第23話 路地に落ちる影、アヴェルネの名で
朝の支度
翌朝。鍛冶通りでもらった刃の癖を、裏庭の丸太相手に確かめていた。
薄く、よく馴染む。手首の返しに合わせて、リムルードの膜が“滑らない”よう微細な皺を立てる。(いい きもち)
「お前が気に入ったなら、当たりだ」
「主、門前の通りの空気がざわめいているでござる」
小屋の戸口に立つガルドが、金の瞳で往来をかすめる。
嫌なざわつき――昨夜ミランダが言っていた“妙な薬”の噂が、少し広がってきている感じだ。
刃を納め、俺たちは街へ出た。
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露店の“酔い覚まし”
昼前、露店の列の端。手押し車の上に灰色の瓶を並べた三人組が、通行人に片っ端から声を掛けていた。
「ほらよ、宿酔いに効く“灰露”。一本銀貨一枚、今だけだ」
言葉に合わせて、手元の瓶がほんのり紫に濁る。見た目は効きそうだが、匂いが悪い――薬草ではなく、刺激臭の混合。飲めば逆に体を冷やし、動きを鈍らせる類だ。
識別の瞳を細める。淡い光が走る。
――【行商人(偽薬売り) Lv17】
――【用心棒(短剣) Lv24】
――【用心棒(棍棒) Lv23】
……もう一人、いるな。
通りの陰。布屋の軒の影に、フードを深く被った影。そちらに視線を滑らせた瞬間、光がぶれる。
(識別……が、ぼやける?)
Ωを見たときに近い“空白”。名前も職能も、何も拾えない。
目が合った。
フードの奥から、声だけが滑ってくる。
「――ドウマ。辺獄の血。話がある」
ぞわり――背の汗腺が一斉に開く。
この距離、このざわめきの中で、俺の名と出自を当てるか。
「主、どうなさる」
「近寄らせるな。表でやる話じゃない」
リムルードが薄く膨らみ、膜の裏で冷気を練る。(いやな におい)
偽薬の連中が、俺たちの視線を追って気づいたらしい。用心棒二人が、人垣を押し分けて寄って来る。
「おいテイマー。売り物の邪魔だ」
「ギルド届出は?」
「関係ねぇ。俺らは“灰縄”の後ろが――」
「その名、通りで言うな。臭いが強くなる」
短く切ると、用心棒の目が吊り上がった。
ラチはあかない。街中だ、最短で終わらせる。
「来る」
俺と同時にガルドが一歩出る。金眼がきらり――斜め上から差し込む光を、敵の利き手の付け根へ“指す”。
半拍、筋が“固まる”。0.5秒。今のガルドに出せる、確かな“止め”だ。
俺は止まった短剣の手首を払って角度を殺し、リムルードが柄を吸い留める。もう一人の棍棒には、膜が砂の幻粉を弾き、視界の端を白く乱した。
体勢が崩れたところへ、足で棍の腹を踏み落とす。
「寝てろ」
短剣が落ち、棍棒が転がる。二人は呻き声を残して沈んだ。
……問題は、影だ。
軒の陰のフードは、まだこちらを“観て”いる。識別は拾えないまま。Ωのときと同じく、数値も役も浮かばない。
「辺獄の同胞よ」
滑らかな声が、人の流れの上に張られる。
「お前は“こっち側”に立つべきだ。ギルドは“人間の秩序”だろう。お前らに本当の席はくれない」
「……誰に教わった口だ」
「“灰月”。アヴェルネのための“月”。お前に“居場所”を寄越そう」
言うだけ言って、影はくるりと身を返す。
逃げの動きに無駄がない。屋台の屋根から屋根へ、物音ひとつ立てずに渡っていく。
「ガルド」
「承知――《金眼・瞬視》!」
金の光が屋根の影を刺す。が、止まらない。
0.5秒すら、奪えない。
影は、振り返りもせず、通りの流れに溶けた。
残った偽薬売りは、俺たちのやり取りを見て青ざめ、瓶と台車を投げ捨てて四方へ散った。
通りに溜息が戻ってくる。
俺は鼻を鳴らし、落ちた瓶の一つをつまみ上げた。紫の液が陽に透ける。(からだに わるい)
「ミランダに渡す。街警にも」
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灰縄の札
ギルドの裏口。ミランダに偽薬の瓶と、用心棒の身元を記した書付を手渡す。
「助かる。薬は調合師に回すわ。――“灰縄”って聞いたの?」
「ああ。もう一つ、“灰月”」
ミランダの眉がわずかに跳ねた。「書類上は“存在しない”はずの名ね」
「存在してる。しかも、俺の出自を握ってる」
「……狙ってきたのね」
「ああ。『こっち側に来い』と」
ミランダは短く息を吐き、扉越しに上席係官室へ視線を送ってから、俺へ向き直った。
「気をつけて。あなたは“功績でカードを得たハンター”であると同時に、“彼らの欲しい象徴”でもある」
「象徴なんざ、やる気はない」
「それでいい」
その時、ガルドが小さく手を挙げた。
「主、これを」
彼の掌には、薄い金属片。路地で短剣の男の首紐にぶら下がっていた、小さな札だ。泥にまみれていたが、拭うと三日月に縄目の刻印――灰色の月に、絡みつく縄。
「“灰月”の印、でござるな」
「預かる」
ミランダは札を布に包み、書庫へ向けて足を返す前に、俺の目をじっと見た。
「一人で動かないで。――約束」
「わかった」
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二度目の声
夕方。通りの端で串を受け取ろうとした時だ。背骨のどこかが冷たくなる。
――いる。
耳というより、骨が聞く種の声。
ふっと、屋根の上の影がこちらへ顔だけ向けた。顔は見えない。だが、笑っている気配だけが降りてくる。
「辺獄の同胞。月は、誰にでも光を分ける。ギルドも街も、お前を“必要”とはしていない」
「……必要かどうかは、自分で決める」
「ならば試そう。――今夜、旧倉庫街“南の三番”。月が高くなる頃、ひとつ、仕事を用意する」
「仕事?」
「助けたいなら助ければいい。見捨てたいなら見捨てればいい。どちらでも、お前の“選び方”を見せてくれ」
影はそれだけ言い、屋根の向こうへ消えた。
識別の瞳は、やはり何も拾えない。
Ωほどの“圧”はない。だが、同じ質の“空白”――術式で塗りつぶされているのか、格差で届かないのかは判然としない。
「主」
ガルドが、金の瞳を細める。
「先ほどの“瞬視”、効かなかったでござる。拙者の及ばぬ相でござった」
「殺しに来た感じじゃない。だが、誘っている」
「罠の匂い、濃いでござる」
(いく?)
リムルードが小さく問う。核が淡く、沈むように脈打っている。
逃げ回る相手は、街にとっても、アヴェルネにとっても、放っていい相手じゃない。
「……行く。だが、俺たちのやり方で」
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南の三番倉庫
月が屋根の上に乗った頃、倉庫街は人の気配を奪い取ったみたいに静かだった。
板壁に染みついた古い穀物の匂い。錆びた鎖のきしみ。足音を消した三人で、約束の“南の三番”に近づく。
(まえ に いきおと)
「鼠じゃない。人だ」
倉庫の隙から、鼻に刺さる薬臭。昼間の偽薬より、ずっと強い――“混ぜ物”の素。ここで仕込み、露店に流していたか。
扉の前に影が立つ。昼間のフードとは別の二人だ。識別の瞳を走らせる。
――【調合師(闇薬) Lv25】
――【護衛(槍) Lv28】
見える。見えるが――その奥、梁の上。
“何も見えない”影が、薄い笑みの輪郭だけをこちらに向けている。
「来たな、辺獄の同胞」
「条件は」
「簡単だ。――この調合師を、街警に突き出すか、見逃すか。お前が選べ。どちらを選んでも構わない。俺は“見ている”」
「……意味のある遊び方をしろ」
「意味はお前が決める。さぁ」
護衛が槍を構え、調合師が袋を手に一歩引く。袋の中には紫の粉――水に落とせば街路に拡がる。逃げ道作りの煙幕だろう。
「ガルド」
「うけたまわった。主は正面を」
「リムルード、左へ回り、粉を“凝固”できるか」
(できる)
槍が突き出される瞬間、ガルドの金眼が光る。
利き手ではなく、踏み足の“膝”。0.5秒の“止め”。
その半拍で俺は槍の穂先の角度を内へ落とし、板壁に縫い付ける。木と鉄が嫌な音を立てる。
「次」
調合師が袋を割ろうと腕を振り上げる。リムルードが飛び、膜で粉の周囲を包む。ふわり、と散る前に、湿った“塊”へ変える。(つかまえた)
「上出来だ」
護衛の肘を払って床に沈め、調合師の肩を壁に当てて封じる。街中だ。殺す必要はない。逃がすわけにもいかない。
「街警に渡す」
「――選んだか」
梁の上から、声だけが落ちる。
「惨いな。辺獄の同胞を、同胞に突き出すのか」
「同胞? ――街に毒を流すやり方は、俺の“同胞”のやり方じゃない」
「正義はいつも、少数者の喉を焼く」
「正義かどうかは、今決めなくていい。だが“これは駄目”は、今決める」
言い切ると、梁の上の気配が一瞬だけ静まった。
「……面白い」
影は笑う気配だけ残し、屋根裏へと引いた。
金眼が追う。だが、やはり止まらない。影は倉の梁から梁へ、音もなく遠ざかっていった。
足元では、護衛が観念して顔を伏せ、調合師が壁に額を当てて肩を震わせている。
ガルドが静かに言った。
「主。此度は、“見せる”選びでござったな」
「見せる?」
「拙者なりの言葉でござる。――主がどちらへ歩くのか、街にも、裏にも、示したでござる」
遠くで夜警の槍が石畳を叩く音が近づく。
「渡そう」
⸻
報告と余韻
夜半、ギルドの裏口。ミランダは扉を開けたまま、俺たちの顔と縄で縛った二人を見比べ、短く頷く。
「街警に引き渡す。……影は?」
「識別できない。Ωほどじゃないが、同じ質の“空白”だ」
「記録に残す。“見えない敵”がいるときは、決して単独で動かないこと」
言葉はきっぱりしているが、瞳はわずかに柔らかい。
「……よく、選んだわね」
「選ばれさせられた気もする」
「それでも“選んだ”。それが大事よ」
ミランダが街警への引き渡し手続きを進める間、ガルドが小声で囁く。
「主。先ほどの影、金眼が届かなかったでござる。――拙者、まだ弱い」
「俺もだ。だから、伸ばす。お前も、俺も、リムルードも」
(のびる)
柔らかな声に、胸の芯が少し温かくなる。
手続きが終わり、裏口の冷たい夜気に出たところで、屋根の上から、ひゅ、と細い何かが落ちた。
掌に滑り込む小片。昼間の札とよく似た、しかし刻印が違う。縄ではなく、三日月を切り裂く細い刃の刻印。
――“灰月”からの、次の合図だ。
「読むな。今は」
「承知」
札は布に包んで腰袋へ。背中に、誰かの“視線”がまだ乗っている気がしたが、振り返らない。
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小屋の灯
小屋に戻ると、夜は深く、湯気は白い。
干し肉と豆のスープに、今日もらった固パンを浸す。リムルードの膜がほんのり温かく、ガルドは黙々と椀を空にする。
「主」
「ん」
「拙者、今日の“止め”――半拍を、もう一拍、伸ばしたいでござる」
「伸ばそう。だが、止められない相手もいる。今日みたいにな」
「承知。それでも、“届く日”を、拙者は疑わぬでござる」
(とどく)
椀を置き、札の感触をもう一度だけ確かめる。
“灰月”。アヴェルネの名で誘い、水面の下で笑う影。
ギルドの“表”と、アヴェルネの“裏”。どちらにも、俺の名前が投げ込まれた。
「……選ぶのは、こっちだ」
小さく呟くと、ガルドが「主の選びを護る。それが拙者の“道理”でござる」とだけ返した。
リムルードがぽん、と跳ねる。胸の核は穏やかに光り、夜の小屋に三つ分の呼吸が満ちていく。
外で、夜警の槍が石畳を一度、軽く叩いた。
街の夜は長い。
けれど俺たちは、もう怯えて眠る夜を捨てた。
――次に来る“月”を、俺たちのやり方で迎え撃つために。




