12.世界の矛盾
オレは悔しいようななんだかわからない気持ちを抱えたまま、そこにぽつりと存在していた。
「……ああ、そうか」
オレはクソみたいな記憶を反芻して、オレが、オレ自身が情けないゴミクズ同然だったという事実を何度も何度も悔いて、心中で怒りをオレ自身にぶつけていく。
何故、オレはあのとき慢心していた。何故、オレはあんなことをしていた。何故、オレは愚策に走っていた。
オレはそんなことを何度も何度も悔いていく。
「オレは……ゴミクズだったんだよ……」
「アルズ、そんなことないよ」
アイリアに慰められるように言われるのだが、オレにはその言葉がとても痛い。痛くて痛くてたまらない。
オレは届かなかった。オレの槍は。オレの槍はヤツの命に届かなかった。
オレという人間は下種なのだ。下卑ていて、どうしようもない残りっかす。オレは矮小な人間だ。
オレは自虐をし、過去のオレのことを責め立てていく。
「いったい、どうしたって言うんだよ?」
ループスは心配そうにオレに訊いてくる。
「……過去を思い出した。……記憶が戻った」
オレは絞られて絞られてもうカスッカスッになってしまったオレンジの残骸のように佇み、微かに残る実から果汁を溢すように弱々しく言葉を口から出す。それはオレ自身が情けない塊だということを主張しているかのようなものだった。
「記憶が戻ったのね!」
アイリアが手を合わせて明るく振る舞っている。やめてくれ。これは明るいことではないのでは。
……じめっとしている。嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌で嫌でたまらない。
オレという過去はオレのことを絞め殺すためにまた舞い戻ってきたようなものだ。これは、オレに贖罪させるためにこんな馬鹿げたことをしやがったのだ。
「あの女が生きている……」
オレはもう一度そいつを思い出し、ハッとする。
「……おい! オレは!? オレの名前は!?」
オレは詰め寄って、オレという人間が今まで何をしてきていたのか何をやってきていたのか訊くようにして、強引にループスに迫る。
「何、言っているんだ。アンタはアルズだろ」
ループスが困惑しているような心配しているような、なんとも言えない顔をしてオレのことを見た。
「……そうだ。オレはアルズだ。……知らないのか!?」
「……いや、知っているって。アンタ、だ、大丈夫か?」
ループスはオレのことを心から心配してくれていた。
「オレは殺されていなければおかしいんだ。……オレは死んでいなければおかしいはずの身なのだ!」
オレは何処か歪んでしまっている世界を見ながら、どういうことなのかと思考を巡らせていく。
オレはそうだ。オレはあのとき、死んだ。殺されたはずだ。ヤツに。あの、下卑た笑いをしたあの女に。
……ガネーシャに。
オレは死んでいたはずだ。仮に死亡だけは回避できていたとしても、社会的制裁は加えられていなければおかしい。
オレのやったことは大間違いだと伝えられ、オレは世紀の大悪党として名が残っているはず。
それなのに、ライドに出会ったときも。この傭兵団に入ったときも。オレはオレの名前を名乗っていた。なんとか覚えていたこの名前を名乗っていた。
だというのに、誰も、ここにいる誰もが、その名前を聞いて何か反応したりすることはしなかった。
いったい、どういうことだ……? どういうことなんだ……?
オレはこの世目線のオレ自身の今の扱いがわからなくて、首を傾げている。
「……今は、いつだ」
「え?」
「今の年はいつなんだ……?」
オレは恐る恐る今の時代がいつなのか、ループスに問う。
オレが殺されたあの年は【東暦五百九十五年】……。殺されたときはその年の春だった。そうだったはずだ。
オレは己が殺された日を思い返すようにして確認する。
「今は……【東暦六百四十七年】……だけど?」
六百四十七年? ……馬鹿な!?
オレはループスから出された答えを訊いて驚愕する。
オレは【東暦五百七十二年】産まれだ。生誕日はまわってきていなかったから、オレが殺されたあの日、オレは二十二。ヤツもひとつ違いだ。
今が六百四十七年だとするならば、オレの歳は七十五、生誕日を迎えていない場合は七十四であるはずだ。
……ということは、オレは老人――であるはずだ。
とてもじゃないが、武具をしっかりと扱える歳だとは思えん。
それに、オレの容姿はあの殺された二十二のときとそっくりそのままだ。老いている気配がない。
……意味がわからない。わかるはずがない。
死に損なったのか死に損なっていなかったのか、という以前の話ではない。
オレが今、こうして腰を曲がらすことなく、若々しい容姿で突っ立っていること自体があり得ない話なのだ。
オレは、過去からタイムスリップしてきたのか……?
オレはオレ自身に訊くようにして心の中で問う。そんなことをしても意味はないのだろうけど。
……いや、タイムスリップしてきたと言えども、オレの所業が良い方にせよ悪い方にせよ、民衆に伝えられてきていなければおかしい話のはずなのだ。
オレはすぐさま自分が訊いた事柄をオレ自身で否定した。
「……アイリア、ループス。オレのことはやはり記憶喪失だということにして、今まで通りふつうに接してきてくれ」
オレはするりとそんなことを口から出していた。
「どうしてだ?」
「……オレにもわからないんだよ」
ループスに訊かれて、オレは苦しそうな表情で答える。オレはいったいどうしちまったというんだ。
「アルズ、しばらく安静にしていた方がいいのかも」
「ああ……」
アイリアに言われて、オレは短く返事をした。
……ガネーシャと言っていたな。本家のトップがガネーシャなのだと。
……人違いか? 同名のやつがいただけか? ……何故だか、そうだとは思えない。
ガネーシャが本家のトップなのだとすると……つまり、こいつ。アイリアは分家の人間なのだから、ガネーシャの家系であると。
憎き敵、ガネーシャの一族のうちのひとり……。
オレは心の中で嗤っていた。
何故だか知らないがオレは生きていた。狂っていて歪んでいる世界ではあるのだが、オレはその世界でなんとか生き延びることができていたのだ。
……あのときは敗北をしてしまった。惨敗だ。屈辱的な敗北を味わってしまった。
だが、オレの命はある。ならば、やることはひとつしかない。
あの女に復讐を――。
オレは執念を燃やし、心の中で再びオレの計画は動き出そうとしていた。
「……ねえ、アルズ?」
「……ッ!?」
オレはアイリアに心配そうな目で見られ、思わず抱きつかれていた腕を振り払おうとする。
お前はオレの敵だ。オレはお前の敵だ。
そんな風に考えていたオレなのだが、こいつと出会ったときのことが頭に思い出されて、オレの脳内から離れようとしてくれない。
こいつは……。こいつは、オレの敵だ。敵の一味だ。だというのに、オレは同情してしまっていた。
「……オレはダメかもしれねぇ」
オレは情けない弱音を呟いていた。
何が正しくて、何が間違っていて、何が善くて、何が悪くて、何が適切なのか、オレにはわからない。理解できないのだ。
「…………」
オレはぼうっとした目つきで目の前を見る。長く続いている廊下が、果てしなく続く迷路のように見えて仕方がなかった。
「アルズ……」
オレはこいつにこんなに心配されている。果たして、オレはこいつを殺すことができるのだろうか。
……いや、違う。殺すのではない。オレは、殺すことが真の目的ではないのだから。
何を考えているんだ、オレは。阿呆か。阿呆なのか。
オレはオレ自身に罵倒の言葉をぶつけていく。なんだか、とても心地が悪い。
「そうか……そうだよな……」
オレは何かに気づいたような顔をして、アイリアの頭を撫でてやった。
オレの目的は今の世の情勢を変えること。ならば――。
オレは考えて、考えて、思った。
……オレがこいつをトップに立たせてやりゃいい。この幼くて、孤独で、かわいそうな少女を。
そして、オレがサポートし、この腐りきったガネーシャの支配を変えてやる。
オレにはいつの間にか元通りの元気がオレの中に舞い戻ってきていた。
「……アイリア。お前、上に興味はないか?」
「……上?」
アイリアはきょとんとした顔でオレのことを見つめ返す。
「……悔しいよな。この領にひとりポツンと残されて。それで、本家の人間に殺されそうになって」
オレは言い募っていく。
「見返してやらないか。本家の人間はこんなにすごい人間に喧嘩を売っているのだと」
オレはニヤリと笑みを溢した。
「……戦いだ。オレらは本家に勝つ。……そして、支配体制を正していく」
オレはアイリアのことを見つめ続けて言った。
「面白そうな話ね」
アイリアはクスクスとオレの言った話を笑ってくれた。
「本家に喧嘩を売るって……アンタ、正気か!?」
「正気も何も、オレは元々その本家とやらと対立していたはずの人間だったのだ。なーに、七十過ぎの老婆をいたぶって殺す趣味はない。上の人間を変えるだけでいい」
オレはニヤリと面白そうなことを語るように笑ってみせた。
「アイリア。オレを、導いてくれ」
オレは何かが吹っ切れた様子で息を吐くと、アイリアに向けて囁くようにそう呟いていた。
「ふふん! じゃあ、まず、今夜は私とずっと一緒にいなさい!」
「……うん?」
オレはアイリアの発言を聞いて首を傾げた。
「オレが、か?」
「ええ」
アイリアはコクリと頷いた。
「……ループスとじゃあダメか?」
オレはループスのことを指差して言うのだが、アイリアは首を横に振って否定した。
「おい、アタシを勝手に巻き込むな」
ループスにオレはデコピンを打たれてしまった。
「ダメよ、アルズ。その人は一応まだ不審者扱い……としてカウントすることにしているの。私の安全を守る者が必要じゃない?」
「まあ、そうだが……」
オレは渋々とその発言に同意する。
「だから、あなたが一緒じゃないと。……ダメ?」
アイリアに上目遣いで見られた。オレはどうやら断ることができないらしい。
「……仕方がない」
オレは渋々とそれに了承し、その夜はアイリアとともに過ごした。