八
想定よりも重症者が少ない
「それは良いのですけれど。」
新たな患者を連れてきたのはジークフリートだった。
こうして顔を合わせるのは一週間ぶりとなるから色々と尋ねたところ良い知らせだった。
それは良いのだが………
患者を看護師に任せたところでフォルセティはジークフリートを座らせた。
「フォルセティ様?」
「ジークフリート様、お食事は?」
顔色も悪ければくまも酷い
背筋は伸びているし覇気もあるがそれは有事だからと気を張っているからだろうことは明白だった。
「身体は資本ですから食べてますよ。」
「恐れながら発言してもよろしいでしょうか?」
控えていたレオが軽く片手を上げた。
「ええ。」
「レオ!」
「ありがとうございます。ジークフリート様は食べてはいますが仕事をしながら片手でつまんでいる状態です。」
己の主人を華麗にスルーして報告をしたレオの姿勢は崩れず、その言葉以外は完璧な補佐官であり、執事である。
「お眠りには?」
「徹夜に足をかけている状態と申し上げます。」
す、とフォルセティが視線を戻せば深緑は所在なげに揺らめいた。
「身体は丈夫ですから。」
「ジークフリート様。」
「はい。」
「今は非常事態であり、お忙しいのも存じております。ですが、先の見通しも立たない状況でもあるのですから余力は残しておくべきでは?」
「はい。」
びしりと背筋を伸ばして素直に返事をするジークフリートにフォルセティは目元を和らげた。
「何より、周りも心配します。」
「え、と…」
「私も心配ですから少し眠りましょう?」
己の主人の意図を汲み取ったシシーが視界の端で部屋を出ていくのが見える。
「ね?ジークフリート様。」
出来ればベッドで、と思うもののこの隊舎には病人のための寝具しかない。
一番寝心地が良さそうなものがフォルセティが座る長椅子で、これだってこの隊舎の応接室のものだから休息用のそれではない。
けれど、ジークフリートが腰を下ろしているのは先程レオが持ち込んだ木の椅子で背もたれこそあるが、余計に休息用ではないし、当然休めるそれでもない。
ほぼフォルセティの私室となっているこの部屋には他には腰を下ろすものはない。
つまりは選択肢などないのだ。
「ジークフリート様、こちらへ。」
長椅子の隣を示せば、彼の人は勢いよく立ち上がった。
「フォルセティ様!その、私は!」
「私の隣はお嫌ですか?」
冗談のつもりでそう笑ったのだが、ジークフリートは言葉にならないのか大きく首を振ると長椅子に腰を下ろした。
「お昼は召し上がりましたか?」
「あ、はい。」
いつも毅然として、落ち着いているのに今は背筋こそ伸びているものの視線も声も忙しない。
それが可愛らしくてフォルセティは緩みそうになる口元を引き締めようとした。
「何を召し上がったのですか?」
「パンと、」
「パンと?」
「パンと……ハムと野菜を。」
「サンドイッチですか?」
「あ、はい!」
なるほど、とりあえず食べてはいるのか
いろいろと言いたいことはあるがとりあえず、とフォルセティはシシーが静かに、けれども有無を言わさずレオを部屋から連れ出したことを確認すると、やはり二人きりになったことに気づいて慌てて立ち上がろうとするジークフリートの袖をつまんだ。
「ジークフリート様?」
お座りなさい、と言外に滲ませた微笑みにジークフリートは腰を戻した。
「おやすみなさい。」
その言葉の後に続けるのはここ最近毎日唄う子守唄
柔らかな旋律に乗せるのは歌詞だけではなく、祈りと魔力
一番を歌い切ったところでフォルセティは自身に寄りかかって眠ったジークフリートを横たえた。
「シシー。」
扉を開けようとすればノブに手を掛けた瞬間に開かれるからフォルセティは静かに笑った。
「どうしたの?」
「どうしたのではございません。」
レオに一瞬視線をやったシシーは眉間に皺を一本刻んだ。
「二人きりで唄うなど……!」
「そうはいうけれど一番手早いでしょう?」
フォルセティが唄ったのは女神イルゼの子守唄
六番まであるこの歌は聖女が歌えばその歌を聞いた命あるものを眠りにつかせる
唄い手の力によって効力に差が出るこの唄はフォルセティの十八番だとシシーも知っているが……
「眠りにつく前は理性がなくなるのですよ!」
「動くよりも前に眠るでしょう?」
「普通はそうですがジークフリート様ですよ?」
子守唄への抵抗はそのままその生物の力量を意味する。
荒ぶるS級の魔物であればいくらフォルセティでも一番だけで鎮めるのは難しくなる。
「ジークフリート様が抵抗する理由もないでしょう?」
「抵抗はなさらないでしょうけれど他の危険がございます。お嬢様はご自身が未婚の乙女であるというご自覚はお捨てになられましたか?」
「未婚ではあるけれど乙女なんていえる年齢ではない自覚はあるの。」
さて孤児院へ向かわなければ、と足を速めたフォルセティは一瞬目眩を感じて足を止めた。
薬が届くまで恐らくあと数日
眠らせているとはいえ悪化は止められない。
フォルセティには精々眠らせて体力の消耗をおさえることと回復を促すことしかできない。
幸いなことといえば想定よりも感染者の数が少ないことと、回復者が多いこと
フォルセティだって少しはそれに役に立っているはずだ
だからまだ気を抜くわけにはいかない
薬が届いたところでそれが足りる保証もない
「帰ったら鍛え直さないと。」
といってもここを離れる予定など立っていない
この騒動を放置しては帰れない
きっとこのタイミングで火風邪が起きたことには意味があるはずだ
何らかのイルゼ様の思し召しなのだろう
「これは……」
孤児院での予定をすませ、他の施設へと移ったところでもう夕方だ
他の施設に比べ、軽症者が集められたここは回復者も出てきているとはいえまだ気を抜けない、と予定を全て済ませる頃には当たり前のように窓の外に星が見えていた。
さてもう一仕事、と外への扉を開ければそこにはジークフリートがいた。
「あら。」
微笑んで誤魔化してみたもののなんとなく気まずい
「どうかなさいまして?」
己の所業に悔いはないけれど騙し討ちのようになってしまったことは否めない。
かといって開口一番謝るのも……
「貴女へ急ぎの荷物が届いたのでお会いするついでに持ってきました。」
これ幸いとフォルセティは両手に乗るほどの包みを受け取った。
「わざわざありがとうございます。」
なんだろうかという疑問には手に馴染んだ重みが答えてくれた。
「ヴァンったら…」
彼女にはお見通しらしい
王都に帰ったらたくさんお礼をしなければ
「今晩は私が護衛をさせてください。」
とりあえずお茶会で好きなお茶とお菓子をたくさん用意して、と考えていればそんな申し出
思わず見上げれば目があった。
屋敷や隊舎まで一緒に戻るという意味ではない
ここ最近の己の動向はやはり知っていたらしい
「差し出がましい真似と……お気に障りましたか?」
火風邪が流行しだしてから毎晩フォルセティは森で唄っている。
唄うのはイルゼの子守唄
対象は魔物だ
その場しのぎではある上に続ければ魔物への警戒も薄れるし、余計の火種にもなりかねないから奨められはしない魔物避けの方法
それでもフォルセティがその手段をとったのは今は魔物への対応などよりも優先するべきものがあると判断したからだ。
「まさか!感謝こそすれ何を貴女を責める理由などあるわけがありません。」
嘘ではないのだろう
真摯な声は気遣いや世辞ではないと告げている。
けれどもジークフリートの瞳は険しい。
「ですがあまりにも貴女は働きすぎです。負担が多すぎる。」
「そうでしょうか?」
久しぶりに働いている感覚はあるが、働きすぎている気はしない。
「貴方より働いている人はいないでしょう?」
「私はここの領主ですから。」
さらりと気負うこともなく返された言葉こそが彼をたらしめているのだろう
桁違いに年若い彼が、積み上げてきたものが今のその言葉を作っている。
それにフォルセティは敬意を心から払うことができる。
「この土地の民は幸運ですね。」
魔物が多くても、王都から離れていてもこの土地が廃れていないのは彼が努めた証だ
「フォルセティ様?」
「この土地の要は貴方です。さ、私なんかに構わずお休みください。」
ここに来る余裕があるなら食事をとって休んで欲しい。
「伴にはシシーがおりますから。」
貴族令嬢(といってもそんな年齢ではないが)の一人歩きに問題があるというのはフォルセティもわかるからシシーを連れ回している。
「それにこれもあります。」
ジークフリートが持ってきてくれた包みから取り出してみせたそれ
通称イルゼの鈴、正式名称女神イルゼの聖鈴
鈴といっても猫の首につけるようなそれではなく純銀製の手鐘
聖女の道具の一つであるそれはフォルセティのお気に入りであったが、ちょうど整備に出していたし、何より必要になるとは思っていなかったから持ってこなかったのだ。
「貴女が一人でも何の問題もないのは知っています。」
やはり手に馴染む、と持ち手の感触を確かめていれば静かなそんな声がしたからフォルセティは視線を戻した。
「ですが私がいることで少しは負担を減らせる。」
「ですが……」
ジークフリートがいれば唄うことにだけ集中すればよいから負担は減るだろうが問題がある。
「強く唄いますよ?」
魔物相手に唄うのだから人間にとっても影響は出る。
「これでもそれなりに鍛えています。」
どうしたものか、とシシーに目をやれば侍女は恐れながら、と口を開いた。
「ものは試しにございます、お嬢様。眠るようであれば私が運びますわ。」




