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第14話 正義のかたち

奢りの誘い


 模擬戦の熱がまだ石畳に残っている気がした。

 包帯を巻き直していると、背後から影が落ちる。


「腹、減ってんだろ。ついて来い。奢りだ」


 振り向けば、巨斧の男――ダロスが顎で路地を示していた。

 ざわつく広間の視線が背中に刺さる。さっきまで俺を子ども扱いしていた連中が、今は距離の測り方を探っている。受付嬢はほっとしたように小さく息を吐いた。


 外は夕暮れ。雲の底が赤く煤け、街路の露店から香辛料と肉の匂いが漂う。

 ダロスは慣れた足取りで裏通りを抜け、煤けた看板の食堂へ入っていった。中は薄暗いが、炉が近くて暖かい。煮込まれた骨の匂いが腹を刺激する。


「座れ。肉の皿、二つ。黒パン厚め、スープは塩強めで」


 店主が軽く会釈していく。俺は少し身構えた。奢りだなんて、どうしても裏がある気がしてしまう。

 ダロスは腕を組み、天井の煤を見上げたまま言った。


「気を抜け。今日はもう斧は振らねぇ」


「……わかった」


 木製の椀にスープが注がれ、湯気が立つ。最初の一口で、胃の奥が熱く広がった。

 リムルードが胸の内側でぴょんと跳ねる。……あったかい――ぼんやり、そんな気配が伝わってきて、思わず口元が緩んだ。


なぜ立ち上がる


 肉が運ばれてくると、ダロスは骨ごと掴み、豪快に齧った。骨髄がとろりと溶け出す音がやけに生々しい。

 やがて、彼は骨を皿に戻し、まっすぐ俺を見た。


「さっきの話だ。……なんで、あそこまで立つ?」


 火のはぜる音が間を埋める。俺はパンをちぎり、スープに沈めた。

 答えは、薄い膜の向こうでずっと擦れていた。


「立たなきゃ、何も変わらないからだよ」


「変えたい“何か”ってのは?」


「アヴェルネの現状。……笑うか」


「笑わねぇよ」


 ダロスは即答した。からかう色は、なかった。

 俺は息を吸い、吐いた。言葉を選ぶ余裕なんてない。素直に、真ん中を差し出すしかない。


「俺の国は、瘴気の縁にあって、いつだって後回しにされる。『穢れ』って言葉一つで、仕事も、宿も、命だって軽くなる。俺は、誰かが決めた重さをひっくり返したい。

 ――だから、立つ。倒れても、何度でも」


 胸の奥でリムルードが震え、うんと短く頷くような脈を打つ。

 ダロスはわずかに目を細め、パンを割った。


「なるほどな。筋は通ってる。だが――」


 そこで一度、彼は言葉を噛んだ。肉と一緒に、言いにくい何かも噛み潰すみたいに。


正義は一つじゃない


「正義は、一つじゃねぇ」


 火の粉がぱちぱちと跳ね、赤い光が皿の縁で踊る。

 ダロスは指を一本立てた。


「アヴェルネ出身は、この街でも、他所でも“まともな職”につけねぇことが多い。理由は単純だ。雇えば嫌う奴が大勢いる。揉め事が増える。商いが冷える。

 荒い話だが、現実だ。で、必然的に――裏に流れる」


 もう一本、指が立つ。


「闇ギルド。人身売買の元締め。シマを持つマフィア。……トップに座ってるのは“お前らの同郷”が珍しくねぇ。

 押し流され、底に沈んだはずの連中が、別のルールの上では上に立つ。『食わせる正義』『家族だけは守る正義』ってやつだ」


 言葉の温度が下がっていく。

 ダロスはスープを喉に流し込み、静かに続けた。


「だがな、そいつらの“正義”で、人生を狂わされた奴らも山ほどいる。売られた子ども、臓物だけ抜かれて捨てられた死体、復讐の連鎖。……俺は現場で何度も見た。

 お前の正義は確かにある。奴らの正義も、奴らにとっちゃ確かにある。

 正面からぶつけると、血の海になる。話は、単純じゃねぇ」


 肉の皿が急に重く感じた。

 “俺の国を救う”“差別をひっくり返す”――それだけを握り締めて走ってきた足に、泥が絡みつく。


「……じゃあ、俺はどうすればいい。何もせず、目を逸らせって?」


「言ってねぇ」


 ダロスは首を横に振る。焚き火の光が、その横顔の古い傷を照らした。


「ただ、敵と仇を同じにすんな。刃を向ける相手を選べ。

 『アヴェルネを抑圧する正義』の側にも、飯を食わせるために手を汚してる奴がいる。逆に『アヴェルネを救う正義』の旗の下でも、金と名誉に酔って、人を踏む奴が出る。

 正義は旗じゃねぇ。手の跡だ。どこに残すかで、中身が決まる」


 言葉が、腹に落ちた。熱いのに、冷や汗が背を伝う。

 胸のリムルードがきゅっと縮む気配を送ってくる。怖い――でも、逃げない、と。


彼の過去、俺の今


「……ダロス。あんたは、どうしてそんな話を知ってる」


「俺も若いころ、裏の現場にいたからな。護衛のはずが、運ぶのは箱じゃなく人間のほうだった――なんてことも、ある」


 言い捨てた声音は、乾いていた。

 きっと彼もまた、何かを見て、何かを捨て、何かを背負ってここにいる。


「だから言う。お前の気持ちは否定しねぇ。むしろ好ましい。だが、まっすぐ殴るだけじゃ、また新しい“抑圧”を作る。

 斧は使い道を誤ると、味方の足を斬る。お前の“纏”も同じだ」


 俺は拳を見た。さっきまで血で滑っていた指先は、もう温かいスープで湿っている。

 この手で、何を穿つ。誰を守る。どこまで届く。


「……それでも、俺はやる」


 言葉が口から出るまで、少し時間がかかった。

 ダロスがうなずく。どこか、安堵の混じったうなずき方だった。


「いい目だ。そう言うと思ってスープを塩強めにした。覚悟の味だ」


「そんな味があるかよ」


「あるさ。塩っぽくて、喉が痛くなる」


 ふっと笑ってしまう。笑える余地が、まだあった。

 笑えるうちは、きっと折れない。


指で描く地図


「具体的には、どうすればいい」


「今のお前がやるべきことは単純だ。稼いで、信頼を積む。依頼を選び、結果で黙らせろ。

 それから――裏の筋に足跡を残すな。足を掬われる」


「裏を潰す、じゃなくて?」


「少なくとも今は無理だ。潰せば別の頭が生える。首一つ落としても、胴体が太い。

 だから、関わらない。関わらずに済む“路”を太くする。そうすりゃ、あっちに落ちる奴が少し減る。

 いつかお前が“路を作る側”になったら、その時に初めて、裏の水脈ごといじれ」


「路を……作る側」


 初めて聞いた言葉の並びだった。だが、不思議と胸の奥に灯がともる。

 リムルードがぽうっと核を光らせ、胸中で輪を描いた。歩ける。歩ける。歩ける――幼い意思が、波のように押し寄せる。


「歩くよ。俺は」


「なら、まずは明日も依頼に出ろ。派手じゃなくていい。『あいつに頼めば済む』って街に思わせろ。

 正義は“評判”にも宿る。綺麗事みてぇだが、これが現実だ」


 ダロスは骨を皿に置き、最後の一切れを俺に寄越した。

「食え。若い奴が痩せてるのは見てて腹が立つ」


「……ありがとう。奢り、ってのは伊達じゃないんだな」


「男に二言はねぇ」


別れ際の約束


 店を出ると、夜風が食堂の匂いを洗い流していった。

 街路の灯りが点り始め、人の影が伸び、小さな笑い声が軒先に生まれる。生きている街の温度だ。


「ドウマ」


 呼ばれて振り返る。ダロスは斧の柄に手を置いたまま、短く言った。


「倒れるな。――倒れていいのは、倒れた先で掴める何かがある時だけだ」


「……わかった。倒れたら、何か掴む」


「そうだ。で、掴んだら立て。立ったら、また歩け」


 言葉は簡単で、たぶん一番難しい。だけど、歩き方としては正しい。

 俺はうなずき、拳を胸の前で軽く握った。リムルードが内側から叩き返す。こつん。合図だ。


「明日、受ける依頼を見に行く」


「見に行くだけじゃねぇ。受けろ」


「はは、そうだった」


 別れてから、石畳をしばらく歩いた。あえて遠回りをして。

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