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ルート8 佳日の無垢 日田百合⑤


「びゅーん!」

「わわっ、紫陽花ちゃんちょっと待ってー!」

「あはは。お先っ!」


 粗く、息を吐く。それが白く棚引くのが熱の証明。けれども、あの子の背中はどんどん遠くなっていく。ただでさえ小さなそれが、街路樹の下見失ってしまいそう。

 あたしも最近少しずつ身体を動かすようにしているけれど、生粋の運動お得意の元気少女な紫陽花ちゃんには到底及ばない。今日も元気にあの子は先を走破する。


「あは」


 そのことが、ちょっと嬉しくってあたしは笑ってしまった。何せ、この紫陽花ちゃんは嘘の雫に濡れて薄く存在してばかりいたあの子の代わり。だから元気って、凄く嬉しい。


 時は秋を越して、冬。なんだか紫陽花ちゃんと葵が元気している今の現実に慣れてきたこの頃。ちょっとしたニュースがあった。

 それは、昼間の流れ星。ネット記事では火球だと書いてあったけれど、あたしも昨日びかびかするそれをお空に見た。

 きっかり十秒程度瞬いたそれ。うなぎさんみたいな雲を見て新たな観天望気を見つけられないかなと考えていたあたしが真っ先にびっくりしたその後、なんでか遠くでどかんと音も続いて皆も顔を見合わせて驚いていた。

 あたしは特に、流星が落ちたのだと勘違いしてあたふたしてしまう。避難しないと、と慌てるあたしに、でもふようさんと先生がもし本当に隕石が落ちたのだとしても、音の大きさを思うに落下地点が大変なだけだから気にしすぎないで、と教えてくれた。

 ふぅ、と落ち着いたあたし。でもその後次の休み時間に紫陽花ちゃんがあたし達の教室に突撃してきたんだよね。曰く、落ちた星を見に行こう、って。


「ふぅ……でも、ちょっと、早まっちゃったかな?」


 それに良いよって言ったら、放課後になるなり引っ張られてクラスの皆にばいばいする間もなくあたしは紫陽花ちゃんに引っ張り出されちゃった。

 そして、その後ずっとあの流れ星が向かった方角へとあたし達は走っている。走っていれば何時か落下地点に着くでしょ、という紫陽花ちゃんの発想から。結構、あの子はあたしを頭脳労働担当だとしている割には、話を聞いてくれない。


「はぁ……もう、いいや……紫陽花ちゃんに後は任そう」


 冷たさを身体で切る感覚は最初楽しかったけれど、身体の奥から湧いてくる熱と脚の重さに今はくたくただ。頑張ったからそろそろ良いよね、とまだ駆けている遠くの紫陽花ちゃんに内心言い訳しながらのろのろあたしはそこらを歩む。

 多分かけっこでは新記録な距離を進めたあたしは、整わない息を努めてゆっくりさせながら辺りをきょろきょろ。

 こっちの方は家までの帰路と反対。更にずっと進めばホラースポットとされている曰く付きの廃屋が幾つか点在しているらしいくらいの、郊外に当たる。

 でも、その手前のここらはまだまだ家屋が遠くを望ませてくれないくらいにはあって、路地も多め。そういえば、もっと小さな頃にここの三丁目辺りに口裂け女ってお化けの噂を聞いたこともあるなと思い出して、あたしはぶるり。

 何となく狭い道を避けながら帰ることもなく紫陽花ちゃんの影をしばらく追っかけるように歩を進めていると、ちょっと開けた光景と看板を見つける。

 そこに可愛らしく記された名前を読みながら、あたしは記憶を探った。


「あ、そうだ。ここみしろ公園……随分前に菊子さんにアヤメと一緒にブランコに乗せてもらったことがあったなあ……」


 そして、きっかけさえ思い出しさえすれば後は芋づる式。

 このみしろ公園は、車で病院まであたしを送ってくれる菊子さんがお隣のお気に入りのカフェでマスターさんとお話する時に、幼いあたし達を遊ばせておいた場所だ。よく姉妹で泥遊びして、車を汚すきかい、と菊子さんに怒られたっけ。


「懐かしい……」


 今はあのクラシックなカフェはなくてコンビニがあるけれど、でも公園の外観はあたしの記憶とそんなに変わらない。なんだか丸くてぐるぐる回して遊べた大きな遊具は撤去されてしまったみたいだけれど、鉄棒とかブランコとかちゃんとある。

 子供たちの姿こそないけれど、でも記憶を刺激されるのは楽しい。

 つい、あたしは公園の中に入って、この木ってこんなに小さかったかなと思ったり、新設された分類確り記載されているゴミ捨て箱を覗いて中身がぐちゃぐちゃなことを残念に感じたりしたんだ。


「おんなじで、変わってて、でもそれが当たり前なのかな……あれ?」


 総評として当たり前の文言で今を纏めようとしたあたし。でも、そんな視界に、ノイズ。


「あの人、何時からあそこに居たっけ?」


 いつの間にか、視界の端に黒い服を着た男の人が一人。彼は、空を見上げながらベンチに背を預けて座っていた。

 どこか鮮烈な黒と肌の白に、彫りが深くて目立つ容姿。あたしがこの人を見逃していたのはちょっと変だな、と首を傾げたけれど、でもそんなのいいやと決め込む。

 そんなあたしの不安より、なんだかあの人が悲しげなのが気になった。

 高そうな黒いジャンパーを着込んだイケメンさんに、不用心に無遠慮にだからあたしは近づいてみる。でも直ぐ近くにまで来たら、察した彼はあたしの方に顔を向けた。

 至極面倒くさそうにして、黒と白のその人はあたしに話しかける。


「なんだ、餓鬼。オレは今機嫌が悪くてな……要件が何にせよ、正直なところ構ってやる気はない」

「えと……ごめんなさい。怒ってたんですね。あたし、あなたが悲しんでるって勘違いしちゃって……」


 険のある声に、あたしは直ぐに謝る。やっぱり、あたしはダメ。嫌な気持ちの時に知らない人に声かけられると鬱陶しいものだっていうのに、気づかなかった。

 雰囲気で人の気持ちを決めるのは良くないんだなと思ったあたしは、余計なことしちゃったなと踵を返そうとした。

 でも、その前に男の人は興味を瞳に乗せて、あたしを見つめる。彼はあたしにこう問った。


「待て……オレが、悲しんでいる?」

「勘違い、だったみたいですけれど……」

「ふん……そうか。いや、別にそれは勘違いだった訳ではないのかもしれないな。何せ、悲しむことなんて生まれてこの方そうなかったから、オレが気づいてなかっただけかもしれない」

「えっと……なら、悲しかったかもしれないのですか?」

「そうだな、ならお前はオレにどうする?」


 男の人は白木のベンチに座ったままあたしに向けてにやり、と笑う。挑発的ってこんな感じなのかな。見た目の格好良さからひょっとして役者さんなのかもとあたしは思いながら、あたしもちゃんと考えてこう答えを返した。


「お話、します。あたし悲しい時、一人って嫌だから……」

「見知らぬ年上の異性相手に、か? お前はよっぽど悲しいのが嫌なんだな」

「そうかもしれないですけど……でも、あたしはあなたが悲しいのがもっと嫌です」

「へぇ……偽善極まりないが、なるほどそんなことを空で言える者と会えたのは面白いな」


 くすりともせず、彼は愉快そうに表情を切り替える。そこには先までの憂鬱な感じもなく、やっぱりあたしはこの人演技が得意なのかなと考えるには充分なものがあった。

 つい感心すらしているあたしに、彼はぶっきらぼうにこう名乗る。


「上水善人(よしと)だ」

「えっと、あたしは……」

「お前の名前なんて、どうでもいい。だが言質は取ってあることだし少し、オレの話を聞け」


 にべもない言い方に、怒りこそなかったけれど、あたしも流石に乱暴だな、とは思った。でもこの人、善人さんが先より気を良くしているのがあたしにはちょっと嬉しくて。

 だから文句一つ返さないでにこりとしているあたしに善人さんはちょっとつまらなそうにしてから。


「――この年にしてはじめて負けた、愚か者の話だ」


 そう前置きをして、短めなお話をしてくれたんだ。



 あたしは善人さんの波乱万丈な人生のことが語られるのかな、と内心わくわくしていたら実際そうでもなかった。

 実年齢四十を超えているとか、なんか今回勝負したらしい相手が楠花ちゃんっぽいのには驚いたけれど、話自体は短めで分かりやすいもの。

 悪として威張っていたら、もっと強いのに負けたっていう在り来り。少し言葉を選びながら、あたしはこう理解したと話す。


「……つまり、凄いパワーを持っているこれまで負けなしの善人さんは、少し前に鬼みたいに強い女の人にはじめて負けちゃったんですね」

「はっ、そうまで下手に要約されては文句をつける気も出ないな。まあ、こんな力の故も見せない男の戯言、お前も忘れてしまえば……」

「え。あたし信じますよ?」

「ほぅ……」


 はじめて直視してくれた善人さんを他所に、そんなにあたしは人を信じられない子に見えるのかな、とあたしは首を傾げる。

 これでも、神様とサンタクロースさんのお話を最近までずっと信じていたくらいには嘘を見抜けない人なのに。

 あたし人相悪いのかなあとほっぺを自分でむにゅむにゅさせていると、善人さんはこう続けた。


「ふん……お前がオレの無敵……いや、次点の力を持っていることを信じているとしよう。そんなオレが、もし悪人だとは考えないのか?」

「えっ、善人さんって悪い人なのですか?」

「それは勿論。オレは人の不幸以外では喜びを感じられない破綻者だ。故に、他人を毎日定量不幸にし続けている……勿論、オレは今お前なんて死んでしまえばいいと思っているし、実際に殺すことなんて簡単だ」

「はぁ……」

「どうだ、恐ろしいか?」


 恐ろしくはないか。そんなことを善人さんはあたしに問う。恐ろしいと返されるに自信満々な様子だけれど、でもあたしにはそれが彼の不安の発露にしか見えない。意地っ張りの子供の虚勢になんだかそっくりだから。

 勿論、あたしはお話できる人間であるところの善人さんが怖いなんて思えない。まあ、殺すとか物騒とは考えるけれども、別に向けられない刃を恐れる程あたしは暇でもないのだ。

 それに。疑問に疑問を呈するのはあまり行儀が良くないのかもしれないけれど、あたしはこう問い返す。


「えっと、人の不幸を幸せにする……それって悪いことなんですか?」

「はぁっ?」


 案の定、びっくりする善人さん。でも、あたしは彼がそんなに破綻した存在にはどうしたって見えない。

 そして。この人は自分を特別に見すぎていて命の当たり前をあまり考えていないのかもしれないと、今更に理解をした。

 だから、あたしはこう言うんだ。


「そもそも命って、何かを損ねることで成り立っているものですよ」

「っ」


 息をする、吐く。それだけでもう、他の生き物の邪魔。そもそも、在るだけで場所を取るならば、生きているだけで悪くもある。

 そんな理解を死にかけ続けることでしたあたしは、だからこそこの人がそんな当たり前のことで悪ぶるのが理解できない。

 悪は別に特別でなければ正しさの敵でもなく、故に隣り合っても良い。またそもそも薄命だったあたしは首を差し出すことすら気にしないのだ。

 柳眉を顰めて、彼はあたしに真意を問う。


「なら……オレは悪くないと?」

「いいえ。皆悪いから、そんなに気にしすぎない方が良いってだけです。それでも貴方がもし気にしてしまうなら……」


 そう。そんなのをしても慰めになるかは分からない。でもあたしの精一杯はそれくらいで、だから白か黒かで言えば真っ黒なのかもしれないこの人にだって、こう伝えられるんだ。


「あたしが、大丈夫だよって撫でてあげます」


 もし、それが嫌でも、知らない。あたしだって勿論悪で、なら精一杯誰かの為になろうとしたって良いんだ。

 ああ、誰もかも幸せになって欲しいということが夢でしかないことを知っているけれどもそれに逆らい続けるあたしは、おかしくて。


「ふふ……はははっ!」

「わ」


 だからか、彼は心の底から愉快そうに笑った。

 胸板もあって、格好良いなあと思うあたしに、でもしばらくしてから笑みを切った善人さんは喜色を浮かべたまま問う。


「お前、名前は何と言う?」

「日田、百合です」

「なるほど百合か。いいだろう。百合、お前をオレは……」


 その後、たっぷり数秒善人さんは沈黙した。

 一瞬母か、いいやでは妹、等との彼の迷いが口から漏れたけれどもよく分からないなあとあたしは首をこてん。

 浮かぶ疑問符が二つ三つになった頃、彼は改めてこう宣言するのだった。


「……姉とする!」

「ええっ?」


 その発言は、狭めのみしろ公園全体に響く。

 声が大きかったためか、鳩が一羽飛び去って頭上をばたばた。あたしはぽかん。

 でも、おかげか、それは彼を探す人に気づきを与えるには充分だった模様。

 少し経って満足そうな善人さんへぱたぱたと向かう足音が。

 やって来たのは善人さんにお似合いそうなとてもキレイな人。彼女は、溜息一つ吐いてからベンチへと足早に寄った。


「はぁ……善人。こんなところで何トンチキなことを宣言しているのですか」

「ふむ……(しず)か。何、オレはこの場に王冠を拭うものを手に入れただけだ。その称号として百合には姉という立場を与えた」

「はぁ……本当に貴方は馬鹿ですね」

「っ、痛!」


 さっきの姉ってのはそういう意味だったのかと感心するあたしを他所に、この静さんという人は善人さんの脳天をごつん。

 何か一瞬出た黒いガードを突き破って思い切りつむじの辺りに突き刺さった拳は、彼を悶絶させるに余りあったみたい。

 ちょっと無様にごろごろ転がるオーバーな善人さんの前におろおろするあたしに、素知らぬ顔で静さんは話しかける。


「あなた、百合というのですね。私は山田静。どうも私の婚約者がご迷惑をおかけしたようで申し訳ございません」

「あ、迷惑なんてないですけれど……」

「なら、良いでしょうか……しかし所詮は多少のチートと思っていたのですが、こうも影響力があるとは……」

「え。ちーと、ってどういう意味ですか?」


 なるほど似合いな二人と思えば婚約までしていた。そして、あたしが気にしてないよとしたら静さんも良しとしてくれて。

 でも、あたしは彼女がぼそりと呟いたチートという言葉を聞き咎めてしまう。

 なんだろう、この違和感は。間違いの回答というか、よく分からない不安がそのまま言葉になってやってきたような、そんな感覚。

 結構あたしのことなんてどうでもいいのだろう静さんは、でもこう真意を語ってくれた。


「何。単純なことです。あなたの周辺、明らかに外の手によって設定が換えられているのですよ――――良かったですね。埒外の者に愛されているようで」


 絶句。これはきっと答えだと、彼女の色のない瞳が教えてくれる。

 設定、愛。その意味を彼らが去ってしまってからも、あたしはその場でしばらく噛み締めていた。



 来年のことでなくても余計なことを考えていると、鬼さんは注意にやって来るものなのだろうか。

 果たして、さっきまでの善人さんと同じようにあたしはベンチに座っていた。またひょっとしたら、悲しんでいたのも同じだったのかもしれない。

 気遣わしげな、彼女の声が夕闇に届く。


「百合」

「楠花ちゃん……」

「その様子だと、何か余計なことを知ったみたいだね。原因は……善人かい? あいつは人にあることないこと吹き込む癖があって……」

「ううん。静さんが教えてくれた」

「はぁ……あの何処にでも居てしまう女が、かい」


 何処にでも居てしまう。その意味は分からないけれど、あたしにはあの人がここに居ることが間違いには思えなかった。

 暗がりに、楠花ちゃんの表情も陰りが深い。あたしには、でもそれを明るくする言葉を語れそうになかった。

 むしろ、不安から彼女にこう問ってしまう。


「あたしって、幸せを誰かに求められてるの?」

「いいや、むしろあんた以外の皆が、だよ」

「でも……」


 幸せに、でも。受け取るのを怖がってしまう生き物なんて果たしてあたしだけでいいだろう。

 そして、そんなあたしなんて消えてしまえばいいとすらあたしは思ってしまうのだから、未だに生きてしまっていることがどうにも不思議。

 本当ならば、あたしなんて生まれて直ぐに死ねば良かったと思うけれども、でも生きてしまったのだからなるだけ幸せを返していきたかった。それこそ、とあたしは呟く。


「――皆が笑っていてくれるなら、あたしは幸せになんて、ならなくていいのに」

「そうかい。だがね……」


 最強の鬼。この世の全てが束になっても敵わないと、楠花ちゃんは自称していてきっとそれは間違いない。

 なら、彼女は誰より幸せになっていて然るべきで、でもあたしと居る時はあんまりそんな様子もなかった。

 だから、あたしなんて見捨ててと切なる想いを音にしてみたのだけれど。


「それでも、私《《達》》はあんたを、幸せにするよ」

「わ」


 言い。楠花ちゃんは、あたしの頭を優しく撫でたのだった。



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