18.前を向く
リエンだったものがお骨になって今オレの目の前にある。それを見て、オレは吐きそうになる。
リエンはもう跡形もなくなってしまった。こいつは、もうオレには怒ってこない。オレを責め立てては来ないのだ。
オレはお骨を箸で持ち、なんともいえない気持ちになる。
オレが弔ってやるのは……酷い話なのではないか。オレに弔う資格なんて……ないのではないか。
オレはそんなことばかりを考えている。オレはいつの間にか卑屈な気持ちになっていた。
「……兄さん」
オレの隣でリエンの妹さんが悲しんでいた。涙をポロポロポロポロポロポロと流して。
お骨はオレや傭兵団のやつらとそれから孤児院の人達で囲まれている。
……リエン。オレは、どうすればいい。オレは、どう償えばいい……。
オレはオレ自身のことを責め立てることしかできそうになかった。
……慢心だ。オレの、慢心だ。オレはまたそれをやってしまった。そんな心になってしまった。
オレは己の手によって自らの心を痛めつけていく。それが贖罪になるような気がして。
でも、それは結局、オレ自身の自己満足にすぎないのだと気づいて、オレは最低な人間なのだと理解した。
最低、そのもの。最低、最悪である、何か。オレはそれなのだ。
オレを憎んでくれ、リエン。オレを懲らしめてくれ。
オレはお骨に向かってそんなことを思う。
オレは、オレという存在に責めてもらっているのだが、どうやら、それでは納得がいかないようだった。
オレは、自分自身で何をするべきかの選択を取れない程の愚か者なのだ。オレという人間はとてもとてもとても卑怯なものだった。
……オレを殺してくれ。弱いオレを……どうにかしてくれ。
オレは心の中で自分自身を自虐するように叫ぶ。
だが、それも意味はない。何の意味もないのだ。
オレは卑怯で醜悪で踐劣で醜い醜い何かそんなものだから。
そんな人間の皮を被ってしまった醜い何かが何かを成せるわけがない。オレという人間は現に、何もできなかった。……迷惑を与えることしかできなかったのだから。
「……すまない。……すまない」
オレは口から謝罪の皮を被った何かの呪文を出していた。
……それはなんだろう。
オレが人間としてまだ意識を保つための呪文なのだろうか。
それとも、オレがかろうじて人間であるということをアピールするための呪文なのだろうか。
……オレにはそれがわからない。……だって、オレは頭が狂ってしまっているのだから。
オレは自虐し、オレがオレであるということを恥じようとした。……だけれども、オレがオレを恥じたところでそれはやはりただの自己満足そのもの。オレが、オレのためにする、オレがオレにとって良くなるための、ただの方法のひとつなのだ。
「…………」
オレは無言でただそのお骨を見ている。お骨はオレに何も語りやしない。土に還るための準備を着々と済ませようとしていた。
「……リエン。お前ってやつは……」
ライドが涙ぐんだ声でぽつりぽつりと呟く。
ライドは団の団長だ。だから、こういう経験はこれからもしなければいけない可能性がある。……こいつは、その経験をこれからも背負って生き続けていく可能性があるということだ。
オレはそう考えたら、オレがどれだけ酷いことをしてしまったのか理解することができた。
……ああ、オレは畜生だ。なんて、畜生なんだ。
オレはそうやって自分を責めることで、自分が罪を償ったような気分にきっとなっているのだろうが、リエンの命は替えのきかないもの。オレが心の中でそんな償い紛いのことをいくらしたところで意味はありゃしないのだ。
「バカヤロー……バカヤロー……」
ライドは涙を腕で拭って、お骨に対してぽつりぽつりと言葉をぶつけていく。そんな様子を見てオレは、どんどんどんどん心が締めつけられていく。
何故、あのとき、オレは。オレは。どうして、オレは、自分の身体を制御することができなかったんだ。どうして、オレは、敵を殲滅することだけしか考えなかったんだ。……戦いというものは……殲滅することだけが重要なのではないというのに。
オレはあのときのオレのことを悔いた。悔いて悔いて悔いて、とても不快な気持ちになる。
不快成分をどっぷりと混ぜた腐りかけのミルクみたいな海にザブンと浸かっているような。そんな、得体の知れなくて、想像もつかない程気持ちの悪い、ふざけた気分になる。
オレは、ここからどう歩いていけばいい。……わからないんだ。……わかることができないんだ。
「兄ちゃん……兄ちゃん……」
孤児院の子ども達が皆泣いていた。
そいつらはリエンとは血の繋がりはない。だが、リエンは慕われていた。実の兄のように慕われていた。
……その関係を壊してしまったのは誰だ?
……オレだ。
オレは子ども達にかける言葉が浮かばなかった。
こいつらをつらい目に遭わせてしまったのはオレのせいだ。オレの責任だ。
オレは。……オレが、こいつらを悲しませてしまった。
オレはオレという情けないものを感じても、どうすることもできやしない。オレはオレのことを無力だと思っているからだ。
「……ぁ……あぁ……」
オレは呻き声を上げ、その場から遠ざかるようにしてフラフラと外に出た。
あそこにいると、オレはさらにどうにかなってしまいそうで、仕方がなかった。だから、逃げたのだろう。逃げ出してしまったのだろう。
お骨を見て。ライドを見て。他の団員達を見て。子ども達を見て。
オレはつらくなってしまって、飛び出してしまっていたのだ。……つらいのは、オレじゃなくて、あいつらだというのに。
ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ、ああ。オレはダメだ。……もう、ダメなんだ。
オレはそんな風に弱音しか吐けずにいた。弱音しか吐かずにいた。
「……あ! アルズじゃない! ……どうしたの? 顔色悪いけど、まだ疲れているの?」
オレはアイリアに遭遇して、彼女に心配顔で訊かれる。
……こいつは、ライドや他の団員達、孤児院の子ども達より、オレという最低最悪の人間のことを気にしているようだった。
「オレは……ぁあ……あぁ……」
「……よしよし」
膝から崩れ落ちたオレをアイリアは撫でる。
お前は……。お前は……それでいいのかよ……。
オレはぐにゃりと歪んでいる視界の中で、なんとかアイリアの顔を見て、そんなことを思う。
アイリアは、リエンの死も団員達の悲しみもリエンのことを慕っていた孤児院の子ども達の悲しみも、全部全部平気だというように微笑んでいた。……正気の沙汰ではない。
「……お前には、悲しいこととかないのかよ」
「え?」
「……つらいって思うことはないのかよ」
オレはやっと、言葉になっている言葉をするりと自分の口から出す。疑問というか怒りというか、なんだかよくわからない、そんな声で。
「……あるわ」
アイリアはオレのことをまじまじと見つめて、ニッコリと微笑んだ。
「ある……のか……」
「ええ」
アイリアは軽く頷いて、オレに顔を近づける。
「アルズがいなくなってしまったら、私は悲しいし、つらい。……ふふっ」
アイリアはそう言ってまた微笑んだ。
「だから、悲しいと思うことはあるし、つらいって思うことはある。……私には今までそれが起こっていないから平気に見えるだけなのよ?」
アイリアはオレの鼻をちょんとつついて、悪戯そうな笑みをオレに向けていた。
「……オレなのかよ。……オレのことが最優先なのかよ。……わからない。……意味がわからない」
オレからはボソリボソリとそんな言葉が漏れ出していた。それを聞いたアイリアが徐にオレのことを抱き締める。
……それはどういう意味でやっているんだ?
オレは何がなんだかまったくわけがわからなかった。
「私の一番の人なのよ、あなたは。唯一で、一番……」
アイリアがオレに向かってそんなことを言う。
……一番? 何故、オレが一番になる?
オレという人間は人殺しなんだぞ? オレという人間は……敵味方問わず殺し尽くしていく、最低なやつなんだぞ……。だというのに、お前は、オレを一番だと言う。他のやつなどお構い無しに。
「……つらくなったら私のところにいつでも来てね。私、待っているから」
アイリアはにこやかに微笑みながらそう言い残すと、気を遣ってくれたのだろうか、あいつはオレの元から去っていった。
……待っている? 待たなくて、いい。オレのことなんか、待たなくて。
……あいつは変だ。おかしい。……そして、オレも変だ。おかしい。
……似た者同士なのかもしれない。
オレはアイリアとオレとを比べて、何かよくわからない結論を出す。オレの思考は何処かぶっ壊れていて、今はとても脆弱な状態にあるようだった。
「…………」
オレはいつまでもそこで虚ろな目をして空を見上げている。そうすれば、心が晴れてくれるような気がして。
……晴れるはずはないのだが。……晴れることなんて絶対にあり得ないことであるのだが。
そうだとわかっていても、オレは空を見上げ続けていた。
どうにかなれ。どうにかなってくれ。どうにかなってしまってくれ。
叫ぶように心の中で思うのだが、余計に自分の心を折ってしまっていっているだけだった。心に亀裂が走っていくだけだった。
何故、オレは救えない人間なのだろう。何故、オレは最低最悪な塊と化してしまったのだろう。
自分自身にそんなことを問うのだが、その問いは自分自身の身体をすり抜けていくように貫通して、オレの方から逃げていってしまった。これでは、自問する意味がない。
「……あぁ」
オレは眉を顰め、喘ぐ。
どうしようもない今の自分をどうにかせねば。どうしようもないこのオレをどうにかせねば。
オレが戒めのように今の自分を責めるようなことを何度か思っていると、ようやくオレの目の中には光が戻ってきていた。
……オレのせいでリエンは死んでしまったわけであるのだから、オレはその分、前を見て生き続けていかなければいけない。……そうでないと。……そうでないと、いけないような気がする。
オレは自分自身に言い聞かせるようなことを思った後に、自分の頬を引っぱたき、自分自身に喝を入れると、その場から立ち上がって前を向き、自分の拳に力を入れ始めていた。