4.彼女の願い
「……おい、来たぞアイリア」
オレは強引に扉を開け、ライドに案内された部屋に入る。
「来たわね。あなた、私に誠意を持って謝罪しなさい」
アイリアはオレを睨みながら高圧的な態度で言った。
「話はそれだけか。……寂しいからオレを呼んだのかと思った」
「そんなわけないでしょ!」
アイリアはそこらにあったぬいぐるみを取って、オレの方に投げつけてきた。随分と乱暴なお嬢さんだ。
「じゃあ、忙しいからオレらは戻っていいか? 入って初日だし、やることは山のようにある」
「……待ちなさい。あなたには幾つか話したいことがあるわ」
そう言って、アイリアはオレの方にゆっくりと近寄ってくる。鬼の形相のような目つきをして。
「そうか。オレは今は話したいことが特に浮かばないかもな」
「あなたが話したいか話したくないかなんてどうでもいいのよ」
「自分勝手すぎる」
「それは私のセリフでもあるわ」
苛立ちながら、このオレの目の前に存在するお嬢さんは、オレの腹部を両手で退かすように押しやがった。しかし、非力なものでオレはびくともしない。……何がしたいんだ、こいつは。
「そもそも、あなたがこき使えと言ったのでしょう? 傭兵団のみんなをこき使えと。あなたも今日から傭兵団の一員よね? なら、断る理由はないわね」
「はいはい、そういやさっきそんなこと言ったな」
ため息混じりに言葉を返す。どうやらオレは面倒なことを考えることなく口に出してしまったらしい。
「で、話したいことってなんだ」
「話したいこと、というより、訊きたいことね。あなた、何故うちの領で倒れていたの」
「……だから、知らん。オレが記憶喪失だって、聞かされていないのか?」
オレは困惑した顔で言った。
「記憶喪失なんて嘘よ」
「嘘だったら、もう少しオレは上手く立ち回ろうとは思うんだけどな」
「こんなガタイがよくて、手や腕……身体中が傷だらけの男がうちの領で倒れているってこと自体が不審なのだけれど」
「アイリア、それはお前が正しいとオレは思う。ライドはちょっと変だ」
オレは同情するようにして、ライドの方をチラリと見た。
「おいおい、俺は変なのか?」
ライドはオレが言った言葉を気にするようにして、焦ったような顔をする。
「あなた、歳はいくつなのよ」
「……さあ? それすらも覚えちゃあいない。こいつと同じくらいじゃないか?」
オレはライドを指差す。ライドは団長だというのに、随分と若そうだ。
「あなた、歳を覚えていないっていうのも嘘なのよね」
「何故、嘘ついていること前提なんだ」
オレは呆れたような顔をしてアイリアを見た。
「まあ、いいわ。あなたは傭兵団に入るのだから、今後は私のことをちゃんと護衛するのよ。いい、わかったわね?」
「言われずともそうするつもりだ」
「はい、か、いいえ、で答えなさい」
「…………」
「何故、答えないのよ」
アイリアはオレのことをジトーッと見て、オレの鼻頭を突っついた。
「あー……なあ、アイリア……いや、やっぱりなんでもない」
「何よ。あなた、話したいことはないんじゃなかったの?」
不思議そうにアイリアはオレを見つめている。
そういや、こいつ、親がいないんだったよな。ダメだ。こいつの境遇を考えたら、同情しようという気しか湧かない。
オレはアイリアの境遇を意識的に頭の中で避けるように考えようとしていたのだが、避けようとすればその分余計に考えようとしてしまう。
この頭は面倒くさいことまで考えてしまうようだった。クソ。余計なことなんか考えんじゃねえ。
「大丈夫か? どうやら顔色が悪いようだが」
「ただの偏頭痛だ。気にすんな、ライド」
「そうか、それならいいんだが」
ライドはそれでもなお、心配そうにオレのことを介抱しようとする。
こいつは……トップって柄じゃねえ。心根がやさしいやつがトップに立ったらすべてのことに哀しみを感じて自滅してしまうかもしれねえな。
オレは自分の気持ちを落ち着かせるようにして、冷静にライドという人間の要素を分析した。
「あなた、絶対に私を裏切らないでちょうだいね」
「なんだ? 裏切ってほしいのか?」
「あなた、言語通じるの?」
アイリアはその場でピョンピョンとジャンプしてオレの首根っこを掴もうとしている。が、悲しき哉。身長差があって、なかなかオレの首根っこまで届かない。
「ほらよ」
「あら、どうも……って、あなた何故屈むのよ!」
「え、なんだよ。首根っこ掴みたかったんじゃなかったのか? 忙しいやつだな」
「あなた、一言余計なのだけど」
「少女に言われても、怖かねーな」
「ソレよ、ソレ」
アイリアは謎に激怒しながら、オレのことを何度も何度も睨みつける。
怒らせている原因はオレにあるわけなのだが、そこまで攻撃的だとさすがに面倒だ。何も言わず、そそくさと退出してしまおう。
そう思ったオレは部屋を出ようとした。
「……おい、なんだよ。まだ、用があんのか?」
オレはアイリアに服の裾を掴まれる。
「ライド! あなたは少し出ていなさい?」
アイリアがそう言うと、ライドは部屋の扉を閉めて出ていってしまった。
「不審な人物とふたりきりになって、大丈夫なのか?」
「ここまで傍に来て、隙もたくさんあったのに危害は一応加えなかったわ」
「……うん?」
オレはアイリアの言葉に首を傾げる。
「信用されたということよ」
「ああ、そいつはどうも」
オレはぶっきらぼうに答えた。
「つまり、オレは試されていたのか?」
「まあ、そうね」
「本当にオレが嘘をついている諜報員とかだったら、お前下手すりゃ死んでいた可能性だってあったんだぞ。それでオレを呼びつけるのは不用心すぎる」
オレはいつの間にか説教たらしく、そんなことを言っていた。
「……はあ。それで?」
「それで……」
アイリアは考え込むような仕草をして、オレの目をチラリと横目で見た。
「いい? あなた、よく聞きなさい」
「ああ」
アイリアは何かを思い詰めたかのような顔をして言葉を紡いだ。
「私のことを……私のことを――殺しなさい――」
アイリアは真剣な表情をしてオレにそんなことを言いやがった。
「……バカか」
オレはため息を吐き、アイリアの額に軽くデコピンを食らわせた。
「痛っ! ……あなた、これは冗談で言っているわけではないわ!」
「お前……オレには震えていたように見えたが。護衛しろと言ったり殺せと言ったり、どっちなんだよ。ったく」
オレは頭を搔いて、厄介そうに言った。
「いいか? オレは自分勝手な人間なことは重々承知している。状況を考えろ、アイリア。オレは今は傭兵団のやつらにかなり不審な目で見られている。おまけに身寄りもない。稼ぎもない身だ。こんな状況でお前なんか殺してみろ。オレのその後がどうなるかわかったもんじゃねえ」
オレはアイリアの目をしっかりと見て言った。
「オレはオレが今を必死に生きるためにお前を殺すわけにはいかねえし、殺させるわけにもいかねえんだ。オレが生きるためにお前は生きなきゃいけねえんだよ」
オレは自分勝手なことを言い終えて、アイリアから目を反らした。
「……勝手に訊くが、何故オレにそんなことを頼む」
「あなたが一番信頼できるからよ」
「そんなわけねえだろ。あいつの方がオレの百倍は信頼できるんじゃねえのか」
オレは扉の外にいるであろうライドの方を親指で指し示す。
「いいえ、あなたの方が信頼できるわ。いえ、あなたしか信頼できないと思う」
「それは買い被りすぎだ」
オレは虚空を見つめて言う。
何を考えてそんなことを言ったのかは知らんが、こいつはいろいろと心に闇を抱えているのはよくわかる。だからって、その闇の対処をオレに押しつけて任せようとするのはどうかしているのだが。
「どう思ってそんな発言をしたのかは知らねえけど、簡単に殺してくれとか言うな。虫酸が走る」
言い終えて、オレは舌打ちをした。
オレには記憶というものがないのだが、何故だかその言葉を聞いて、身体の中で強い悪寒がざわめき出したのだ。まるで、過去のオレの過ちか何かでも見ているようで、とても気持ちが悪い。それでいて、なんだかオレ自身に対してムカムカしてくる。……なんなんだ、この気持ちは。
「……それから、何か大事な用でもあるのなら、今度からライドに相談しろ。あいつはあんなでも一応団長なんだろ? オレは新入り。ただの下っ端。その下っ端の中でもさらに下の最下層の人間だろ。そんな人間に大事な用を任せちゃダメだ」
やはりオレは気がついたら説教をしてしまっていた。そんな自分に嫌気がする。
「あなたの方がまだマシだわ……」
「……マシ? あいつ、そんな腹黒いやつなのか?」
オレはきょとんとした目で言葉の意味を訊こうとする。そんな腹黒いやつにはなかなか見えないのだが。
「興味ないのよ」
「興味ない?」
オレは余計に首を傾げてしまっていた。
「私には興味ないし、私も興味ない。傭兵団のみんなは全員そう」
言われて、どういう意味かはだいたい察することができた。
こいつは……アイリアはハリボテの領主様だ。
傭兵団のやつらは領の平和を守るために活動している。自分の領の平和を守るために。
つまるところ、アイリアの命さえ無事ならばあとはどうでもいいということだ。
まあ、それが普通なのかもしれない。べつにアイリアの家族でも親族でも恋人でもなんでもないわけなのだし。
リエンってやつはオレの行動に対して激昂していたような気もするが、あいつもおそらく、心配していたのはアイリア自身のことではなくて、アイリアの命が危険に晒されることによって起こる領の消滅、の方なのだろう。アイリアではなく領の方を危惧していた。
傭兵団としてはそっちの方が正しいだろう。オレはその考えに否定はしない。実際、オレだってそうなのだから。
「まあ、とにかく。アイリア、お前はオレのために生きてくれ」
「最低なヤツね」
ポツリと呟いて、アイリアはオレの頭をペシッと叩いた。
気のせいか、オレの目にはアイリアがクスッと微笑んでいるように見えていた。