17.狂った笑顔
傷だらけの心のまま宿舎に戻り、一日経って、オレはリエンの亡骸を呆然とした目で見つめて、その場に立ち尽くしていた。
オレは……。オレは……。
言葉が出てこない。オレの過失でこうなってしまったのだから、オレにはぼうっとしていることしかできそうになかった。
オレは力に溺れてしまった。オレは衝動で忘れ、まわりを見ることができなかった。オレはなんとも酷いやつなのだろうか。
罪悪感がオレの心を締めつけていく。オレには罪悪感を感じることしかできない。
「アルズ。気を落とさないで?」
アイリアがオレを心配するようにそう言ってくる。
……仲間が死んで、仲間がオレの、オレのせいで死んで、気を落とすな、なんて言葉、オレに掛けられても困ってしまう。オレは。オレが。オレが殺させてしまったというのに。
「リエンを看取ってやってくれ……」
オレは力なくそう呟いていた。
「……看取る? 何故?」
アイリアはきょとんとした顔でオレに訊いてきた。
「……仲間だからだろ」
「仲間……? これが?」
アイリアはリエンだったものを指差して、悲しむ様子もなくオレに訊いてくる。
「『これ』……? お前、悲しくないのか……? オレを。オレを、酷い人間だと思わないのか……?」
オレは信じられないものを見るような顔をしてアイリアのことを見る。
「何故?」
「だって、リエンはオレの不注意で死んでしまった……。オレがお前から離れてしまったせいで、リエンがお前のことを咄嗟に庇って死んでしまった……。謂わば、お前の命の恩人なんだぞ……」
オレは目を涙で腫らしながら、やるせなく呟いていた。
「アルズはあのとき、私のことを助けられた。すんでのところで私のことを助けることができたわ。だから、この人は無駄死にね」
アイリアは冷静な様子で言っていた。
「……無駄死に、だと?」
オレはアイリアが何を言っているのかまったくわからなかった。
「ほら、アルズ。元気出して」
アイリアがオレに微笑みを向けて、言う。
「お前、リエンのこと、なんとも思わないのか……?」
オレはアイリアに恐る恐る訊いていた。
……アイリアは。……こいつは、オレと出会ったとき、親が死んでいるというのにその状況をつらくないと答えていた。
……こいつは。こいつは……こいつには、他人の死なんて、なんともないのか……?
「……なんとも思わないけど。どうして?」
寸刻空けて、アイリアはオレの問いに答えていた。
「……なあ、嘘だろ? ……仮にも……リエンは……傭兵団の……仲間で……」
オレはそんなことを口にするのだが、オレにとっては『傭兵団の仲間』という意識であるが、アイリアにとっては『なんでもない人』というその意識の違いにようやく理解して、オレは言いかけていた言葉を止めていた。
「アルズが無事で良かった。泣かないで? アルズ?」
崩れ落ちていたオレをアイリアは愛でるように優しく撫で、ニッコリと微笑んでいた。
「私は……アルズがいてくれれば、それでいいの」
アイリアはそう囁いて、オレに狂った笑顔を向けていた。
「何故だ……どうして、オレなんだ……」
オレは脱力感からか顔を俯かせて小さな声で言っていた。
「あなたが私を助けてくれたから」
微笑みを向けてアイリアは答えてくる。
「オレは……べつに……。それに、リエンだって、お前を助けた……。身を挺して守ってくれたじゃないか……」
「……無駄死にしただけよ?」
アイリアはきょとんとした顔で返してきた。
「……ふふっ。アルズは頑張ったから疲れているのね。今日は一緒に休みましょう?」
アイリアはそう言ってオレの方に手を差し伸べてくる。
しかし、オレは恐怖感からか、あるいは拒絶感からか、その差し伸べられた手を振り払ってしまう。
「……アルズ?」
アイリアはオレのことを上目遣いでじーっと見てくるのだが、オレにはもうこいつが怪物か何かのように見えてしまっていて、怖くて怖くて仕方がなかった。
……そうだ。……そうだよ。こいつはだって、ガネーシャの一族なんだものな。ガネーシャの分家……あいつの血を多少なりとも引いているんだものな。
……あいつは。……ガネーシャは残虐非道なやつだった。慈悲というものはないし、あいつは人が苦しむところを見るのが大好物だった。
……あいつのふざけた遊びでオレの父さんは殺されてしまった。母さんは薬狂いにされ、姉さんは毎日毎日奴隷のようにこき使われていた。
オレの家だけじゃない。他の民もオレの家族と同様なことをされたり、もっと酷いことをされたりした者だっていた。
だから、オレらは立ち上がった。打倒、ガネーシャ。そう、覚悟を決めて。
だがしかし、オレらは結局のところ見るも無惨に殺された。オレらは敗北してしまった。
……ガネーシャを生かしてしまった。
その結果……アイリア、お前が今、オレの目の前にいるわけか……?
オレは後退りをし、アイリアから遠ざかろうとする。
「どうしたの? 私の後ろに何かいるの?」
アイリアは絶えずにオレに微笑みを向けていた。
……オレはどうしたら。どうしたら、いい。
そもそも、オレは死んでいなければおかしいはずだ。オレには、この先のオレのすべきことがわからない。
オレは悩んで悩んで悩みまくって、今、死にそうな目をして、アイリアのことを見ている。オレは何が正解なのか、わからない。
「アルズ。心配しないで。ほら、私はちゃんと生きているんだから」
アイリアはオレの手を両の手で取って、オレに温もりを与えようとする。
怖い。怖い。怖い。怖い。怖い。……オレの傍に寄るな……近寄るな……。
オレはアイリアのことをとうとう拒絶するような目で見て、押し黙っていた。
「……アルズ。ずっと、私の傍にいてね……?」
アイリアは愛おしそうで狂おしそうなそんな表情を浮かべて、オレのことを抱き締めた。
「……オレは……オレは……」
オレはなんとか声を振り絞って出そうとするのだが、オレからようやく出された言葉は、その程度のものだった。
……何故、お前はそんなにオレに懐く。……オレは、だって、オレは……。
オレは焦燥感からか、それともべつの何かからか、その目の前にいる怪物から逃げるような体勢を取ろうとして、失敗する。オレは硬直してしまったようで、動くことができない。
「ふふっ」
アイリアはオレというオレを堪能するようにオレを抱いて、離れてくれようとしてくれない。
おい、やめてくれ。……やめてくれ。
オレの心は完全に拒絶しているのだが、オレの身体は魔法を掛けられてしまったかのように動かない。まるで、メデューサにでも睨まれて石にでも変えられてしまったかのように動かないのだ。
「…………」
オレは声を出そうとした。しかし、出ようとしてくれなかった。オレから声帯というものを取り除いてしまったかのように、オレは声を発することができないでいる。
出てくれ。出てくれ、オレの声。……そうすれば、今のこの状況がもしかしたら、多少は変わってくれるかもしれないんだ。
オレはそんな希望ともいえない何かに縋るように思い、心の中でオレ自身のことを急かしていた。
「アルズ……」
アイリアが艶やかな顔をしてオレのことを見つめてくる。それは狂っているとしか言い様がない。
そんなアイリアの様子を見つめていたら、急にオレに掛かっていた魔法が解けたかのように身体が動き、オレはゆっくりと後退りをしてアイリアから離れる。
寄るな……今は寄らないでくれ……。
オレはただそれだけを願って、一歩、二歩、と床に手をつきながら後ろに下がっていく。オレは、こいつが怖いのだ。
「……あっ、待って?」
アイリアがオレのことを呼び止める。だけど、オレはそれに構ってやることはできない。そんな心の余裕はもう何処か遠くに消えてしまっていた。
オレはまた、一歩、二歩、と後退していく。
今は逃げなくては。ただ、遠くに逃げなくては。……誰かのところに逃げなくては。
オレはそんなことだけを考えていた。
「私を置いていかないで……ね?」
オレはアイリアのその言葉を聞いて、背筋をゾクッとさせた。
オレはこいつから逃げられそうもない。こいつは、オレを逃がしてくれそうにない。
オレは幻覚を見てしまったかのように視界の先が揺れる。……こいつは、何者だ?
「……気のあるループスはあとで懲らしめなきゃ」
アイリアがオレの方に迫りながら、ボソリとそんなことを呟いていたような気がした。
オレは青ざめた顔で立ち上がり、二歩、三歩、四歩と退いていく。
……何を言っているんだ、こいつは。……何故、そんな言葉を口にしているんだ。
オレは物怪顔でアイリアのことを見つめていた。
「アルズ。昨日は大変だったでしょう? だから、今日は私に甘えていいのよ?」
アイリアはジリジリとオレの方ににじり寄ってくる。微笑みを絶やさずに。
……でも、オレはその手を取ることなどできない。その手を取ることなど。
オレが、オレが、オレのせいでリエンは殺されてしまった。だというのに。それだというのに、オレの方に歩み寄って、しかも、リエンのことを無碍に扱いながら、オレに微笑みを向けてくるこいつを。こいつの手を、オレは取れるわけがない。
「ほら、アルズ?」
アイリアはニコリと狂った微笑みをオレに向けて、オレのことを待っていた。待ち望んでいた。
……オレは、そんな微笑みを向けられて、なんだか込み上げてくるものがある。
後悔。憎しみ。蔑み。怒り。悲しみ。苦しみ。痛み。
……どれなのかはわからないが。……どれが今のオレの心に混じっているのかは知りもしないが、オレはたぶんそういった感情がオレの中で沸々としてきているのを感じることができた。
「……なあ、アイリア」
「なあに、アルズ?」
オレの中にようやく声帯が戻ってきたようで、オレはアイリアに向けて言葉を発していく。
「……オレを。……今はオレを、ひとりにさせてくれ」
「……わかった」
オレの口からはオレが言いたかったそんな言葉がするりと出ていた。