ルート8 佳日の無垢 日田百合④
「ふわぁ」
退屈、という訳でもないペンを操るのに忙しい授業の中。でもちょっとした疲れにあたしも欠伸を一つ。そうしてまた確り前を向いて勉強を再開させる。
そう、さいかいと言えばあたしは朝から再会できる筈のない子たちとまた会えた幸せにどうにかなりそうだった。
けれど、以降学校に着いてからは特に何時もとそんなに変わりない様子で助かっている。何せ、あんな調子で新事実が続いたら、あたしのちっちゃな頭なんて直ぐにパンクしちゃうだろうから。
まあその後も、何か隣の席の子からアヤメと三咲ちゃんと光ちゃんが三角関係になってるって聞いたから二時間目休みに一年生教室に突貫したことはあったけれど。
といっても、影で三人をじいじい見ていたところ、大きなセミを捕まえましたわと光ちゃんに引っ張り出されて三角関係は事実誤認ということを説明して貰えたから、それきり。
ただ、私達の関係は百合姉さんと月野先輩と火膳先輩達みたいなものよ、と完璧なたとえをしてくれたところ、三咲ちゃんと光ちゃんはどこか胡乱げな表情をしていたのは不思議だったな。皆仲良しさんなのは一緒だと思うのだけれど。
「あ、授業終わり」
そんな風にちょっと逃避気味に学んでいたら、戦争の名前を覚えることが多くて嫌になっちゃう世界史の授業も終わった。そういえばもうお昼休みだなあとかのほほんと思っていたあたし。
まずは、お弁当を持って、でも何処に行けばいいのだろうとあたしはちょっと思案する。
普段ならばあたしは真っ先に同じクラスの友人である椿ちゃんとふようさんと一緒に机をくっつけてご飯だ。
でも、ちょっと変わっちゃったこの世界だとお隣のクラスの紫陽花ちゃんと楠花ちゃんと食べていた可能性があるし、更にお隣の葵と真弓ちゃんと購買でパンを買っていたかもしれないし、アヤメと食堂でランチしていたって不思議ではない。
「うーん……どうしたらいいんだろ」
だから、あたしは見知らぬあたしに悩む。正直なところ、別にこの世界に居ただろうあたしと同じことなんて別にしなくたっていいと思う。
とはいえ、あたしがあたしらしくしないとなると周りの人が不安に思うこともあるだろうし、最悪不満に思われてしまえば居場所を失くすことだってあるかもしれない。
だから、手のひらサイズのお弁当箱を両手にああでもないこうでもないと、きょろきょろしていたら。
「あれ? 百合ちゃん今日はこっち来ないの?」
「百合……こっち」
「あ……うん!」
声がかけられて、振り向けばあたしを見つめる二人の目。ごく自然に近い二人が机をくっつけ合っていて、椅子が三脚。あたしの分を用意して、椿ちゃんとふようさんは座っていた。
机には高級お弁当と、複数のコンビニパン。それだけでは埋まりきらずあたしの分だけ間がしっかりと空いている。それは、ここに来ちゃう前からずっとあたしも見ていた馴染みの光景で、気にしすぎだったのかなとあたしもにっこり。
足早にあたしは彼女らの元へと行く。
「あはは。遅れてごめんねー」
「ふふ……別にお弁当は冷めるものじゃないし、大丈夫よ」
「そう。謝るくらいのことじゃない」
「そう、かな……」
ちょっとの遅刻を、平然と椿ちゃんとふようさんは赦してくれる。ふわりとした笑顔に、頑張りの口元の歪みが違っていて二人共とても可愛い。
でも、あたしはちょっと悩んでしまう。今回のことは良いにしても、そもそもあたしはこの世界のあたしではない。きっと、本当のこの世界のあたしが何処かに居るはずで、それと異なるあたしは不純物であって認められるべきじゃないのだけれど。
「ふふ」
「そう」
何も知らない気づいてもいない筈なのに平然と、椿ちゃんは笑顔のまま、ふようさんは頷いてくれるんだ。
あたしは、お友達に恵まれている。
もぐもぐごっくん。そんなのを水筒からお茶を飲みながら繰り返していたら、何時もより早く終わってしまう。
「ふぅ……ごちそうさま」
でも、それも仕方のないことかもしれない。味のしなかったこれまでならば、食事は栄養補給のための必須行動でしかなかった。それが、舌に味が染みるようになってしまえば、それも特段の楽しみに変わる。
あたしがせっせと作った卵焼きも、お肉を巻いたアスパラも、どれも何だかしょっぱさに甘さや香り等が複雑で、自分で言うのもおかしいのかもしれないけれど、美味しかった。
先に味覚が戻ったんだ、と言っておいて良かったかもしれない。何せ、お話もせずずっとぱくぱくしていたあたしを見て、ふようさんですら目を丸くしていたのだから。
椿ちゃんなんて涙ぐんで良かったねって言ってくれた。あたしなんかの健康化一つで皆が喜んでくれるならそれは幸せなこと。あたしもにっこりありがとうと返せた。
「百合ちゃん、お食事早いわ……まあ、ふようちゃんはもっと早いけど……」
「流石に、サンドイッチと焼きそばパンだけ食べるなら、誰だって早いと思う」
「もうっ。何時も言ってるけどふようちゃんはもっと食べないとダメよ? お腹空いているなら私のお弁当幾らだって分けてあげるんだけど……」
「残念。私は百合より少食。エコ」
「あはは。それでもあたしよりふっくらしてるし、ふようさんの身体ってきっと凄く効率的なんだねー!」
「百合……それは、私が太っているということ?」
「ん? 違うよ? ふようさんが健康的で可愛らしいってこと!」
「……そう。それならいい」
「ふふ……ふようちゃんも、百合ちゃん相手にはかたなしね」
あたしたちは、本当は違うのだろうけれどこれまでと同じように仲良くお昼にお話。なんだか食べる姿がとっても上品な椿ちゃんに、パン派でカレーもナン派と言って栄養がちょっと心配なふようさんも、皆違って皆素敵。だから、あたしは掛ける言葉なんて沢山あって、話も自然と弾んじゃう。
台風怖いね、ってなった今日の天気のお話から、ふようさんはお父さんの靴下が臭くて洗濯の時に困ると語って、椿ちゃんは去年辞めた元メイド長が子供を産んだからと名付け親になったということを嬉しそうに喋った。
「あはは。赤ちゃん男の子なんだ! 椿ちゃんから春の部分取って春季君ってお名前もいいねー。きっとかっわいいんだろうなー」
「ふふ……確かに可愛らしかったわ……ほっぺ真っ赤だった。お手々もちっちゃくって……大過なく大きくなって欲しいわね」
「多少の不幸を含めてその人だろうけれど、私も元気ではあって欲しいと思う」
「そうだねえ。あたしも元気になって来たけれど、やっぱりそれって良いことと思うもん」
「そう……ただ、何か不安があるようにも私には見えるけれど?」
「ふあん?」
そうなんだ、とニコニコしながら聞いて話していたら、ふようさんからそんな疑問。あたしはどう返そうかとちょっと迷う。
不安。確かにそれは間違いない。でも、こんな胸元のモヤモヤ、共有してしまって良いものなのだろうか。友達を不快にさせるのは本意じゃない。
でも。それでも黙って心配させるのはもっと心苦しい。あたしは、否定されてしまう恐れだって胸に秘めながら、懺悔するように小さめに言った。
「……ねえ、ふようさん。人が世界を移動するってあり得ると思う?」
「唐突だね……それは、百合がそんな感覚、記憶の齟齬などを覚えているからかな?」
「そう! なんか、こうじゃなかったのに、こうなっているのが……どうしたらいいのか分からなくって」
「なるほど」
小さな頷き。そして、あたしも口に出して話していると何となく自分の中で腑に落ちる感覚があった。
そう、どうしたらいいのか分からないという不安。本当のあたしという正解がないことに救いのなさすら覚えていたからこそ、あたしは困り果てていた。
でも、世界移動なんて、実際考えられることじゃない。そもそもあたしがおかしくなったと採るのが普通で。そこまで考えずとも、椿ちゃんはあたしを前に微笑む。
「ふふ……百合ちゃんもそんなお年頃なのね。私ももし異世界に行けたらどうしよう的なことを考えてハマっていたことがあったわ……」
「同い年なのに椿、おばさんくさい……多分、百合の発言はそういった流行り廃りとは関係ないところにあると思う」
「おばさんって、酷いわね……でもふようちゃん、どういうこと?」
巻き髪と一緒に、椿ちゃんは首を傾げる。
流行り廃り。異世界がそういうものだとは知らなかったけれど、でもまあ確かにあたしのと椿ちゃんの言っているそれはちょっと違いそうだ。
ただ、具体的にどういうものが異なるのか説明できないあたしに、ふようさんは机の上に置いた二つの手のひらにて上手に差異を教えてくれる。
「椿の発言は願望。百合の疑問は不安。現状に対する妄想と現状に関する懐疑。両方とも異世界という発想はあっても、関係は薄いね」
「えっと?」
「つまり、異世界云々はどうでも良くて、百合の不安の解決こそが大事……百合は今がおかしいって、どうしてそんな風に感じたの?」
「それは……」
やっぱり、ふようさんはとっても賢い。あたしが、世界が違うとまで思ってしまうくらいの昨今の認識のズレを察して、その上でその説明を欲した。
それがあたしの不安の解消のためというのがまた嬉しくって、あたしはあたしがおかしい子だと思われるのも仕方ないとして、あたしの現状認識を話す。
「あたしの記憶だと、紫陽花ちゃんも葵も亡くなっちゃってる筈なの。でも、生きていてくれて……とっても幸せなんだけれど、違うのは間違いなくって混乱しちゃって」
「なるほど」
ちょっと震えているかもしれない声に、でも二人は邪魔することもなく聞き取ってくれる。ふようさんは頷き、そして椿ちゃんはしばらく悩んだ上でこう仮の結論を付けた。
「うーん。あんな元気な子達がそんな……百合ちゃん、変な夢でも見て影響受けちゃったのかしら?」
夢。むしろあたしには今が幸せな夢であるようにすら思える。
実際、紫陽花ちゃんも葵ももっと幸せに命を謳歌して欲しかった。だからこの世界は流石のあたしだって良しとしている。
でも、でもと思ってしまう心もあたしには捨てきれず。
ああ、ここが正解なら、あたしの元の世界は間違いだったのか。そう思いたくなくって、あたしは彼女らの不幸をすら脳裏から消せずに。
夢と捨てられればどれだけ良かったのだろう。でも、あたしは確かにあたしで。
でも、相談相手たるふようさんの結論は、どうも違っていた。
夢。それに諾として彼女は呟く。
「……そう、かも」
「あら?」
先の呟きは実は本気ではなかったのか、椿ちゃんは笑顔を消して疑問を持つ。
薄紅色の唇に指先を当てて考える彼女の前に、ふようさんはこう語った。
「胡蝶の夢は主体の問題。でももし、黒いちょうちょが白いちょうちょの夢から目覚めたのだとしたら、それは」
「……どっちでも、いいってことかしら?」
「そういうこと」
「うむむー……」
納得して同じ結論に至った頭の良い友達二人を前に、あたしは悩む。
胡蝶の夢っていうのは、確か誰かがしばらくちょうちょさんになっていた夢から目覚めた時に、どっちの自分が正しいのかと悩んだっていう故事から来たものだったと思う。
なるほど、似たようにあたしはあたしで正しいか、それでも良いのか不安だ。もっと言えばこんなあたしが幸せになんてなって良いのかずっと悩んでいる。
でも、二人はどっちでも良いとたとえ話の中で認めていて。
あれ、と思ったあたしはついこう問っていた。
「なら、あたしはここに居てもいいの?」
「勿論」
「当たり前じゃない」
あっけらかんと、椿ちゃんとふようさんはそう断じる。そこに、迷いなんて何もなく、だからあたしはえっと驚いてしまう。
あたしはあたしで。ダメで間違っていて、命すら僅かだったけれど。
お友達を《《してくれていた》》この子達は、そんなあたしだって良しとするのか。
「うぅん……」
あたしは何が正しいか分かなくなって、暗中模索に答えが見つからず、ただキレイに輝く彼女たちを見上げるけれど。
「正解とか、ないよ。たとえ足跡が何かを踏みにじった詳細だとしても……」
ふようさんは、そう言ってくれて。ちょっとだけ迷ってから。
「それでも貴女の進んだそれこそが、貴女の証明」
幾ら悪どかろうが生きて、という誰かの願いのような結論をあたしのまえに示してくれたのだった。
 




