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ルート6 浄土の芳香 土川楠花(なか)⑥


 一人の殺しは悪でしかないが、百万の死は英雄を生む。もし、数こそ神聖化に寄与するものであるならば。

 無限の滅びの切っ先である土川楠花は何だ。



 楠花は、静をこの世から追い出し消した。馴染んだ殺しよりもずっと軽い感触に、抱く感傷は当然少ない。


「はぁ」


 震える手を握って、開いて。それきりで哀悼すら必要ない相手に対する意識も無用。

 同じ珈琲屋を贔屓していて、偶に映画を観る時に鉢合わせして解釈に喧嘩をしたことがあった相手であっても、永遠の別れは慣れたもの。

 好きか嫌いかでいえば好きであってもそんな者より大切なものが楠花にはある。

 だから、彼女は空間に孔を開け、全てを振り切り百合の元へと戻った。鬼が帰りたてに見たのは、口をぽかんと開けた彼女の間抜け面。

 なんかよく分からない間に大変なことになったと着替えを終えたばかりの百合は、やり切った様子の恋人に驚きを隠せなかったのだった。


「わ。楠花ちゃん」

「さあて、百合。寝起きに申し訳ないが今がどんなことになっているか、分かるかい?」

「えっと……うん。よく分からないけど、なんだか真っ二つになったお空と皆にあたしみたいに電池が切れちゃいそうな感じがする……」

「その通りさ。今や地べたはちょっとした地獄絵図。死にかけのこの世が引力を益々亡くしたせいで、どこもべっとり赤だらけさ。ったく……余計なことをするよ、静の奴は」


 空からここまで、瞬時。そのために被害の程の把握などしてはいないが、青空のその内の赤が血のように溢れるまでに傷んでいるのであれば、世界は周囲に余計なものを引っ付けている余裕なんてとうになくなっていることだろう。

 恐らくは、ごっそりと。この世の殆ど総ての人間は紅く消えているに違いない。百合が当たり前のように存在しているのは選ばれし唯一人のヒロインであるからであり、その他大勢はきっと主人公の友人レベルの重要であろうが消えているだろう。

 彼女らのために十字を切ることもなく、ただ目を瞑った楠花に、未だにことの重大さがよく分かっていない百合は首を傾げてこう問った。


「静さん、って……あのなんだかキレイな人? あの人のおかげであたしは楠花ちゃんに告白する勇気を持てたんだけど……」

「ああ、百合。あんたもアイツに余計なことされちゃってんのかい……はぁ。その、恋のキューピッドさんが滅びを大幅に繰り越させたんだ」

「どうして?」

「それは……まあ、私に覚悟を決めさせるため、かねえ」


 天使のようにま白い少女の真摯な疑問に、真っ黒な鬼は言葉少なにそう零す。

 そもそも、山田静という存在は無敵極まりなく、本来こんな簡単に消せるほど容易い汚れではない。

 ただ、親愛なる鬼のためにと開いた手の平を利用して、楠花はあっちへと跳ね除けた。それが正しい行いではなく恋人の前で胸を張れるようなことではないのは彼女本人こそ理解している。

 それでも、世界の滅びを前に世界を滅ぼすものは対さざるを得なかったし、自棄な彼女を終わらせられたのも良かったとも思えた。

 結局のところ、楠花が逢着する考えは一つだけ。異世界からの侵略者は、当然のようにこう紡ぐ。


「私が、悪かったんだ」

「それは……楠花ちゃん、違うよ。あたしは楠花ちゃんが居てくれたことだけが良かった」

「ありがたいねえ……そう言ってくれるのが百合だけだからこそ、涙が出る」

「楠花ちゃん……」


 三千世界に繁茂する。ろくに喰えもしないそれが悪でなくて、他の何が悪い。

 だが物知らずの愛に極まっている乙女は貴女が貴女だからこそ、良しとした。

 鬼さんこちら。そんな鬼事を遊戯としてしか知らない百合は楠花を恐怖と分からず、でもそれが良かったのかもしれない。

 鬼も泣く。世界の切り口が人形だからとはいえ、人と形を殆ど同じくするものだからそれも出来て当たり前なのだが、しかし温いそれを愛のために零していいと彼女は思えない。

 だから、何もかもに申し訳なくしながらも、それでも鬼の少女は哀を滴らせる。

 惜別。それが彼女の身にも迫っているがために。楠花は優しく額を合わせる百合にこう聞いた。


「私は楠に花と名乗った。その理由が果たして百合には分かるかい?」

「えっと……その方が可愛いから?」

「けら……そんな見方もアリかもしれないが、生まれたての私の考えは違ったよ。それはね……」

「ん?」


 そこで、息を継ぐためのように、鬼は少女の唇をぺろり。舌先で撫でられたことを特に気にせず首を傾げる百合に、楠花はこう言う。


「私は花のようにキレイと散りたかった。生き物の一つとして、ありとあらゆる光に輝く生命達と共に生きたかったんだ!」

「それは……あたしと一緒だね」

「ああ! それは私も感じて……憐れみもしたさ」

「でも、楠花ちゃんはあたしを好いてくれた」

「何でだろうね……もしかしたら迷いかもしれないが、それが何より私には似合いだった。好きだよ、百合。何よりも」

「あたしも、楠花ちゃんが一番好き!」


 笑顔は満面。しかし百合は、分からないが悟ってもいる。これまで固く閉ざされていた鬼の口がここまで軽いというのは、それは今が際だから。最期に近い今日のここ。ひょっとしたら、友達も妹も皆どこかに落っこちてしまっているのかもしれない。

 けれども、最愛とした人は今目の前に花のように輝いて雫を散らしているから、どうしたって幸せで。


 貴女が美しいから、時よ止まれ。そんな叶わない願いは口にせず、愛を叫んで少女はひしと鬼に抱きつくが。


「けらけら。嬉しいよ」

「あ……」


 優しく、百合は楠花の手により離された。最弱の抱擁を感じた最強はたじろいでいるが、でももう曲がりはしない。

 改めて己の威容を誇示するように背筋をぴんと伸ばし、最高の幸せだった一瞬前を噛み締めつつ、こう宣言した。


「だが花なんてもったいない。私はただの物言わぬ木でいいさ。そうして……これからずっと、あんたの大切を支え続けてやるよ」

「え?」


 楠花の言うことが、百合には相変わらず分からない。でも、思いの丈ばかりは敏に受け取れてしまうから、彼女は迷う。

 涙は目頭によって堪えられ、煌めきは力みによって殺される。そして、彼女の生命活動すら全力を持って抑えられ、その結果これまで耐えてきたその全ては溢れに溢れて。


「百合。お前は死ぬまで、生きるんだよ」

「――――なかちゃん!」


 尖った鬼の手は丸く、木の一部に。背は高く高く、空を貫き不足を埋めながら伸びて支えて、それ以上に丸々と増加して褐色に熟す。膨大は成長をあまりに短時間に終えさせ、百合は叫びを続けられること無く、しかし樹木と化した最愛に掴まったまま。

 空は、青くも赤くなっていた。だが、それがどうしたことだろう。傷が開いたならば、それを閉ざしてしまえば良いのだ。普通ならそんなの叶いもしないが、無限と同等の体積を誇るエックスの一部である楠花が本性を顕にすれば、それも物理的に可能となってしまう。

 また、楠の木は薬の木とも読めるほどに薬効があり、それは世界すら癒やしうる。

 つまり、楠花がその人の身を台無しにさえすれば世界の総ての傷は塞げるし、治せた。無論、生命活動を平坦にしたそれが少女の死と同義であるからには軽々とは行えやしないが、だがしかし。


 その愛は、自愛を超えて花開く。やがて世界を木として支えきって安定したそれは、終いにそれを広げた。

 あまりに小ぶりなその白は、どうにも彼女には似合わないが、けれども多分に空を魅せるそれらはとても控えめだったその内面にそっくりで。


「キレイ……」


 だから、百合の感想は改めて、それ一つ。

 木の洞に座しながら満開の楠の花を前に、少女の薄紅色の唇は柔らかく揺れた。


 それに応じるように綺羅綺羅と、白く光を弾いて花は開く。百合の生存のために滅びを否定した大元の心と同じように、それらは一斉に彼女の方を見た。


「あはは……」


 向日葵どころではなく一斉に花卉に見つめられて、百合も思わず苦笑いしてしまう。だが、それが愛ゆえだと理解した百合は、紅いどころか青の印象を消し飛ばすほどの白に塗れた空に魅了されながら。


「ありがとうね……あたしは幸せ、だったよ」


 哀しみが瞳から溢れるもので、恋が胸元から落っこちるものであったとして、ならば。


 想いは足元を越えてどこに消える。


「だから、もうちょっとだけ、生きるね」


 撫でる手には益々力が伴わなくなっているが、それでも花を命の限り見上げるために。少女はもうしばらく終わらない世界を生きて、死ぬのだろう。


「ううっ……」


 ただ、地から伸び行く花にそれを感じた彼女は晴天に一人、泣いた。




 これはそんな、諦めの終わり。


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