一
「縁談?」
珍しく話し出しにくそうな様子の父親から告げられた内容にフォルセティはその内容を繰り返した。
「なんて物好きな……」
素直にそう口にした娘に父親は渋面を隠さなかった。
「後妻ですか?それともお妾?どちらも嫌です。」
本来であれば公爵令嬢であるフォルセティは縁談の内容に口は出さない。
貴族の縁談とは契約であり、取引であり、全ては国益のためにある。
それが国のため、民のためになるなら相手の人格や年齢、見目など些末なことだとフォルセティは思っている。
それは嘘ではないし、公爵であり、宰相でもある父親も分かっている。
双方ともに分かった上でフォルセティは口にしている。
「そんな相手に嫁がせるものか。」
渋面をさらに険しくさせながら大きく首を振った父にフォルセティは首を傾げた。
「自慢の娘だ。あのようなことは二度と起こさせん。」
「ではこんな嫁ぎ遅れの年増の醜女にどなたがそんなお話を持っていらしたのですか?」
「そんなことをいうものではない。」
「残念ながら事実です。」
いくら宰相家、いくら公爵家といえどフォルセティは嫁ぐには歳を重ねすぎている。
そもそも今更嫁ぐつもりなど毛頭なかった。
「で、条件とは?」
「縁談を商談や契約のように扱うものではありませんよ。」
苦笑した母に招かれるままに父親と三人で茶と菓子を囲んだ。
「お父様。」
本題を、と言外に滲ませた呼称に国一番の切れ者と名高い男はため息を隠さなかった。
「オニキスが相手だ。」
「あら、ではお話を持っていらしたのは陛下ですね。」
宝石の名前を冠するのは上位貴族の家のみ
そうでなくともフォルセティの頭には様々な家の情報が叩き込まれている。
だからこそ首を傾げた。
「お父様?縁談というのはシャルのものではないのですか?」
オニキスの家には確かに未婚の男性はいる。
だがこの記憶が正しければフォルセティの相手とは信じられない。
「シャルにはもうお相手がいるでしょう?」
菓子を一つつまみながらおっとりと微笑む母から父へと視線を移したフォルセティは瞳の温度を下げた。
「お父様?もう一度おっしゃってくださる?」
これは断れない縁談だ
いくら公爵家といえど陛下からの提案なら断れるわけもない上に、この縁談の有用性もまたフォルセティは言われるまでもなく悟っている。
「お父様。」
だからこそ、フォルセティはきちんと父の口から聞きたかった。
「オニキス家のジークフリート殿との縁談を陛下からご提案いただいた。」
「気の毒に。」
オニキス家といえば国の護りの要の一つ
しかしその任からあまり政の中央で目立つことはない武勲の家
そして医学に秀でた家であった。
以前は王室筆頭医師といえばオニキスであったというが、女王陛下のご夫君の死の責を取り、その任を返上している。
「気の毒なものですか。」
座り心地も柔らかな座席で何を馬鹿なことを、と隠しもしないのは乳姉妹にして侍女のシシーだ。
「お嬢様に不満をいうというならばこのシシーが黙らせますわ。」
赤みがかった茶色の髪をきちりと結い上げたシシーは下手な武人よりも余程腕が立つ。
その宣言に嘘はないということをフォルセティはよく知っている。
「己の価値は示すつもりでいるけれどどう考えてもジークフリート様にとっては貧乏くじでしょう?」
「何度も何度も申し上げておりますが、ややを諦めねばならぬ年ではございませんし、そもそも養子という手段をとっている家門などいくらでもございます。そんな程度のことでお嬢様の価値が下がるわけもございません。」
「でもね……」
シシーの言う言葉は嘘ではない。
だが、家柄やこれまでの経歴、見目
そういった条件を考えればどう考えても損をしているのはオニキスだ。
だってフォルセティの家にとってこの縁談は特段有益というわけではないが、少なくとも害を被りはしない。
「さ、少し冷えてまいりましたわ。窓を開けていらっしゃるのでしたらこちらを。」
ショールをフォルセティの肩に羽織らせながらシシーは真剣にその姿を見つめた。
「お嬢様、いくら決まった縁談といえどまだ婚姻は結んでおりません。無礼なことをなされれば私は容赦は致しません。」
「ジークフリート様は存じ上げないけれど礼のなっていない方ではないと思うのよね。」
それに、とフォルセティは笑った。
「大分年が下ですもの。仕方がないこともあるでしょう?」
「年齢だけ重ねた愚か者などいくらでもおりますからそんなものなんの言い訳にもなりません。」
ふん、と鼻息も荒く眉を寄せた幼馴染にフォルセティはそれはそうだけれど、と小さく笑った。
婚姻前準備として家を出てから三日
あと少しで到着予定だが近づくにつれどうしたって緊張はしてしまう。
縁談を断れないのはオニキスも同じ
しかも損をするのはオニキスだ
命まではとられなくても疎まれはするだろうと覚悟している。
だから本当はシシーだって連れてきたくはなかったのに……
「さ、お嬢様。」
目的地の街が見えてくるとシシーはフォルセティに上着を羽織らせ、身支度を整えだした。
「少し紅を差しましょう。」
「これから先、お付き合いが長くなるなら取り繕っても仕方がないからいらないわ。」
取りつく島のないフォルセティにシシーはせめても、とタイを整えた。
「栄えているし、活気も在る。良い街だもの。少なくともこういった統治をしている方だからそう無礼なことはなさらないと思うの。」
「本人が無能で周りが優秀なのかもしれません。」
「それならそれでいいわ。」
街の様子を観ながら暫く馬車に揺られていればそう待つこともなく屋敷に到着した。
緑の鮮やかな屋敷
花は多くないがよく手入れされた庭は華美ではなく好ましい
どうやら事前の情報の通りの家柄のようだ
「遠路はるばるようこそおいでくださいました。」
そう出迎えてくれた長身の男性
身なりや振る舞いから見る限り彼がジークフリート様だろう
そう検討をつけたフォルセティが軽くスカートを摘むよりも早く男性は胸に手を当てて頭を下げた。
「オニキス家現当主、ジークフリート・オニキスです。お会いできて光栄です。」
柔らかくはあるがはっきりとした声
まっすぐにこちらを見つめる瞳は深緑であり、そこに浮かんでいるのは少なくとも拒絶ではなさそうだ
そこまで判断しながらもフォルセティは表には淑女の笑みを浮かべ、今度こそ礼を返した。
「お招きくださりありがとうございます。サファイア家が一女、フォルセティリア・アメジスト・サファイアと申します。」