第12話 峡谷の罠と巨躯の影
塩漬け依頼を選ぶ理由
Ωが王都に戻ってから、ギルドの空気は少しだけ変わった。
監査官の名のもとに「アヴェルネ出身だから」というだけで依頼を禁じる声は消え、表面上は他のハンターと同等の扱いを受けられるようになった。
――だが、視線の冷たさは変わらない。
依頼板の前に立つと、周囲のハンターたちがひそひそと囁く声が耳に入った。
「またアイツが来たぞ……」
「どうせすぐ死ぬ」
「Ωの後ろ盾があるからって、調子に乗ってんだ」
俺はその声を無視して札に目を走らせる。護衛や採取、調査――どれも手堅い依頼ばかりだ。
それでも俺は、隅の方に貼られた札に手を伸ばした。
「……これにする」
長らく放置され、紙が黄ばんだ“塩漬け依頼”。
南方の峡谷に現れた魔物討伐。
報酬は割増――だが危険度も相応に高い。
「どうしてそれを?」受付のミランダが問いかける。
「早く強くなりたいんだ。安全な依頼を繰り返しても、今の俺じゃ何も変わらない」
言葉に迷いはなかった。リムルードが胸の中で震え、同意の気配を返してくる。
ミランダは一瞬だけ目を伏せ、それから依頼を受理した。
「……必ず生きて帰ってください」
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巨躯ゴブリンとの遭遇
峡谷に入って三十分。
湿った風が吹き抜け、岩肌の割れ目からは瘴気が薄く漂っていた。
小競り合いはすでにあった。通常の【ゴブリン・スカウト Lv8】や【ゴブリン・アーチャー Lv9】。
倒すごとにわずかに手応えは感じたが、脅威と呼べるほどではない。
だが、茂みをかき分けて現れたその影を見た瞬間、息を呑んだ。
通常のゴブリンは一メートルから一・四メートルほど。子供の背丈に毛が生えた程度で、数と小回りが武器の雑兵。
だが、目の前の個体はまるで別物だった。
――【ゴブリン・シールドファイター Lv35】
背丈は二メートル半を優に超え、丸太のように膨れ上がった腕と胸板はまるで岩壁。
巨大な盾が太陽を遮り、棍棒は鉄塊を叩き伸ばしたような威圧感を放っている。
視線を向けられただけで、全身の筋肉が緊張した。
(……これが上位個体。雑兵とは次元が違う)
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即席の罠
俺は峡谷の岩板に目を落とす。
風雨で層になり、脆くなった板状の地面――そこをリムルードの糸で薄く裂いておいた。
巨体が全力で踏み込めば、崩れるはずだ。
(誘い込む……一瞬の隙を作るんだ)
俺は挑発するように一歩下がり、手を広げて見せる。
怒気に駆られたシールドファイターは突進してきた。
その足が罠を踏み抜いた瞬間、乾いた破砕音が響く。
片足がずぶりと沈み込み、体勢が崩れる。
(今しかない!)
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苦戦と必殺
盾を弾き、棍棒を肩で流し、膝裏へ蹴りを叩き込む。
巨体がガクリと沈むが、それでもなお立ち上がろうとする。
(なら、必殺を――!)
俺は拳にリムルードを纏わせる。
クロコダイル・アバスを倒した一撃――〈纏・穿突撃〉。
全力で突き上げるが、厚い盾と体幹が衝撃を殺し、致命傷にはならなかった。
「まだ効かないのか……!」
続けざまに〈纏・衝破撃〉を叩き込む。
拳から圧縮した衝撃が放たれるが、格上の巨躯は踏みとどまった。
息が荒くなる。未完成の技――まだ通じない。
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息を止めろ
俺は咄嗟にリムルードへ指示を飛ばした。
(あの巨体……呼吸を止めろ!)
リムルードが膜を広げ、シールドファイターの鼻と口を覆う。
ぐぐっともがく巨躯。棍棒が暴れ、岩が砕け散る。
確かに数秒は呼吸を塞いだ――だが次の瞬間、凄まじい肺の膨張で膜が弾け飛んだ。
濃厚な瘴気を含んだ息が吹き出し、俺の体まで震える。
「……やっぱり効かないか」
通常の獣なら窒息させられる。だが、この巨躯は肺活量も筋力も桁違い。
リムルードの力は万能ではない――それを思い知らされた。
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汎用性の発見
矢が落ちている。
さきほど倒したアーチャーの残したものだ。
「……使えるか?」
リムルードの糸で矢を盾に括りつけ、崩れた岩を弦のようにしならせて撃ち出した。
即席の弓矢が放たれ、シールドファイターの側頭部をかすめる。
巨体がよろめいた。
(そうか……リムルードの力は攻撃だけじゃない。罠、補助、変形……汎用性こそ最大の武器なんだ!)
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最後の一撃
俺はもう一度穿突を構える。
だが、今回は真正面からではなく――リムルードの糸で盾の縁を裂き、僅かな隙を作った。
「今だ!」
拳が顎を撃ち抜く。
巨体がのけぞり、岩壁へ叩きつけられた。
地響きが峡谷を揺らし、砂煙が舞う。
やがてシールドファイターの瞳から光が消え、動かなくなった。
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戦闘の余韻
膝をつき、息を荒げながらリムルードの核に触れる。
温かな脈動が、静かに答えてくる。
【ドウマ Lv18】
【リムルード Lv18】
(……やっと倒せた。最後はリムルードの“形を変える力”が勝敗を分けたんだ)
未完成の必殺技では通じない。
だがリムルードの汎用性を駆使すれば、どんな格上にも隙はある――。
その確信が、胸の奥で灯のように燃えていた。




