入れる。
瘴気は薄いが、影の多い鬱蒼とした森だ。
やがて、獣の唸りが耳に届いた。
【フォレストウルフ Lv3】
二匹の狼が、畑に迷い込んだ家畜の骨を齧っている。
ドウマは震える声でリムルードに囁いた。
「……行けるか」
スライムの小さな体が、胸元から跳ねて地面に落ちた。
狼たちが鼻を鳴らし、透明な体を嘲るように睨む。
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初めての共闘
リムルードは震えながらも前へと進む。
牙が閃き、鋭い爪が振り下ろされる。
「避けろ!」
ドウマの叫びに応えるように、スライムの体がぎりぎりで弾んだ。かすめた爪で表面が裂け、粘液が飛び散る。
「リムルード!」
ドウマは咄嗟に【識別の瞳】を開く。
――レベル:Lv1(安定)
――核損傷:軽微
まだ……生きている。
狼の牙が再び迫る。ドウマは石を掴み、必死に投げた。かすりもしなかったが、狼の意識をわずかに逸らした。
その瞬間、リムルードが体を弾ませ、狼の顔面に覆いかぶさった。
「……っ!」
鼻と口を完全に塞ぎ、ぬるりと粘膜に吸い付く。
狼は狂ったように地面を転げ回り、爪で必死に引き剥がそうとした。だが、柔らかい体は裂けてもすぐに形を変え、離れない。
数十秒。やがて獣の動きが鈍り、瞳から光が消えた。
ドサリと音を立て、狼は地に伏す。
もう一匹のフォレストウルフは怯えたように吠えると、森の奥へ逃げていった。
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進化の兆し
静寂の中、【識別の瞳】が淡く光る。
――リムルード Lv2
――状態:安定
――進化可能性:微弱覚醒
「……やったな、リムルード」
ドウマは膝から崩れ落ち、震える手で小さな仲間を抱き上げた。
スライムは疲れたように小さく揺れ、それでも嬉しそうにドウマの手に身を預けていた。
勇者たちに切り捨てられたドウマと、最弱のスライム。
だが、この瞬間、二人は共に一歩を踏み出した。
森の風が吹き、木漏れ日が光を落とす。
リムルードは胸の前で弾み、彼に誇らしげな鼓動を返した。
「行こう、リムルード。俺たちの道を」
谷底から拾い上げた小さな命が、確かに彼を導いていた。




