七
「あら?一人少ないかしら?」
そんなフォルセティの疑問の通り、サンドイッチは余った。
「リオとキャロルは何か知っている?」
年少の世話を焼いていたリーダー格の二人に声をかければ二人は目を見合わせて頷きあうとリオが口を開いた。
「一緒にきてくれますか。」
微笑んで頷いたフォルセティが立ち上がろうとすれば手が差し出された。
「ジークフリート様?」
何故ここに?と疑問に思いはするがそれはあとだ。
残ったサンドイッチと水を手にリオの後に続けば小さな家に案内された。
「ここ?」
こくりと頷いたリオにフォルセティは礼をいうとノックをしたが当然のように返答はない。
けれど中に人はいる、とフォルセティが一瞬ためらっていると屋外まで聞こえるほどの咳が聞こえた。
「リオ!みんなに食事を待つように言ってきてくれる?」
「え?」
「早く!それからシシーに私の仕事鞄を持ってくるように伝えて。」
駆け出した背中を見送ることもなく、フォルセティはハンカチを取り出すと目の下から覆った。
「失礼します。」
返事を待つこともなく戸を開ければ、止まらない咳が響く室内は空気と熱がこもっている。
見回すまでもない室内の奥には小さな身体を寝台の上で跳ねさせる子どもとその側でぴくりともしない女性
「フォルセティ、火風邪にかかったことは?」
フォルセティが踵を返すよりも先にやはり鼻から下を覆ったジークフリートが覗き込んだ。
「あります。あなたは?」
「子供の頃に死にかけた程度には。」
「奇遇ですね。私もです。」
フォルセティが子どもを抱き起こせば、咳は徐々に治まっていった。
「意識は?」
反応はないが荒い息が女性の生存を示している。
「ないな。衰弱もしているから移動したいが…」
「ここは私が診ています。施設と治療の用意を。」
「しかし……」
「これでも火風邪の患者はよく診ていましたから。あと、場所さえ確保いただけたら隔離は私がします。」
時間がないという認識は共通しているという確信がある。
「患者はまだ増えます。開けた場所さえあれば屋根はなくても大丈夫です。あと、寝具の調達をお願いします。」
「わかりました。」
夜までにはどうにかしてくれるだろう
「それよりも……」
火風邪
前女王陛下夫妻をはじめ、多くの人の命を奪った感染症
身体を跳ねさせるような重く、長く続く咳から始まり、その名の通り火のような高熱が数日続き、また咳……と繰り返す
幸いなことに根治術ではなくとも、治療法は見つかったがそれも効能があるのは初期までであり、2度目の熱を迎えることができる患者はほぼいない
昨日までこの子はお昼を食べにきていたからまだ初期だろう
「あ……っ」
咳が落ち着いた子を横にし、身じろいだ女性を自身によりかからせるようにしてから口元に水を持っていく。
「少しずつ飲んでください。」
友人の治癒なら体力の回復も叶うがフォルセティのそれにはそんな特化能力はない。
「お子さんは大丈夫です。今は自分のお身体のことを。」
水を飲む力はあるようだったから水を全て飲ませ、子どもの横に寝かせた。
「お嬢様。」
戸の向こうからかけられた声にフォルセティは静かに口角を緩めた。
「シシー、お水はあるかしら?」
「はい。鞄もこちらに。」
訪問を告げる言葉の後に室内に入ったシシーは、茶を入れたカップを主人に渡した。
「バスケットにお茶と蜂蜜、熱冷ましをとりあえず入れてきました。」
「ありがとう。お茶を飲ませたら寝かせるから。」
「では御婦人には蜂蜜を。」
女性に小瓶の蜂蜜を舐めさせ、お茶を数口含ませるとシシーは立ち上がった。
「人払いをしております。」
「ええ。」
窓も戸も閉めてから紡ぐのは子守唄
苦痛が和らぐように、少しでも回復するように、良い夢をみられるように、と祈って歌う。
「ありがとう、シシー。」
「いえ。」
扉の前に立っていたのはシシーだけではなかった。
「リオ、キャロル、ありがとう。」
子どもに似つかわしくない険しい顔をした二人にフォルセティは微笑んだ。
「あなたたちが教えてくれたから間に合ったの。」
だから、
「また、教えてくれる?」
ジークフリートが用意したのは軍の宿舎の一棟だった。
講堂の半分を病室とし、近くの部屋を医療者の待機場所としてある。
「火風邪に罹患したことがある者を集めていますが、何人かは患者の移送に回す予定です。」
「でしたら私はこちらで皆さんのお世話と隔離を。」
「隔離を?」
見てもらったほうが早い、とフォルセティは寝台が寄せられている側に歩み寄ると軽く周りを見てから一つ手を打った。
「結界の応用ですか。」
魔力量が多かったり、操作に熟練していれば視認できる淡い薄青のベール
「はい。」
本来であれば外からの物理的もしくは魔的もしくはその両方の攻撃等を防ぐ結界
それを改良して内側からも漏れないようにしたものだ
「出入りは結界を解かなくてもできますが私と触れている必要があります。」
例えば、とフォルセティは軽く拳でベールを叩いてみせればせせらぎの様な音と共に空間が揺らいだ。
視線で促せばジークフリートもその付近にそっと触れた。
そのままフォルセティはジークフリートに触れかけて、一瞬躊躇った後その袖を軽く掴んだ。
途端に壁に添えられていたような手がその抵抗を失った。
「今、私たちがいるのが内側です。外から内に入るには触れている必要はありません。一つお部屋ができたとでも考えてください。」
「わかりました。境界をわかりやすくするために何か印を置きましょう。」
「強度はあまりありませんからぶつかっても大丈夫です。でも皆さんの良いようにしてください。」
魔力量が多ければ視認も出来るし、少し操作を変えれば見えるようにしておくことも出来るが消耗も大きくなる。
町中の感染者ということもあり、これから先のほうが長くなることが目に見えている今、消耗は避けたい。
「結界からはどれくらい離れられますか?」
「離れることはいくらでも離れることは出来ますが私が離れると出入りに困りますから。」
今も患者の夕食を運んできた職員がどうしようかと困っているのが見える。
「いらしてくださいな。そろそろ二人とも起きると思います。」
「はい!失礼いたします。」
フォルセティが声をかければ職員はきびきびと食事を用意した。
「食後に薬をお持ちします。」
「あと、お水も多めに用意をお願い。」
「はい。」
「あと掛け布団と湯たんぽをお母様に。また熱が出るでしょうから。」
出入りの際にはフォルセティに触れている必要があるからまとめて動けるように、と考えたがそれどころではなくなった。
ジークフリートとフォルセティの予想通り翌日から一気に患者が増えたのだ。
「薬はどうしますか?」
各領地に多少は取り置きがあるとはいえ、限度がある。
ただでさえ火風邪の薬に使う薬草が生えている場所は少なく、まだ薬の量産に至っていない。
「昨日手配をかけましたが王都から届くまで時間がかかります。」
「十日ほどでしょうか?」
「恐らく。」
険しい顔で頷いたジークフリートは昨日、親子を保護してからずっと働きづめだ。
感染者の保護の対策を取り、医療品等設備を整え、患者を診る。
通常の仕事もあるのに、だ。
だがそんな働きがあったからこそこんなに短時間で感染者の治療と隔離を成し得ている。
「今ある薬は子どもと重症者にまわします。」
「でしたら他の患者には眠っていただきましょう。」
薬が出来るまでは火風邪は対症療法ばかりだった。
実際、軽症者や元々体力があればそれで治る。
子どもや虚弱者、他の病気があるものは重症化しやすいのだ。
今、特に症状が重いのは街の孤児
リオとキャロルも身体を跳ねさせるようにして咳をしている。
「熱冷ましや喉の薬は足りますか?」
「薬草はあるのでそちらは足りなくなることはないでしょう。」
そういえばオニキス領は薬草が豊富だった
「感染者はどれくらいになりそうでしょう?」
「少なく見積もって今の3倍、多くて5倍といったところですね。」
「ここだけでは足りませんね。孤児院予定のあちらを使ってもぎりぎりでしょうか。」
「子どもの患者は孤児院でも受け入れるようヒースマンが動いています。」
「ジョゼが?」
「子どもたちから話を聞いたようです。」
あの時広場に残っていた子どもの中には孤児院の子どももいた。
その子達から聞いた話でおおよその事態を把握して動けるとは流石に有能だ。
「子ども達がそちらに行けるとなると場所は確保出来ますね。」
口元を緩めながらフォルセティは呟いた。
「一度ジョゼとも話をしてみたほうがいいかもしれません。親がいる子どもを孤児院にいれるのは他の子どもたちが辛いでしょう。」
「そうですね。他の件と一緒に話しておきます。」
そんな会話をしてから一週間もたっていることにフォルセティは気づいた。
「驚いている場合ではございません。」
呆れと諦めとそれでも諦めるわけにはいかないという複雑な気持ちを器用にも全て表現してみせたシシーは食事の進まない主に眉を寄せた。
「いくらお嬢様が見た目の割に丈夫で意地っ張りでも限度はございます。このお夕食は全て召し上がっていただきますからね。」
「食べてるでしょう?シシーが気をつけてくれているし。」
確かに食事らしい食事はとっていない
というよりも時間がない
隔離のための結界が三箇所
それらを順に回っては眠りの歌を唄って、患者の世話を行い、指示を出し、冬の準備を進める。
「ビスケットとマフィンは食事ではございません。」
視線で食事をすすめるように促しながらシシーは続けた。
「そもそもエネルギー量が全く足りておりません。」
「減量にちょうどいいでしょうね。」
「お嬢様?」
「はい。いただきます。」
野菜を裏ごししたスープに蜂蜜とスパイスの入ったパン
シシーが指示したのだろうがフォルセティが食べやすく、かつ栄養価の高いメニューだ
これで肉なんか持ってこられたら手を付けられなかっただろう
「このパン、美味しい。」
「お口にあってようございました。寒い時期になるとこの領地でよく食べられるパンだそうです。」
「おやつなのかしら?」
「そのようですね。」
ふわりとした甘い生地をもう一口千切ったフォルセティだったがそれを口にするよりも先に立ち上がった。
「何人かしらね。」
「一段落したら召し上がってくださいね。」
それには答えず、フォルセティは止まった馬車音の元へと向かった。