二
「趣味は悪くございませんが……」
ふう、と息を吐きながら己の主人の長い黒髪を丁寧に梳るシシーにフォルセティは苦笑するしかない。
「悪意は感じないでしょう?女手がないのだからこういったものではないかしら。」
少なくとも清潔で手入れは行き届いている。
「ごてごてと下品に飾るよりもずっといいわ。」
「明日にでも花を見繕って参ります。」
使われている調度品は一級品であり、手入れも申し分ない。
けれど飾り気はない。
それがオニキスの家風なのか、女手がないことによるものなのか、それとも礼は尽くすが歓迎はしていないという言外のメッセージなのかは判断はつかない。
マナーとして考えれば最後のそれが有力であるからこそシシーはぴりぴりとしているのだ。
「黄色いお花があれば嬉しいけれどあるかしら?」
アイボリーの壁紙にこっくりとした深い色の家具、布の系統は深緑
黄色ならば華やかになりすぎることもないだろう
「探してみますわ。」
髪を結い直し、タイと上着を替えて支度は終わった。
晩餐会ではなく、当主との食事会に近いのはありがたかった。
「苦労をなさっている方なのだからあまり厳しくみるものではないのよ、シシー。」
甘く、端正な顔立ちに名門の家柄
だというのに婚約者もいない
課された任やこれまでの経緯を踏まえればおかしくはないのだが、それでも両親もなく、当主として責を全うするには苦難も多いだろう
愛されなくとも、互いに尊重しあえたら嬉しいものだ
「少々甘くございます。」
「そう?」
迎えに来た執事に案内されて通された部屋には既にこの家の主人が待っていた。
表情が硬いのは緊張か警戒か性格か
どちらにしろするべきことは変わらない
そうフォルセティは内心で小さく息を吐くと笑みを浮かべた。
「お忙しい中お時間をありがとうございます。」
「いえ……レディ・サファイアもお疲れでしょう。」
「フォルセティとお呼びくださいな、オニキス卿」
「では私もジークフリートと。」
当主という立場がそうさせるのだろうか?
同年代の青年と比べ、ジークフリートはあまりに落ち着いている。
年齢を知らなければ同世代と思っただろうほどに物腰や言動は場数を踏んできた人間のそれだ。
これならば仕事の話もできるだろう
「ジークフリート様、明日ですが朝、お庭をお散歩してもよろしいですか?」
昼前に今後の相談を、と決めたところでフォルセティは切り出した。
「庭、ですか?」
「ええ。」
メインに添えられた蒸し野菜の美味しさに内心で驚きながらもフォルセティは頷いた。
ご飯が美味しくてよかった
少なくとも食べ物で困りはしないだろうし、それは大きい
「緑がとても美しいので。」
「楽しんでいただけるような庭ではありませんが、自由に出入りをいただき構いません。」
「ありがとうございます。」
許可は取ったし、と翌朝、早速庭に出たフォルセティは澄んだ冷たい空気を大きく吸い込んだ。
「気持ちがいいお庭ね。」
見たところ常緑樹の他にも植えられているようだ
各季節毎に楽しめるだろう
「ご機嫌が良いのはよろしいですが、もうお戻りください。」
「もうそんな時間かしら?」
「この屋敷の侍女が支度を手伝うと申しておりました。」
「それなら仕方がないわね。」
支度は既に終わっているが今後の滞在を考えれば侍女らと交流は持つべきだ。
到着した昨日は昨日でよく働いてくれてはいたがそれはそれ
流石に実家のフォルセティ付きの使用人を全員連れてくるわけにはいかないからどうしたってこの家の使用人にも動いてもらわざるを得ない。
「朝食は部屋に用意を、と申し付けております。」
「ええ。ジークフリート様とのお約束までは少し仕事をします。」
終えた支度の何を手伝ってもらうのかはシシーが算段をつけているだろう
それよりも今日中に何枚か書類を仕上げなくてはならない
こちらに来る前にある程度片付けてきたつもりだったが、不測の事態とは起こるものだ
しかし、嫁ぐとなればどうするか
嫁入りの予定などなかったから仕事を引き継ぐなどと考えていなかった
まあ、この縁談が固まるかはまだ分からないからいいか
「でも今後も不測の事態は起こり得るか……」
今回の縁談
陛下からの話ともなれば断れないと思っていたけれどもどうやら正式な話ではないらしい
陛下の顔もあるから顔合わせくらいはしなくてはならないがこの滞在が終わればきっと断られるだろう
それはそれでよいとして、私が病に倒れるとか何があるか分からない
指示を出せるのなら良いが時間差がでると良くないものもあるだろう
「いざとなればアメリア様辺りに引き継ぐか……」
次期女王のアメリア様かその婚約者辺りが理想
実際は行政が補助をしながら教会に委託になるだろう
それはそれで構わない
大切なのは目的が達せられること
そのためには組織の腐敗は許されない
横領や圧力等々、今はフォルセティがいるから防ぐことが出来ている部分を担っていただくのだ
王の名の下に、となれば抑止力は大きい
少なくとも先の見通しも立ってきたから王の名を掲げても悪いようにはならないだろう
「お嬢様、お時間にございます。」
「ええ、ありがとう。」
縁談はなくなるだろう
こちらから壊すつもりはないが、壊れゆくものを繋ぎ止めるつもりはない
だが、折角ここにいるのだから手ぶらで帰るのは惜しい
それに私がやりたいことにオニキス家の理解は必須だ
「お嬢様?もう少し穏やかなお顔をなさってくださいまし。お仕事のお顔でございます。」
「お仕事だもの。」
「違いますわ。滞在中の打ち合わせをなさるのでしょう?」
「ええ。」
大きなため息を隠さなかったシシーは部屋の外で待つ使用人の手前、言葉にはしなかった。
「旦那様、お連れいたしました。」
部屋まで迎えにきた淡い金髪の青年は昨日、ジークフリートの側に控えていたはずだ。
副官なのだろうか?
オニキス家は少数精鋭ときいているからこの青年も何らかの役職にはあるのだろう
「ご足労いただきありがとうございます。」
「いえ、こちらこそご多忙のところお時間をありがとうございます。」
婚約者候補同士の面会となれば世間話から入るはずだ、多分
遥か昔過ぎて忘れてしまったが……
確かお茶とかしながら会話を楽しむ、はず……
他の令嬢もそんなことを言っていた
だが、あくまでもそれは前向きな縁談の場合
双方ともに乗り気ではないこの縁談には当てはまらない。
その証拠に案内されたのは執務室の横と思われる応接室
庭がよく見える大きな窓の格子は繊細な細工で、かつ窓の隅には色ガラスが嵌められて美しい
美しいがこれは完全に仕事の部屋であるとフォルセティにはわかる。
「申し訳ありませんが私が領内を案内することができないのです。」
「当主が多忙とはよく存じております。」
元より案内など期待はしていない
「よろしければ領内をみてまわっても?」
「領内を?」
驚いた顔はまだ年相応に見える。
「それは構いませんが……」
拒否というよりも困惑
そう判断したフォルセティは出されたお茶を一口飲んだ。
「私、子どもの福祉事業に従事しております。」
「聞き及んでいます。孤児院の整備や子どもの教育を整備していると。孤児院で文字を教えているのはフォルセティ様の発案だと。」
「ご存知でしたの。」
これは意外
孤児院での識字教育は国の事業としてなされている。
発案やら整備やらを行ったのは私ではあるし、それを隠してもいないが、大々的に銘打ってもいないから王都にいても調べなければわからないことだ。
「私も識字率の向上は計画してはいたのです。」
「あら、ではちょうど具合がよろしいですね。」
社交辞令でも構わない
さて、交渉だ
「私、最終的には国全体の孤児院の環境を改善し、統一するつもりですの。」
機密でもなんでもない事実
けれども目的の明言は有益でもあり、危険でもある。
「これは私が伺ってよいことですか?」
「私はそう判断いたします。」
微笑めば相手はごくごくと茶を飲んだ。
熱くないのかしら、なんて場違いな感想を持った。