第1話 奴隷の仲間
世界の影
大陸を覆うのは四つの巨人――列強四国。
神聖国ルミナリア、魔導帝国オルドニア、武門国家ヴァルダン、商業連邦ヴァルディス。
彼らは互いに睨み合いつつも、外へは同じように牙を剝いた。鉱石も薬草も穀物も、そして人間さえも資源として搾り取られる。
辺境の果て、辺獄国アヴェルネはその最たる犠牲地だった。
罪人の末裔、流民、亜人……列強は彼らを**「穢れた血」**と呼び蔑んだ。
その嘲りは常に外から浴びせられる。徴税官が吐き捨て、兵が踏みにじり、商人が値切るときに。
近年、アヴェルネでは瘴気が異常に濃くなり、魔物の氾濫が相次いでいた。
資源供給が滞れば列強の利益にも影響が出る。そこで四国は珍しく意見を揃え、勇者パーティを辺境へ派遣した。
名目は辺境救済、実際は資源確保と勇者の威光を宣伝するための遠征。
こうして――勇者がアヴェルネに現れた。
⸻
少年ドウマ
ドウマはアヴェルネの炭焼き村に生まれた。
十五の歳、祠で職業判定を受けたとき、水晶が告げたのは――【モンスターテイマー】。
同時に副次スキル【識別の瞳】も判明した。
対象を見れば、**「レベル」や「基礎的な情報」**が淡く浮かぶ力。
便利ではあるが、直接の戦闘力にはならないため、周囲からはほとんど価値を認められなかった。
本来ならモンスターテイマーは竜や魔神を従える夢の職業。
だが彼が呼び寄せられたのは、川辺の小さなスライム、傷ついた鼠、片翅の小鳥ばかり。
強き魔物は振り向きもせず、寄ってきたのは弱き存在だけだった。
村人は罵りはしなかった。だが期待が失望に変わり、静かに距離が生まれる。
――「外れ」
その烙印が、胸に重く刻まれた。
それでもドウマは弱き魔物に手を伸ばし続けた。
弱いからこそ守りたい。
それだけは、誰に笑われても揺るがない。
襲撃の前触れ
近頃、村人たちの顔には常に影が差していた。
森の中で家畜が消え、畑の端に狼の足跡が残り、夜には瘴気の匂いが漂う。
魔物は本来、決まった縄張りから出ない。だが瘴気が濃くなると境界が崩れ、集落を獲物とみなすようになるのだ。
「また畑を荒らされた……。麦も芋も半分は踏み荒らされて、もう食いつなげん」
「昨日は見張りに立ってたグレンが……腕を食いちぎられたんだ」
「夜に子どもが外に出たら、今度こそ殺されるぞ」
囁きは怯えを越え、絶望の色を帯び始めていた。
実際、幼い少年が井戸へ水を汲みに行った帰り、瘴気に誘われた狼に襲われ、肩口を裂かれた。
大人たちが必死で引き剥がしたから助かったものの――ほんの一瞬遅ければ、命はなかっただろう。
血の匂いがまだ土に染みつき、村人たちはそれを嗅ぎ取った獣が次に来るのを悟っていた。
「次は誰が喰われるのか」、その予感が村全体に重くのしかかっていた。
村の男たちは粗末な槍を持ち、女たちは水桶や松明を手にした。
みんな戦う覚悟を決めていた。
ドウマも例外ではない。だがレベルは一、呼び出せる魔物は弱いものばかり。胸の奥で怯えを噛み殺すしかなかった。
そして、その夜――。
月明かりを裂くように、森の奥から重い足音が迫った。
**【オーク・ウォリアー Lv34】**を先頭に、十数体の群れが姿を現す。
家畜小屋を狙う巨体、棍棒を振り上げる影。
悲鳴が夜気を切り裂いた。
村人たちも黙って逃げはしない。
槍を突き出す若者、鍬を振り下ろす農夫、火を掲げる男――。
だがオークの群れには力不足だった。槍は折れ、鍬は弾かれ、松明は叩き落とされる。
地に転がった村人の叫びが、夜に溶けていく。
「誰か、止めろ!」
「もう持たない!」
混乱の最中、誰かが指を突きつけた。
「お前、モンスターテイマーだろ! 魔物を使えるなら戦えよ!」
「そうだ! 役立たずでもいい、行け!」
怒声と焦燥に押され、ドウマは突き飛ばされるように前へ出た。
背中に槍の柄が当たり、視線が集中する。
喉がひりつく。逃げ場はなかった。
ドウマは震える手を掲げ、唯一呼び出せる眷属を現す。
――ぽたり、と泥が広がり、小さな影が揺れる。
【スライム Lv1】。
弱々しく震えるそれを前に立たせ、ドウマは歯を食いしばった。
(俺だって怖い。……けど、もう逃げられない)
⸻
勇者たちの来訪
そのとき、夜闇を裂いて駆ける影があった。
勇者一行――。彼らは数日前からこの村に滞在していた。瘴気異常を調べる任務の途上、この村が魔物に怯えていると聞き、立ち寄ったのだ。
村人たちは救世主の来訪に歓喜し、粗末ながらも宿を用意していた。
そして今、襲撃の報せを聞きつけ、彼らは焔の中に現れた。
•勇者アレクト=ヴァルディス
聖剣の加護を受ける人間至上主義者。冷徹な計算で動く。
•聖女セラフィナ=ルミナリア
聖光治癒の奇跡を振るうが、「不浄は救えぬ」と線を引く。
•大賢者ハイデン=オルドニア
万象解析の魔導で進化を研究対象とする冷徹な学者。
•武人グラディウス=ヴァルダン
戦鬼解放を操る猛者。「力こそ正義」を信じる。
彼らを見た瞬間、ドウマの副次スキル【識別の瞳】が自動的に働き、数値が浮かぶ。
――【勇者アレクト=ヴァルディス Lv97】
――【聖女セラフィナ=ルミナリア Lv84】
――【大賢者ハイデン=オルドニア Lv91】
――【武人グラディウス=ヴァルダン Lv103】
桁外れの強さ。だが――まだ上限には遠い。
人間種の最高値は二五〇。
過去、列強四国の建国王たちはすべてその壁に到達し、それ以上に進んだ者は存在しない。
二五〇は「人間種の究極の壁」。
勇者たちはまだ道半ばにある。
それでも――【ドウマ Lv1】から見れば、到底届かぬ天上の存在だった。
⸻
覚醒の可能性
村を襲うオークの群れに、ドウマは必死に立ち向かった。
スライムを前に出し、泥を蹴って飛び込む。
しかし棍棒の一撃で弾かれ、地に転がる。息が詰まり、視界が揺れる。
その頭上を、アレクトの聖剣が光の弧を描いた。
**【勇者アレクト=ヴァルディス Lv97】**の一閃。
オークの首は容易く刎ね飛んだ。
差は残酷だった。数字が示す現実は、戦う前から結果を決めていた。
「無様だな」
グラディウスは吐き捨てる。
「……ふむ。ここまで低位の魔物と契約を維持しているテイマーは見たことがない。
逆説的だが、異常値ほど研究には価値がある。観察対象としては興味深いな」
ハイデンは冷徹な眼差しでドウマを見下ろす。
「彼の魂に救いはないでしょう。けれど……神が与えた最後の試練なら、結末を見届ける義務はあります」
セラフィナの声は慈悲と冷徹を同時に含んでいた。
アレクトは短く息を吐き、剣先を下ろさぬまま言った。
「……古い記録を読んだことがある。モンスターテイマーは本来なら我々に並ぶ強者。だがその才は眠ったまま終わることが多い」
炎に照らされた瞳が冷徹に光る。
「ただ――稀に、自身の危機によって“覚醒”する例があるとあった。
生死の境に追い詰められたとき、弱き眷属と共に進化の扉を開いた、と」
彼はドウマを見据え、声を切り裂くように続けた。
「ならば、この男を連れていく価値はある。
覚醒しなければ奴隷のまま切り捨てればいい。だが、もし覚醒すれば――我々の戦力に加わる」
「英雄様、外れは切り捨てるべきだ」
グラディウスが唸る。
「切り捨てるのはいつでもできる」アレクトは冷ややかに言った。「連れていく。ただし奴隷としてだ。覚醒しなければ――その時こそ捨てる」
こうしてドウマは勇者パーティに加わった。
仲間としてではない。監視対象の奴隷として。
⸻
辺獄の村、救出任務
数日後。瘴気に覆われた別の村で、狼型の魔物が群れを成していた。
――【瘴狼 Lv28】
――【瘴狼 Lv31】
【識別の瞳】が次々と数値を示す。
「任せろ!」
【武人グラディウス=ヴァルダン Lv103】が拳で群れを砕き、
【大賢者ハイデン=オルドニア Lv91】が雷で群れを焼き、
【聖女セラフィナ=ルミナリア Lv84】が祈りで村人を癒す。
そして――【勇者アレクト=ヴァルディス Lv97】の聖剣が一閃し、戦いは終わった。
村人たちは歓声を上げ、勇者の名を叫ぶ。
その外で、【ドウマ Lv1】は血泥を掃き集めていた。
「ははっ、見ろよ。勇者様が村を救う横で、奴隷は泥掃除か」
グラディウスが鼻で笑い、棍棒代わりの腕でドウマの肩を小突いた。
「魔物を従えるテイマー様が聞いて呆れる。泥にまみれたスライムと、泥にまみれたご主人様……似たもの同士だな」
村人の歓声に混じって、その嘲笑だけがやけに冷たく響いた。
ドウマは唇を噛み、下を向くしかなかった。
⸻
道中の仕打ち
その後の旅路で、グラディウスの態度は苛烈を極めた。
休憩中、ドウマが水袋を口に運ぼうとすれば――拳が飛んできて顎を打ち抜かれる。
「油断すれば死ぬ。これくらいで潰れるようなら不要だ」
焚き火を囲んだ食事の時間。
分けられた干し肉を受け取ろうとした瞬間、グラディウスはそれを奪い取り、地面に投げ捨てた。
「犬っころにでも食わせとけ。奴隷には骨で十分だ」
泥に落ちた肉片を、ドウマのスライムが小さく震えながら吸い込む。
それを見た村の子どもが眉をひそめると、グラディウスは鼻で笑った。
「見ろ。魔物も奴隷も、泥を舐めて生きるのが似合いってもんだ」
拳と嘲笑。
「死なない程度」に叩き潰すその仕打ちは、仲間扱いなど程遠い。
ドウマが立ち上がるたび、背筋には痛みが走った。
それでも彼は、スライムを守るように膝を折り、決して背を丸めなかった。
⸻
追放の影
夜、篝火を囲む勇者たち。
「覚醒の兆しは?」
グラディウスが問う。
「まだだ。だが、統計的にゼロではない」
ハイデンが答える。
「彼の魂に救いはない。ですが、神の試練の結末は見届けねばなりません」
セラフィナが静かに告げる。
アレクトは静かに視線を巡らせた。
「次の任務までだ。覚醒しなければ――切る」
「……くだらん」
グラディウスが舌打ちし、立ち上がる。
「こんなガキに手間を割くなど無駄だ。今ここで斬り捨て――」
その瞬間、聖剣が抜き打ちに閃き、グラディウスの首筋へ冷たい光が触れた。
「――俺が連れていくと決めた。お前は黙れ」
アレクトの瞳は氷のように冷たい。
「この少年が死んだら、お前の命で償わせる」
「なにっ……!」
グラディウスが怒声をあげ、剣を抜いた。篝火の炎が火花を照らす。
刹那、剣戟が交錯する。だが勝負にすらならなかった。
アレクトの一閃は風を裂き、グラディウスの剣を根元から弾き飛ばす。
続く衝撃で大地が割れ、炎が揺れた。
剛腕を誇るグラディウスですら、地に膝をつき血を吐くしかない。
剣先が首筋に突きつけられる。
その刹那、グラディウスの顔色が蒼白になった。
「……す、すまない。頭に血が上っちまった……許してくれ」
大柄な男が膝を折り、必死に懇願する。
アレクトは無言だった。
ただ冷徹に相手を見下ろし、長い沈黙ののちに剣を引く。
焔の影が揺れる中、場を支配していたのは――言葉ではなく勇者そのものの威圧感だった。
セラフィナは静かに祈りを紡ぎ、ハイデンは目を細めてその力を解析するように見つめていた。
篝火の揺らめきに照らされながら、ドウマはただ震えていた。
自分は奴隷。だがその命すら、勇者の一言と剣先に左右される。
鉄環の冷たさが喉を締めつけ、未来は闇に沈んでいく。
――追放は、すぐそこに迫っていた。
⸻