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ルート8 佳日の無垢 日田百合⑥


「空、青いね……」


 秋は早足に過ぎ去って、来たった冬も盛りは終わって春の足音が迫る、そんな今。

 三年生の先輩たちが校舎から去ってそれほど経っていなければ、あたしだってどこかがらんとした容れ物から目を逸らして空を見ようと思い立つことだってあった。


「あはは」


 あたしには高すぎるくらいのフェンスに覆われた屋上はでも寒い。春風とはいかない、肌に痛いくらいのそれに、あたしはむしろにっこり。無二の相棒だった冷えと痛みを久しぶりに覚えて、笑顔で挨拶をするのだった。


「このままだと世界、終わりそうにないね。良かった」


 半年近くの経過観察。葵が言うには寛解状態らしい世界を、飽きるまで見上げることはあたしが自分にかけた責務。

 でも、お空は青くて灰色になったり昏かったり雪華を散らしたりもして、一生見上げるのに飽くことはなさそうだった。

 忘れもしない、変わったこの世界の前のバージョンの際にみた悲しいまでの空の赤。あんなのもう見たくもないけれど、だからこそあたしはそうならないように手を組み合わせながら注視を続ける。


「このまま、続いて……」


 皆の幸せが、もし限りあったとしても限界まで光り輝くものでありますように。

 そんな、手前勝手な願いを空へと何時ものようにあたしは向けてしまう。無論、全てを飲み込む青の前に、あたしの願いなんて儚くも散ってしまうばかり。

 でも、だからこそあたしは何度だって願うのだろう。それこそ、きっとお婆ちゃんになってしまっても。


「……百合ちゃん」

「真弓ちゃん?」


 そんな風に上を向いてぽかんと地べたから目を逸らしていると、独りぼっちの屋上へとお友達がやって来た。

 この世界のバージョンだと葵が這入った経験がないからか、瞳が生来の緑色のままで少し気弱な感じの、真弓ちゃん。

 彼女はとてとて近寄って来て、その新雪で出来たような指先をあたしの袖にかけて、こう伝えた。


「寒いよ、早く戻ろ」

「そうだね……うん」


 多少元気をなくしたところでやっぱり真弓ちゃんは優しい子、だと思う。

 はじめてこの彼女と会ったのは、秋のまだぽかぽかしていた屋上のベンチ。読書していた真弓ちゃんにあたしが声をかけてみたのが彼女の出会いであたしの再会だった。

 話を聞くに、どうも真弓ちゃんは前の高校に馴染めなくって、こっちに移ってみたらしい。でも、中々この西郡高校にてもお友達は出来なくって孤立していたんだ。

 あたしは、同じクラスの葵は何してるんだろうと考えながら、真弓ちゃんの初めてのお友達に立候補。以降、今まで仲良しさんをしている。

 今も隣り合いながら手を手に合わせて握って、真弓ちゃんはぽつりとこう呟いた。


「……ん。百合ちゃん、指先冷たい」

「あはは。あたし、結構屋上に居たからね」

「でも……すべすべ」

「あー……そういえば、どうしてだろ? あたし、洗い物しても手が全然ひび割れないんだよね。菊子叔母さんなんか、クリーム付けて寝てたりするのに」

「それは、百合ちゃんが天使だからだと思う」

「あはは! だったら、素敵なのにねー」


 あたしは確かに呪われてるとか前のお医者さんに言われちゃったくりらいに変な身体しているけれど、別に天使なんて素晴らしい存在ではないと思う。それに特に怪我しないわけでもないし、悪いところがなくなっても元々機能が弱いあたしだ。

 きっと、そんなに永くは生きられない。そもそも天国より地獄がお似合いの、救いようのないあたしだから。

 当然、真弓ちゃんの言葉は冗談だと思って笑ったけれども、でも違ったみたい。

 緑の両目はあたしを確りと見つめて、そしてこう断言したんだ。


「私は間違いなく、百合ちゃんが天使だと思うよ」

「そっかー……うん。嬉しいよ」


 あたしは違うと考えている。でも、そんな思考程度で真弓ちゃんの思いをダメだとは言えない。

 むしろ、あたしはこの子の天使みたいになれるよう、もっと頑張らないとって前向きに考えられた。これも、ここのところずっと覚えている幸せのためだとしたら、それは良いことなのだろう。

 あたしは階段の途中で一度上を見上げたけれど、そこには天板があるばかり。何となく残念に感じたあたしに、真弓ちゃんはこう問う。


「……百合ちゃん、何か悩み、あるの?」

「えっと……そんなのないよー。だってあたし今とっても幸せだもん!」

「なら……幸せなのが、悩み?」

「えっと……」


 そして、地頭のとっても良い真弓ちゃんは、あたしの思いなんてお見通し。直ぐに、幸せなのが辛いっていう変なあたしの状態を当ててしまう。

 そう、幸せはあたしにとって、濡れた真綿のネックレス。時を経ればそれだけ首を締め付け死に誘う、不快と快楽入り混じったそんな感覚。

 せっかく貰ったのだから身につければならないのだけれど、本来ならばそんなものは捨てて一人飛び降りてしまいたい。そんな弱々しい本心だって、あるんだ。


「贅沢なんだ。あたしには幸せって」

「でも、ないと辛いよ?」

「そうだねー……うん。でも、辛かったからあたしは生きたいと思っていた変わり者だったから……なんかそれが失くなって燃え尽きちゃったのかも」

「そう……」

「真弓ちゃん?」


 あたしの無様な本音を聞いて、真弓ちゃんはぎゅっとあたしと繋がった指先に力を入れる。彼女は少し俯いていて、表情は上手く伺えない。

 気分を悪くさせちゃったかな、と思うあたしに真弓ちゃんは。


「それでも、貴女は私を幸せにしたんだから、幸せになって」

「あ……」


 報い。なるほどこれはそういうものなのだと、気づく。

 あたしは自分が持っていなかった幸せというものを特別の理想としていて、だからこそ人にそうあって欲しいと願って努めてきていたのだけれど。

 ならば、あたしだって人に押し付けてきたそれを確りと受け取って手放さないようにしないといけない。

 なんだ、それだけのことだったよ。


「ありがとうね、真弓ちゃん」

「……うん」


 頷いてくれた真弓ちゃんのビリジアンな瞳の中には、あたしの顔とその紅い瞳が映っていて。その赤はあの日終末の空に見た色とそっくりと気づいてはいたのだけれども。


「世界は、綺麗で。でもあたしだってその一つだって、忘れないようにしないとね」


 決して喇叭は吹かず。だから、あたしは終わりたくても終われない。




『ねえ、葵』

『何、百合?』

『あたし、頑張ったよね』

『ええ、とっても』

『葵、幸せになれた?』

『勿論』


 それは、夢って分かってた。夢の中のあたしは、少し年上になっていて、側にいる葵だってちょっと大人びている。

 ただ、あたしはちょっと疲れ切ってしまったみたいで、顔色も悪ければ中身もぐちゃぐちゃな感じ。きっと、永くはないってあたしのことだからこそ、分かってしまう。


『あたしは、貴女と一緒で幸せだったよ。とっても、幸せだった』

『それは、良かった』

『でも、どうしてあたしなの?』


 そして、きっと今際の際だからこそ、それを問えたのだと思う。多分未来のあたしは、どうしてあたしなんかが幸せと選ばれたのか、不思議がる。

 本質的に、幸福は透明であるからこそ、誰の隣であってもいい。なら、それを他者に押し付けたがるあたしこそがそれをいただけるなんて、そんなこと。

 申し訳ないな、ってずっと思っていた。でも。


『ふふ……なんだ、そんなことか』

『葵?』

『実際、この世界は七曜花達の願いによって歪んでいる。数多のバッドエンドが百合のためと一つ願いに纏まっているのは奇跡的だけれど、でもそれくらいに』


 葵が時に呟くことはやっぱりあたしにはよく分からない。でも、何となく、葵はこの世界の成り立ちを知っているのだとは察せた。

 その上であたしが幸せというフラワーブーケに包まれていることを、認めてくれているのはとっても不思議。

 でも、それはあたしがあんまりに考えなしだったからみたい。答えは、あまりに簡単だったから。


『ただ、大好きな君に幸せになって欲しかったんだ』

『あ……」


 その結論は、あたしの腑に落ちて心に溶け込んだ。

 それは、そうだった。何せ、あたしは光り輝く何もかもが大好きで、だからこそ幸せを願ったんだ。

 ずっと、一緒であれますように。後、もっと皆楽しげだと嬉しいです。そんな風に。


 なんだ、皆もおんなじで、だからあたしはもう独りじゃないんだ。


 そう考えれば、そもそも悩む必要なんてなかった。あたしは、もう必要ない先の夢から覚めるよ。


「幸せに、幸せを。そんな君を私という主人公の形をしたバグは、永遠に愛するよ」


 エレベーターみたいに浮上していく意識の中。だからあたしは葵の最後の一声を、置いてったことに気づかなかった。



 これはそんな、ハッピーエンドのはじまり。





「むにゃ……うん?」

「どうしたの、百合お姉ちゃん」

「あれ? アヤメ、あたし寝てた?」

「うん。ちょっと眠ってたけど……ってふふ。百合お姉ちゃん、随分口元緩んでるわよ?」

「あ、ホントだ……」

「百合ちゃん、よだれ出てるよー?」

「え、本当?」

「あははっ、うっそー!」

「はぁ。四六時中喧しいわね、この子は……育て方間違えたかねえ」


 あたしは知らない間に寝て、起きていた。

 それは家族皆でテレビを見ていた途中。時間で見れば、数分のことだったみたい。

 もう電池切れなんて起きないことだし、ただの寝落ちだったのだと思う。

 紫陽花ちゃんにはよだれ出てるとかびっくりさせられたけど、実際はそんなのなくて口元が知らず円かになっているばかり。


「あはは」


 その故を確かに覚えているあたしは、そのままにっこりするよ。


「はぁ……紫陽花お姉ちゃんったら、構ってちゃんなんだから。それで百合お姉ちゃんは、何かいい夢でも見たの?」

「うん! それで改めてこう思ったんだ……」


 アヤメの言う通り、あれはいい夢には違いない。あたしは何時か死んじゃうけれど、でも確かに幸せで、そしてそれが愛故と気づけたから。


「皆、大好き!」


 誰もかもを愛せることだって素晴らしいって知ったあたしはこれからも好きを表すために。


 幸せの中、好きな皆を幸せにするために、これからずっと生きるんだ。



――END OF THE EPILOGUE――


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