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転 世界は新たな色を加える

「うん、なかなか良い感じになってきたじゃないですか、桔平くん!」


「そりゃどうも。まぁ、こう張りのある体を見ると確かに前はダラけてたんだと感じるな。」


「そうでしょー。やっぱり桔平くんはこれくらいのぼでーをしてくれてないとね!」


「ぼでー、ね…」


ジムに通い始めてから購入した全身鏡の前で上半身裸になっている桔平。

彼の後ろでは久々に薄らと見えてきた桔平のシックスパックを、ニヤニヤと笑いながら見つめる沙華の姿があった。



「本格的に夏に入るまでにもっと頑張らないとね!目指せバキバキ!」


「そこまでする必要あるか…?」


「何を言ってるの桔平くん!海といえばバキバキの腹筋でしょ!」


「そもそも海というワードがいま初めて出た気がするんだが?」


「夏といえば海!海といえば素肌!魅惑のシックスパックで女の子の視線をかっさらうのよ!」


何故俺は最愛の女性に強制されて他の女を落とす為の努力をしているのか、と今更ながらに桔平は頭を捻りたくなった。



「バキバキとやらにまでならなくて良い気がするけど…?女性はそこそこ鍛えてるくらいが好きなんじゃないのか?」


ネットやらテレビやらでは鍛えられすぎても怖いという女性の意見が目立っている。


「勿論普通はそうだよ。でも海は別なの!他の男と差別化する為にも、海では明らかに鍛えられてる方が良いんだよ。」


「俺が女目当てに海に行くのは決定なのか…?」


「いえす!あと一ヶ月でバキバキになってもらうからね!」


一月もすれば海に行く人も増えているだろう。

その時の為に更に桔平を改造しようと沙華は燃えるのであった。



沙華が幽霊となって半年以上が経過した。

まだ、彼女は桔平の隣にいる。








年を越して早半年。

桔平の誕生日も、クリスマスも、年越しも、正月も、沙華は桔平の傍にいた。

桔平はこの三年間そういったイベントに対して何の意識もしていなかったが、今回は久々に充実した日々を送っていた。


この数ヶ月で周囲の人間が目を見張るほど、桔平は変わった。

パーソナルトレーナーに食事内容の指導を受けつつ、週に数回トレーニングをする。

家では沙華にあれこれ口を出されながら毎日料理をして、レパートリーを増やし腕を上げていた。


また、休日は沙華と二人で出かけたり公園で散歩したりする事が増え、健康的で男らしい体つきに変わっていた。

ちなみに散歩中は通話用のイヤホンを付ける事で、沙華と話しながらでも独り言を言っているようには見えないよう配慮している。


仕事中にも沙華は桔平と共にいた。

彼女は桔平が仕事仲間に無愛想な態度を取る度に叱責し、以前のようにもっと周りと関わり積極的に仕事するよう怒った。

そのおかげで桔平は職場でも徐々に笑顔を見せるようになり、実績を積み重ねていった。


この変化には職場の同僚や営業の取引先も心底驚いていた。

取引先からすれば、信用はできるし仕事もしっかりしてくれるが愛想がなくやや付き合いにくいと感じていた相手が、急に口数と笑顔が増え爽やかになったのだ。

しかしその変化は取引先の社員にとっても嬉しいものであり、桔平の評価は知らぬ間にかなり上がっていた。


そして職場でもそれは同様であった。

三年以上前から桔平を知っている人間は、かつての桔平が戻ってきたような気がして皆喜んでいたし、気軽に話しかけたり飲みに誘ったりできるようになった。

また、無愛想な桔平しか知らない者も桔平の変化を好意的に受け止めている。


むしろ桔平より若い女性社員の間では彼はよく話題に上がっていた。

最低限の仕事は効率よくこなしつつも明るさの足りなかった桔平はあまり意識されていなかったが、こうなってくると意外な優良物件である事が見直されてきたのだ。



高身長、仕事ができる、取引先の評価は高く気遣いもできる。

毎日手作りの弁当を持ってきており、聞くところによると料理もできるらしい。

浪費癖などもなく金銭面でも割としっかりしているようだ。


親しい人や上司と話しているのを見る限り実はコミュニケーション能力もある。

気温が上がってきたこともありたまにジャケットを脱いでシャツの腕を捲った時など、鍛えられた前腕が女性社員の注目を密かに集めていた。



こうして桔平の男性としての株が上がっているのを沙華は感じていて、彼の変化と成長には満足していた。

だが肝心の桔平はそんな女性陣の視線など全く気にせず、沙華と過ごす日々を普通に謳歌していた。

そんな桔平の様子を、沙華は一人の女として嬉しく思いつつも彼のこれからを考え何かが起きてくれないかと願っていた。


そしてある日、桔平は一つの出会いを果たす。








「あー…やっと解放された。」


「お疲れ様、桔平くん。体調はどう?」


「ありがとう沙華。ちょっと飲みすぎたかな。早く帰って寝たい。」


夜の繁華街。

取引先との接待で三次会まで付き合わされ、やっと解散した桔平は疲れのこもった溜め息をこぼした。

隣では沙華が労わるように微笑んでいる。


「結構飲まされてたもんね。」


「最近どこの接待でもこんな感じだ…」


「気に入られてる証拠だよ!」


「まぁ、仲良くさせてもらえるのは助かるんだけどな。明日は休みだし、昼まで寝るか。」


「んー、たまには良いかもね。」


つまらなさそうな様子の沙華を横目に、桔平は苦笑した。



「午後は散歩でもするか?」


「…良いの?」


「沙華と歩きたいんだ。」


「……うん!」


沙華は心底嬉しそうに満面の笑みを浮かべた。

……だが、すぐに何かに気付いたように遠くを見る。


「どうした?」


「何か…わかんない。」


「?」


「わかんないけど、こっちに何かある。幽霊ぱわーが反応してるの。」


「相変わらずよくわかんないけど便利な力だよなそれ……って、ちょっと待てよ!」


何かに急かされるように走り出した沙華の後を、桔平は慌てて追いかけた。






唐突に走り出した沙華が繁華街の片隅で立ち止まる。

すぐに桔平も追いついた。


「おい沙華、急にどうしたんだよ?……沙華?」


話しかけても沙華は返事もしない。

彼女が無言で見詰める先を見ると、そこには三人の男達と彼らに囲まれる一人の女性がいた。

どう見ても仲の良さそうな様子はなく、男達のしつこい誘いを女性が断っているようであった。


女性は切長の目を吊り上げて明らかに迷惑そうな顔をしている。

気丈な態度で男達を拒絶しているが、握り締めた手が僅かに震えているのが見てとれた。

男達は酔っ払っているのか、ニヤニヤと笑いながら女性が逃げられないようにしており諦める様子もない。


「……ここは飲み屋街の裏通り側だしな。女が一人でいればああいう事もあるか。」


事件性がありそうなら警察でも呼ぶかとスマホを取り出した桔平だが、沙華がそれを遮るように口を開いた。



「桔平くん、あの人を助けて。」


「……は?」


警察を呼んであげて、という意味でないことはなんとなくわかったが、何故そんな事を言うのか理解できなかった。


「お願い、早く助けてあげて。」


「…警察に任せるんじゃ駄目なのか?面倒ごとは嫌なんだが。」


「そうしなきゃいけない気がするの。お願い、桔平くん。」


懇願するような表情。

しかしその瞳には断固とした意志が込められており、桔平は息を呑んだ。


もしあの男達が危険な輩であれば桔平が無事では済まないかもしれない。

普段の沙華であれば桔平の身の安全を最優先したはずで、仮に女性を助かるとしても警察を呼ぶ事に賛成しただろう。

しかし彼女は桔平が直接助けることにこだわった。


「…それも幽霊ぱわーってやつか?……仕方ないな。」


溢れそうになる溜め息を飲み込み、桔平は彼らの方へ向かった。








「…あの、大丈夫ですか?」


ひとまず彼らに近付き、男達に囲まれている女性に話しかける。

その声に反応し、女性だけでなく男達も桔平の方を見た。


「何だお前?」


「誰だよ?」


ナンパを邪魔された男達が不快そうに桔平を睨む。

全員顔が赤らんでおり、かなりの酒気を感じた。


「通りすがりのお節介焼きだ。トラブルか?」


「てめぇには関係ねぇだろ!すっこんでろや!」


「沸点低すぎだろ……助けはいるか?」


口角から唾を飛ばしながら怒鳴る男を無視して、桔平は女性に問いかけた。

彼女は桔平が自分を案じて来てくれたのだと察して少し安堵した顔をする。

そして小さく震えながら無言で頷いた。



「わかった……なぁ、ナンパには失敗したんだし、今日はもう帰れよ。」


「んだとコラ!邪魔すんじゃねぇよ!」


「邪魔も何も嫌がってんだからもうやめとけって。酒飲みすぎだぞ。」


あくまで冷静に彼らを諌めようとする桔平だが、彼らの怒りはヒートアップしていく。


「喧嘩売ってんのか!?」


「やんのかてめぇ!」


テンプレ通りの切れ方をする男達にうんざりしつつ、首を振った。



「手出してくんなら警察呼ぶぞ。ちょっと冷静になれ。」


「警察だぁ!?ふざけんじゃねぇっての!!」


男は警察という言葉に逆に怒りが振り切ったのか、大振りのパンチをかまそうとする。

だが桔平もこの状況でそういうことがあるかもしれないと身構えていた為、あっさりとその手を掴んで軽く投げた。


「ほいっと。」


「うがっ!!」


桔平は中学から十年間柔道をしていた事もあり、そこらへんの素人を投げ飛ばすなど簡単なことだ。

もちろん全力で投げてはいないが、受け身など取れるはずもない酔っ払いはアスファルトに背を打って悶絶した。


「っ!てめぇ!!」


仲間がやられて一瞬呆然としていた一人が、すぐに怒りの形相で桔平に掴みかかった。

桔平は素早く男の襟首と腕を掴んで足払いをかける。

こちらもあっという間にすっ転ばされて強打した。




「……んで、あんたはどうすんの?」


「…え、あ……」


桔平が投げた二人が蹲って呻いている。

残った一人に視線を向けると、その男はこの一瞬で酔いが覚めてきたようで顔を青くしていた。

その様子を見て、こいつはほっといても大丈夫だと判断した桔平は、周囲の視線が集まり始めているのを感じてその場を離れることにした。


「やらないならそれで良い。こいつらを置いていくなよ。残るような怪我はさせてないから、今日はもう帰れ。……これに懲りたら酒は飲みすぎず、人様に迷惑かけないようにな。」


一方的に言い捨て返事も聞かず、桔平は女性の手を掴んで歩き始めた。

女性は抵抗する素振りも見せず、素直に従って動いた。








歓楽街の外の大通りへ出る。

ここまで来れば道を行く人々も落ち着いた雰囲気で、非日常から日常へと戻った気がしていた。


「ここまで来れば大丈夫かな。…あ、すみません。」


通りへ出た桔平が後ろを見ると、女性が俯くようにして立っていた。

彼女の手をずっと掴んでいたことを思い出し、桔平はすぐに手を離し一歩下がった。


「あ、いえ…その…ありがとう、ございました。」


少し顔を上げ、上目遣いに感謝を告げる。

気の強そうな顔立ちとは裏腹に、弱々しい態度だった。



「ああいう事されるの、初めてではないんですけど…ちょっとしつこくて、怖くて、その…」


もう大丈夫だと思いつつもまだ怖いのか、肩も声音も小さく震えていた。

女性の後ろでは沙華が彼女を抱きしめるようなジェスチャーをしている。

流石にそれは勘弁してくれと思いながら、桔平は再び彼女の手を取った。


「もう大丈夫…大丈夫ですから。」


「あ…っ……ありがとう…」


女性は顔を僅かに赤らめながら瞳を滲ませている。


「どういたしまして。」


桔平は極めて優しい声音を意識し、彼女を安心させるように微笑んだ。

その笑顔は彼が沙華に向けるものと、どこか似ていた。


「っ……あ、あの!お名前を…!」



「あーえっと…柴田桔平です。」


女性の後ろで沙華が"ぐっじょぶ!!"と言わんばかりに親指を天に向けているのを見て苦笑しながら、桔平は名乗った。


「柴田さん……私、桑原雛乃(ひなの)と言います。この度は本当に、ありがとうございました!」


深々と頭を下げる雛乃。

何度目の感謝かわからないが、どうやら随分律儀な性格らしい、と桔平は感心していた。


「もう大丈夫ですから、頭を上げて下さい。」


雛乃はゆっくりと頭を上げる。

桔平の優しい笑顔を見て、恐怖とは別の意味で目を潤ませた。


「それじゃ、俺はもう行くので。」


「あっ…待って!」


背を向けようとした桔平の袖を咄嗟に掴む。

その後ろでは沙華がぶんぶんぶんと勢い良く頭を振っていた。

どうやらまだ彼女と別れてはいけないらしい。


「あの…あのっ、れ、連絡先をお聞きしても宜しいですかっ?」


「え…」


戸惑う桔平に向かって、沙華は両手を腰に当てながら満面の笑みで大きく頷いた。

彼は頷く事しかできなかった。








数日後、桔平は仕事で新しい取引先と会う為に社外に出ていた。

相手は自社より大手の会社。

ここでお近付きになれれば桔平の株はまた上がるのだろうが、そう簡単にいかない事は桔平もよくわかっていた。

ひとまず顔だけでも覚えてもらえたら、とあらゆる会話パターンを思考しながら取引先のオフィスに入り、案内された部屋へ入った。


彼の後ろには呑気に鼻歌を歌いながら窓の外を眺める沙華がいる。

彼女は桔平と雛乃が出会ってからご機嫌な様子だった。

積極的に雛乃と関わるよう桔平に言い含め、雛乃から連絡がある度に早く返信するよう誘導していた。

沙華が雛乃の何をそんなに気に入ったのかわからない桔平だが、彼女の言われるがままに雛乃と連絡を取り合っていた。


既に後日改めて会う約束までしてしまっている。

どこで何を話せば良いのだろう…いやいや今は仕事に集中しろ、と桔平は自身に言い聞かせながら頭を振った。

その時部屋の扉がノックされる。

返事をすると、取引先であろう一組の男女が現れた。

桔平は素早く立ち上がり、一礼した。


「初めまして。メールにてご連絡を取らせていただいておりました、柴田と申します。この度は……あれ?」


「えっ……し、柴田さん!?」


見覚えのある顔を見て口を開ける桔平。

目の前にはスーツを着て心底驚いている様子の雛乃がいた。



しんと静まり帰った室内に、桔平にしか聞こえない沙華の鼻歌が響いていた。

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