Prologue:スタートライン
きわめて平凡な高校生である越野翼は午後八時過ぎ、通学路とは少しそれた場所にあるゲームセンターから外に出る。
「お、月めっちゃ奇麗じゃん」
夜空には雲一つなく、月光には翳りがない。天文に人生をささげようとは思わないながらも、美しいと思う程度の感性を翼は有している。
「今日って満月だったか?」
空を見上げたまま彼は首をひねった。
ここ最近は朝のニュース番組も観ていなかったから詳しいことはわからない。だからといってわざわざ調べる気にもなれなかった翼は大きく息を吐きだしてから歩き出す。
「まあでも……良いモン見れた。これは四千円分の価値があるんじゃない?」
先ほどのゲームセンターで四千円を使ったこともこれでバランスが取れたと考えればいい。ゲームでは金と時間を浪費し獲得したものはないが、この月は感動を与えてくれた。
こうでも考えなければ単に損をしただけだと思えてやっていられないのだ。
「プラネタリウムって思えば安いもんじゃん」
彼自身もまたこんなのは愚かな自分を慰めるための強がりであるとは理解している。プラネタリウムと口にはしたが外にさえ出ていれば誰だって無料で見られるのだ。
「ま、まあ? ゲームって時間つぶすもんだし? もともとの目的は果たせてるし」
誰に聞かせるでもない言い訳をブツブツと吐き出し続ける。先ほどまで夜空に向いていた青年の黒い目は、だんだんと足元へと向かっていく。
月と比べるにはあまりにも卑小な身ではある。勝負にすらならないというのはわかっていた。
そうであったとしても自らの愚かさが浮き彫りになった気がした。
どうにもみじめな気がしてならなかった。
「てか……四千円な。ヤベェかも」
高校生の彼には四千円は中々の大金だ。アルバイトに精を出しているわけでもないのだから。
今回のこれは散財ともいえる。
「ああ、どうしよ」
足取りが重くなる。
素直に家に帰りたいという気持ちが遠のいていく。言い訳を考える時間が欲しい。
「……姉ちゃんをどうやって誤魔化そう」
翼に両親はいない。
年の離れた姉と二人暮らし。その姉にさえ知られなければ良いのだ。財布の中身を見るなどということはたとえ家族であっても避けるべきだ。
「残金……千四十二円」
二人暮らしである翼は姉の越野葉子に買い物を頼まれることも少なくない。一度の買い物にかかる金額は平均で千五百円。
ギリギリ一度はどうにかできたとしても二回目で確実に終わる。
彼の小遣いは葉子が用意してくれたものだ。一か月二万円。消費速度によって説教をされたことは何度かある。
「金落ちてないかな」
足元に向いた眼は極限に低い希望にすがるギャンブラーの如し。
「ん……?」
いつもより明るいというのもあったからか翼は目の前を転がる球体に気が付く。
「なんだ、ボールか……このあたりって公園あったっけ」
地面を転がるボールを手に取った。
「重ッ!?」
想像以上の重さに翼は声をあげてしまう。
「なんだこれ」
訝し気な目を球体に向けていると、突然にカチリと聞き慣れない音が響いた。
「カチ……?」
まじまじと見つめていたボールはチカチカと点滅を始め、段々と熱を帯び始める。
「う、わわわっ!」
ただ事ではないと悟った翼はボールをとにかくと遠くに向けて放った。
――ドオォォォォォオオオオンッッ!!
爆発した。
「え、ええ……?」
このまま持ったままでいた場合を想像し、翼の右手は震える。あのままでいたら爆発に巻き込まれ翼の体は今、原型を留めていなかったかもしれない。
「平和な現代日本にあるまじきことだぞ!」
叫ぶ翼の顔は恐怖に戦き引き攣っているのではない。ただ愉しいと言いたげに口元は弧を描く。
「オイオイ……! これだと、まるで」
途端に絶叫が響いた。
翼は悲鳴の聞こえたほうに身体を向ければ広がっていたのは炎上する街という光景であった。
「これ……」
自らが投げた爆弾のせいだろうかと一瞬考えるも、翼は即座に否定する。爆発範囲から考えてここまでに被害が広がるとは考えられなかったのだ。
「た、すけ……」
助けを求める声がした。
「……!」
その声の主は全身が燃えていた。
どう見ても今更、助けることはできない。翼は答えもせずに通り過ぎる。
「爆弾だけじゃないのか!」
炎上する街には現代日本からも考えられない二足歩行の機械が跋扈している。
「SFかよ」
漫画やライトノベルとしては面白いと思ってはいたが、対抗手段もないまま巻き込まれてしまっては文句の一つはつけたくなってしまう。
「武器ないままでSFは求めてないんだけど」
街を跋扈する機械兵に見つからないように建物の陰に隠れて様子見を行う。
「うげぇ、ヤバすぎんだろ」
翼の見える範囲でも街の破壊、殺戮行動が行われている。目に余る光景であろうと、戦おうとするのは無謀に過ぎる。
「俺も戦えりゃなぁ……」
助けられずに申し訳ないという気持ちも少なからず彼の中にあった。しかし自らの命を粗末にする気もなかった。
「――異常発生を確認」
すぐ近くで声が聞こえた。
翼の後ろから金髪の少女が歩いてくる。
「オーダー、形象」
少女が一言唱えれば一メートルに届きそうなほどの大太刀が突如として現れる。
「え、ちょ……!」
少女は飛び出し暴れる機械兵に一瞬にして迫り切り捨てる。
文字通りの一瞬だ。瞬き一度の間で敵を無力化して見せたのだ。
「おお、すごっ」
「生存者一名確認。無事でしたか?」
「あ、はい。平気です」
機械兵の存在は一先ず解決したのだろう、と考え翼は建物の陰から顔を出す。
「あの、あれ……刀は?」
確かに刀があったはずだというのに少女は現在無手の状態だ。
「オーダーは自由に出し入れ可能です」
「オーダー……というのは?」
「その説明は、すみません……少々お待ちください」
彼女は機械兵を見つけてすぐに倒しに向かう。翼の目から見ても圧倒的だ。
彼女の刀こそがオーダーであるということ。翼に理解できたのはその程度だ。
「そのオーダーってのが武器っぽいよな。それってどうやって出し入れしてんの?」
「現状ではアナタがオーダーを使用することはできません」
「なんか特別な要素とかあるわけね」
質問をすれば、彼女も最低限は答える。
「あ、そうだ。普通に戦ってるなと思って聞いてなかったけど君は何者なの?」
目が合う。
真剣な顔をしている。柔らかそうな唇がゆっくりと動いた。
「|日常校正機構《Ordinary correct organization》、戦闘部隊エディター所属。ルナです」
翼は似合っているという語彙力の乏しい誉め言葉を飲み込み、「ルナさん」と名前を口にした。
「異常接触者にはある確認を行い、それが問題なければ日常校正機構《Ordinary correct organization》、略称OCOへの所属が求められます。日本語では日常校正機構です」
日常校正機構、OCOは狭き門なのだと。
「そうなんですね」
「すべての話の前提には生き残った場合と付きます」
「そりゃそうですね」
翼はルナについていく。一人で逃げ隠れるよりもこの少女の側の方が遥かに安全であると確信しているから。
「あの」
「はい。どうしましたか」
ルナの後ろをついて歩いて既に十分は経過していた。翼は疑問に思ったことを聞いてみる。
「これってどこに向かってるんですか?」
翼の質問に対する彼女の答えは簡潔なモノであった。
「この異常の発生源を目指しています」
「それって、俺死にませんか?」
「可能性はありますね」
このままついて行っていいのだろうかと僅かな不安を覚えた。