六
「どんな色が咲くかしら。」
膨らんだ蕾は明日には花開くだろう
「白でしょうか?」
緑も豊かな蔓薔薇がやや小ぶりな黄色い薔薇を咲かせる脇を通った先にあるその苗はまだ小さく、茎も細い。
そんな薔薇をフォルセティとジークフリートが気にしているのは孤児院の子ども達からのお裾分けだからだ。
「楽しみですね。フォルセティ様は白薔薇がお好きですか?」
王都に使いを出してから早十日
散歩と朝食を二人が共にするようになったのと同じ日数だ。
「どの色も綺麗だと思いますけれど特に惹かれるのは黄薔薇ですね。」
「黄色い薔薇ですか?」
「ええ。白や赤、紫に桃色も素敵ですれけど黄色いや橙の薔薇はぽっと灯が灯ったみたいで。」
そういえば実家の薔薇も咲いただろうか?
ここでの滞在予定も半分に差し掛かるが予想よりもずっと快適に過ごしているし、仕事も順調だ。
王都から少し離れるがまた訪問してもいいと思うくらいには気に入っている。
「ジークフリート様?」
白と思われる色がわかる蕾を指先で撫でていたが、沈黙にフォルセティは振り仰いだ。
が、迂闊に振り仰いだことを後悔した。
視線が熱い
幼少期より見られることに慣れてはいるが、これまで向けられたことのない視線
敵意や害意ではないことはあまりにも明白だが何の感情が込められているか分からない
分からないのにひどく気恥ずかしい
そんな視線は時折感じてはいたがこんなにも真っ直ぐ見てしまったのは初めてでどうしたらいいかわからない
「それなら黄色と橙の薔薇を植えましょう。それからあちらの薔薇も。」
視線が件の薔薇に向けられたことでフォルセティは静かに息は吐いたが、視線の先に目を向けて短く息を呑んだ。
件の薔薇はフォルセティのここ最近の新しいお気に入りだった。
七色の光沢をもつ一重の白薔薇
美しいその蔓薔薇を気に入っていることをフォルセティは口に出したことはないはずだ。
「それとも他の花がいいでしょうか?」
私の好きな花を植えてどうするというのか?
そう内心で首を傾げていたフォルセティに朝食後に出かける支度をしながらシシーはそれはそれは大きなため息を吐いた。
それこそ耐えきれず、といった様子ではあるが、そのため息の大きさはそんな控えめなものではない。
「どうかしたの?」
「いいえ?なんでもごさいません。」
なんでもないため息ではない、とフォルセティが口にしたところで呆れた視線が返ってくるだけだろう
「そうそう、シシー。」
「なんでしょう?」
「ここのお庭にはどんなお花がいいかしら?」
返ってきたのは呆れるを通り越して冷たい視線だった
「お嬢様。お伺いいたします。」
「はい。」
仕上げ、と左耳の下辺りでレースを留め付け終えたシシーは鏡越しに仁王立ちをしていた。
「何故私の意見を?」
「ジークフリート様からこのお庭に植えるお花の意見を求められてね。」
「存じ上げております。」
「私の意見だけだと偏るでしょう?」
「それの何に問題が?」
屋敷を整えるのは女主人の仕事だ。
食料品や金銭の管理は当然として、調度品や家族の身なり、庭の誂えも全て女主人の仕事となる。
「だってジークフリート様が結婚した時に困るでしょう?」
「……はい?」
「どうしたってお相手の家格はわが家よりも下がってしまうのに他の婚約者候補の気配があったら不快でしょう?」
今ならまだ仕事で滞在していただけだととれる
「折角育ったお花を抜くのも可哀想なのだから万人受けするか、もしくは誰の趣味とわからないほうがいいでしょう?」
「お嬢様は今、どこのどなたの縁談でこちらに滞在しているとお思いで?」
「シシーだってまさかこの縁談が成立するとは思っていないでしょう?」
「残念ながらシシーはこの縁談は成立すると思っております。」
まん丸に見開かれた主の瞳にシシーは駄目押しとばかりに深く息を吐いた。
「さぁ、お時間にございます。」
飾り気の少ない白のブラウスに濃紺のスカート
目的地に着いたら揃いの上着は脱いで大きなエプロン
それがフォルセティのここ最近の格好だった。
布地も仕立ても最高級ではあるが飾り気のないその格好は仕事にちょうどいい
「フォルセティ様、こちらの確認をお願いいたします。」
「フォルセティ様、次はこちらを。」
冬までに新しい施設を整えなければならない。
運用を始め、ある程度は軌道に乗せるところまでは雪が降る前に……
だが、それよりもフォルセティの滞在期限のほうが先にくる。
「やはり少人数から先にはじめたほうがよいかなと思うのだけれどジョゼはどう思う?」
「賛成です。」
私財を使えば楽ではあるがそれでは先が続かない
永く続くシステムを構築しなければ、というのは今に始まったことではないからまだよい
問題は別のところにある
「今日のご飯ですよ。」
シシーと一緒にフォルセティが立つのは町外れの小さな噴水の前
先程まで側にいた軍人たちが運んできていた台車の上には簡素なサンドイッチ
最初の方こそ子どもたちはフォルセティがいるうちは近寄ろうとはしなかったが一週間を過ぎる頃、リーダーと思われる少年と少女がやってきたのを皮切りに距離が近づいた。
「ありがとう!」
「食べていい?」
卵かハム、そして野菜を挟んだサンドイッチと牛乳
それが行き渡った子どもたちは自然とフォルセティを囲むように座り込んだ
「みんな、あるかしら?」
「はい。」
「あります。」
食事の祈りをすることを教えたのはフォルセティだ
そして食事の間にこの国の神話を紡ぐことも……
「こうしてイルゼ様は夜を守ってくださるようになりました。」
この国を作った三姉妹の女神
長姉のイルゼは夜を、双子の妹のネルザとトルゼは昼を守ってくれている。
「お歌もあるの?」
「ええ。」
一つ頷いたフォルセティはお茶を一口飲むと歌物語を紡ぎ出した。
三姉妹の女神は歌舞曲も司る。
それもあって神話は、歌で、舞で、楽曲で語られる。
「続きは?」
「もう一回!」
それなりの長さの歌が終われば子供らは無邪気にそう笑うが年長者に宥められるようにして散っていった。
最初は単なる散策であったが思わぬ収穫となりそうだ、とフォルセティは立ち上がりながら静かに微笑んだ。
「お嬢様。一度お戻りください。」
「何かあったの?」
「王都から遣いがきたそうです。」
「あら。どちらの方かしらね。」
本当ならこの後孤児院に行く予定であったが変更したほうがよいようだ
このタイミングでの返答となると恐らくは、とフォルセティが予想をした通りだった。
予想外だったのは遣いの内容が手紙ではなかったこと
「あら。」
柔らかな紙に包まれた一輪の蕾
「ヴァンったら。」
思わず漏れた言葉にテーブル越しのジークフリートが身じろいだ。
「ジークフリート様。よろしければ少々試してみてもよろしいでしょうか?」
「試す?」
訝しげではありながらも頷いてくれたジークフリートとともにフォルセティが向かったのは紫の林檎が成っている木だった。
他の木々に比べれば若くはあるがしっかりと根付いた木の根元にしゃがみ込んだフォルセティは送られてきた蕾を深く土に差し込んだ。
「やっぱり咲いたのね。」
固く閉ざされていた緑の蕾は今では大輪の薔薇を咲かせていた。
「青い薔薇?」
「薔薇の形をしておりますが正確には薔薇ではないのです。」
話しながらもフォルセティは花を引き抜くと蕾が包まれていた紙で丁寧に包んだ。
「シシー、これを。」
「はい。」
後ろのシシーに手渡せば勝手知ったるとばかりに一礼すると踵を返した。
「王都にあれを送るのですか?」
「ええ。送ってくれた友人に調べてもらいます。」
彼女のことだからいくつかの仮説があるだろう
「そういえば紫の林檎の過去の資料がございますか?」
「ちょうど今日、お伝えしようと思っていたのですが……」
言い淀んだジークフリート曰く、あまり資料がないらしい
日常に根ざしている事象だから改めて記録をしていないのではないかというのはこの屋敷に仕えて長い執事長の言だそうだ
「そうなのですか?」
だがフォルセティが目を通した資料には林檎の発生年や大凡の分布、味まで記載されている。
「十分だと思うのですが……」
「全て一人のシェフの手記なのです。」
「シェフ?」
「本来であれば複数人が作成した資料のほうが信憑性があるのですが、他は日記のようなものしかない状態です。」
眉を下げるジークフリートにフォルセティは首を横にふった。
「いいえ。おっしゃることは分かりますけれど嘘偽りを記す理由もございませんもの。」
ありがとうございます、と軽く頭を下げたフォルセティはタイミングを計ったかのように戻ってきたシシーに頷いた。
「送れたかしら?」
「はい。よろしければお茶の用意をさせていただきます。」
「軽食のご用意もありますよ。」
お二人共昼を召し上がっていないでしょう、と続けたレオにジークフリートは立ち上がった。
「よろしければ……」
その言葉がお茶をさしているのか、それとも遠慮がちに差し出された手をさしているのかフォルセティはわからなかった。
わからないけれどどちらも断る理由もなかった。
「美味しい。」
本日の茶菓子は林檎のチーズケーキだ。
紅い煮林檎が入ったケーキは湯煎焼きをしたとのことで滑らかでありながら濃厚
下に敷かれたビスケットもアクセントになっている
「お褒めいただけてシェフも喜びます。」
「菓子だけではなく、これも。」
そうジークフリートが差し出した皿にはたっぷりの葉野菜とトマト、厚切りのベーコンが挟まれたサンドイッチ
美味しそうではあるが、少なくともフォルセティにとっては軽食ではない。
「お気持ちだけいただきます。ありがとうございます。」
「少し食べてみてください。あなたはあまりにも食べなさすぎます。うちの冬は厳しいので食べなければ危険です。」
「え?」
いつもならここで残念そうにしながら引き下がるジークフリートだったからフォルセティは思わず首を傾げた。
「急に食事を増やすのは負担でしょう?今朝方から冬に向かう風が吹いています。今から少しずつ量を増やしていったほうが……」
「これ以上丸くなれば見るに堪えなくなりますので。」
ころころとフォルセティは笑ってみせたが内心は疑問符だらけだった。
なぜ急に?
知識の上で冬は熱産生のためエネルギー消費が増えるとは知っている。
フォルセティのように魔力で多少の寒暖差には適応している人間なら尚の事だ。
「あなたの美しさはそんなもので損なわれることはありませんから食べてください。」
ジークフリートは至って真面目である。
「あの、ジークフリート様?」
熱でもあるのだろうか、と見返せばジークフリートは己のらしからぬ発言に思い至ったのだろう。
真っ赤になると誤魔化すように茶を飲み干した。