第22話 街が受け入れる音
昼下がりの往来
昼の鐘が二度、石畳の上を転がっていった。
露店通りは、油で照らした革靴の匂いと、焼き串の香りと、笑い声でいっぱいだ。
俺は鍛冶通りへ向かう。背には柔らかな重み――リムルード。腰の鞘は、こないだ研ぎ直したばかりで、歩くたび控えめに鳴く。
(きょうは なにを たべる?)
胸元でぷるりと跳ね、リムルードが訊く。
「腹は仕事のあとだ。刃の点検が先」
(……すぐに おなか すくのに)
「知ってる」
斜め後ろを、フードを目深にかぶった小柄な影がついてくる。金の瞳が一瞬、露店の揺れる布と子どもの足取りを測るように瞬いた。
「人の波、狭い路は死角が多い。――気を張れ」
「心得たでござる」
ガルドの声音は、出会った頃よりもずっと落ち着いている。
言葉はもう拙さが抜け、どこか凜とした響きが宿った。
金眼は嫌われる。だが、今は堂々と前を見て歩いている。俺が保証し、この街が少しずつ認め始めているからだ。
鍛冶通りにて
鍛冶屋の門戸は、今日も熱気で白く揺れていた。
片腕を油で黒く染めた親方が、俺を見ると顎をしゃくる。
「おう、ドウマ。約束の刃はできてる」
「助かる」
差し出されたのは、薄造りの短剣。軽い。手首の返しに素直に付いてくる。
「リムルードに合わせた曲率だ。膜で包んでも“滑らない”ように目を荒くしてある」
(……すき)
リムルードがうっとりと刃を撫で、親方がわずかに笑った。
「……あの金目は、今日も来てるのか」
作業台の影から、若い職人の視線がちらりとガルドに向く。
俺は短く頷いた。
親方は肩をすくめる。「害意があるのは人間のほうだ。……ま、気をつけな」
受け流す調子。半年前なら出なかった温度だ。
街の中で、ほんの少しずつ、手触りが変わっている。
噂の粒
店を出ると、通りの角で菓子屋の老婆が手招きした。
「おや、あんた。前に荷運びを手伝ってくれたろう」
「覚えててくれたのか」
「忘れるもんかね。――ほら、蜜菓子。あの子にも」
包みを手渡され、俺は礼を言って一つをガルドに渡す。
金の瞳がぱちりと瞬き、ぎこちない仕草で受け取った。
「……甘い」
(あまい!)
通りの向こうで、誰かが囁く。
「金眼だ……」「でも、ギルド保証の“眷属”だろ」「ダロスが『同業に唾を吐くな』って」
混じるのは恐れと好奇と、少しの安堵。
悪くない混ざり方だ。
ギルドの敷居
昼過ぎ。ギルドの扉を押すと、木梁に張り付いた酒と汗の匂いが落ちてきた。
ざわめきは止まらない。誰も大声で罵らない。視線は刺さらないわけじゃないが、もう矢のようには飛んでこない。
「ドウマ」
カウンターの向こうで、ミランダが軽く手を挙げる。
その表情は、最初に会った頃よりずっと柔らかい。仕事の顔の奥に、淡い笑みの影がある。
「刃の受け取りは済んだ?」
「ああ。親方の仕事は早い」
「よかった。それと――今日、君あてに追加の確認依頼が一本。緊急じゃないけど、街中の対応になるから共有だけ」
ミランダが示した紙には、雑な文字で“最近、露店で『酔い覚まし』と称する妙な薬を売る連中がいる”とあった。
商品は偽物、争いの火種になる可能性。ギルドは街警と連携して、狩りの合間に目を光らせる――そんな内容だ。
「裏の者、か?」
「はっきりはしない。……でも、可能性は高いと思うわ。」
ミランダの目は真っ直ぐだ。
俺は短く頷いた。「気をつける」
路地の角で
ギルドを出て、露店通りの端を回り込んだ時だ。
酒樽を台車に積んだ若い荷運びが、段差でつまずき、大樽がごろりと転がりだした。
行く先には、荷籠を抱えた少女。気づいていない。
(あぶない)
リムルードが即座に飛び、透明な膜を伸ばして樽の勢いを殺す。
だが樽の慣性は重い。膜がきしむ。
「――ガルド!」
「承知!」
金の瞳がきらりと光る。
視線が樽の中心に“刺さり”、一拍――ほんの半瞬、重さの向きが鈍る。
(《金眼》の“瞬視”。動きを刹那に止める)
その瞬間、俺は樽に肩を当て、リムルードが膜越しに衝撃を受け流す。
重たい丸い影は、軋む音を残してぴたりと止まった。
「……助かった!」
荷運びが額の汗を拭い、少女が何度も頭を下げる。
ガルドは目を伏せ、「怪我なきが何より」と短く言った。
少女は金の瞳を見て、少しだけ迷ってから、小さな声で言う。
「ありがとう、ゴブリンさん」
ガルドの耳が、ほんの僅かに赤くなった。
夕餉前の影
その少し後。香辛料の屋台の前で、小競り合いが起きた。
旅装の三人組が、店主の言い値に食って掛かっている。
その背中には、擦り切れた外套に隠しても目立つ柄――短剣と手斧。
識別の瞳を細める。淡い文字が浮いた。
――【流れ者(斧使い) Lv26】
――【流れ者(短剣) Lv23】
――【流れ者(棍棒) Lv22】
「値段を下げろ? 原価が高いんだよ。沼道が荒れててな」
「ハッタリ吹くなよ婆さん、俺たちが“教えて”やる」
棍棒が持ち上がった瞬間、ガルドが一歩前に出かけ――俺は袖を掴んだ。
「待て」
「……主は、止めるのか」
「順番だ」
俺は屋台と連中の間に立つ。
「それ以上やるなら、ギルドと街警に行く。今なら引けるぞ」
斧使いの男が鼻で笑った。「アヴェルネの小僧が正義面か」
軽く肩を竦める。「俺は『飯を邪魔されるのが嫌い』なだけだ」
言い終えるより早く、男が斧をずらし、空気がひりつく。
リムルードが低く唸り、膜を薄く膨らませる。(こいつら きらい)
「――来るぞ」
ガルドの声。
金の瞳がわずかに細まり、視線の矢が斧の男の利き腕へ走る。
半拍。男の肩が“固まる”。
俺はそこへ踏み込み、手首を払う。
斧の角度が逸れ、リムルードが柄に絡んで吸い付き、路面へぺたんと封じた。
「次」
短剣の男が跳び込む。
短剣の刃が胸元を掠める前に、リムルードが微細な砂のような“幻粉”を散らし、視界の端を白く弾く。
迷った視線の隙に、俺は柄頭で顎を打ち上げ、男は膝から崩れた。
棍棒が振り下ろされる。
ガルドが前へ出るのではなく、半歩“奥”へずらす。
ほんの刹那、金眼が棍棒の要――握りの親指へ光を置き、握力が抜ける。
落ちた棒に、彼は触れない。ただ足先で路面へ転がし、俺の前を空けた。
「……やめとけ」
俺が言うと、斧の男は――舌打ちし、倒れた二人の袖を掴んだ。
「覚えてろよ、テイマー。お前らみたいなのが、街の空気を悪くしてる」
去り際に、ちらりと金の瞳を睨む。
ガルドは黙って見返した。ただ、視線は穏やかで、怒りの色はない。
屋台の婆さんが、しわの奥の目を細めた。
「ありがとよ。金は取らないよ。だが、心づけは受け取っておくれ」
差し出された串を、俺は一度断り、結局三本ぶんだけ代金を置いた。
夜のギルド
日が落ちる頃、ギルドは再び熱を帯びた。
報告窓口で簡易書類に記入すると、ミランダが顔を上げる。
「露店の件、書き添えてくれて助かる。街警に回す」
「あの流れ者たち、根が同じかもしれない」
「ええ。目は配る」
彼女はガルドに視線を移し、ほんの少しだけ声音を落とした。
「――今日は、ありがとう」
ガルドはおどおどせず、短く会釈した。
「恩を売ったつもりはない。……ただ、主の“飯”の邪魔は許さぬでござる」
ミランダが「ふふ」と笑って、引き出しから包みを出す。
「なら、これは“仕事後の甘いもの”。三人で」
包みを受け取り、踵を返すと――梁の影で腕を組む大男と目が合った。
ダロスだ。
あの無骨な面構えが、わざとらしくそっぽを向く。
「……悪くない立ち回りだったな」
「見てたのか」
「見てねぇ。音でわかる」
「便利な耳だ」
「お前もいずれ分かるようになる」
言ってから、ダロスは視線をガルドへ移した。
「その金の目。よく研いでおけ。斬るためだけじゃなく、守るためにも使える」
「肝に銘じるでござる」
短いやりとり。それだけで充分だった。
彼がわざわざ近寄って言葉を置いた――それが、この支部の“答え”だ。
小さな救い
ギルドを出ると、路地から泣き声が聞こえた。
行ってみると、木箱の陰で小さな男の子が膝を抱えている。
そばに倒れた木製の玩具。車輪が片方、折れていた。
「どうした」
子どもは涙の目で俺を見、そしてガルドを見るとびくりと肩を震わせた。
ガルドは一歩下がる。
俺はリムルードに目配せする。(なおす?)
「できるか」
(できる)
膜が細く伸び、折れた車軸を包む。木の繊維がしっとりと“つながり”、車輪がふたたび回った。
「……直った!」
子どもが笑い、ガルドを見上げる。
ガルドは視線を落とし、ゆっくりと膝をついた。
「怖がらせて、すまぬ。――帰り道は、あちらでござる」
子どもは頷いて、玩具を抱え、何度も振り返りながら駆けていった。
俺は肩の力を抜く。
「……こういうのが、一番効く」
「同意でござる。剣より甘いものより、心の傷に効く薬があるとすれば――こういう顔でござるな」
言いながら、ガルドの耳はまた、ほんの少し赤かった。
夜気と三人分の足音
帰り道。
夜気は冷たく、街灯の灯が水面みたいに揺れていた。
屋台の湯気、酒場の笑い声、遠く煙突から出る煙。
半年前、俺はこの音のほとんどに“棘”しか感じなかった。
今は違う。
棘はまだある。だが、掌でそっと避けられる程度の棘だ。
リムルードが、ガルドが、俺の“幅”を広げてくれたから。
(きょう たのしかった)
「疲れた、だろ?」
(たのしかった)
ガルドが続ける。
「拙者も、悪くなかったでござる。……主が、笑ったから」
俺は苦笑して肩を竦めた。
「そんなに笑ってたか」
「笑っていたでござる」
リムルードがぽん、と跳ねる。(わらってた)
小屋の扉を開ける。
テーブルの上に、ミランダからの包みを置いた。
紙を開くと、中には胡桃と蜂蜜の焼き菓子。
三つ。ぴったり三つ。
「分けるぞ」
(はんぶん!)
「半分は一人二つだ」
(……さんにん だから わけられない)
「じゃあ、俺が少なめでいい」
「いけないでござる。主が一番よく動いた」
「誰が見ても、今日は三人だった」
そう言って、俺は一番小さい欠けた一片を摘まんだ。
甘さが舌に広がる。さっき直った木の玩具の車輪みたいに、胸のどこかが軽く回り始める。
――街が受け入れる音は、喧噪の中に紛れて聞こえづらい。
けれど、確かに鳴っている。
扉の蝶番の小さな軋み、焼き菓子を割るかすかな音、三人の足音。
その全部が、“ここにいていい”という合図に聞こえた。
灯を落とす直前、ガルドがぽつりと言った。
「主」
「ん」
「拙者の“金眼”、まだ未熟でござる。だが――もっと遠くを、静かに見通せるようになりたい」
「見通した先で、何をする」
「守るでござる。主と、仲間と、――この街を」
静かな誓いに、リムルードの核がやわらかく光った。
俺は短く息を吐き、笑ってうなずく。
小さな小屋に、三人分の呼吸が満ちていった。
外では、夜警の槍が石畳を一度、軽く叩く。
街の夜は長い。
でも、俺たちの夜は――少し、温かい。




