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ルート5 新月の誇り 月野椿⑤


「きゃ」

「地震だ! 椿ちゃん、こっち!」

「百合ちゃん……」


 それは、果たして地震などではなく異能を含めたこの世のありとあらゆる人工物を鬼退治のために一極集中したがための些細な影響である。

 だがしかし、鬼の皮膚を多少焦げさせるという大戦果を挙げたその火力は、遥か遠い洋上から六千キロメートル以上離れた日本をも揺らすには充分。

 震度としては六以上が波状に広がって中々止むことはない。杭深く建立されている高価と立派の権化のような月野家にあっても、その持たない者達の貧乏揺すりの害を被ることになる。


「凄い地震だね……」

「そう、ね……あ、治まったかな……」

「皆、大丈夫だといいけど……」


 最早立つことも叶わぬ揺れの中、隣に控えていたからこそいち早く、百合は椿の手のひらを引っ掴んで大テーブルの下に誘えた。大いに地面弾んだそれもしかし、時間としては数十秒。色んなものが壊れ落ちていく音を頭上に聞きながらも天井が落っこちてくることさえなかったことを幸運として、彼女らはそっとテーブルの下から顔を出す。


「わあっ、折角皆で整理してた書類が無茶苦茶! それに、椿ちゃんの端末も落ちちゃってる……壊れてないと良いけど」

「そうね……でも、モノは壊れても、仕方ないわ。そんなことより……」

「お屋敷の人たちの無事を確かめないとだね! まずはドアが開くか試して……って、ドア勝手に開いてる! 本当に、すっごい揺れだったんだね……」

「閉じ込められなくて良かったけれど……それにしても、これだけの地震で端末に地震速報も届かなかったのは、困るわね」


 我が身と最愛の身を百合と椿は確かめ合い、そうしてその場をうろうろとした。先のあまりの震度のためかどうにもふわふわとした心地で現実感がない。とはいえ、眼の前のこれまでの頑張りの一部が台無しになっている現況には特に椿が思うところがあった。

 這いつくばることしか出来なかったことを考えると震度は恐らく六強。予兆がなかったとしても、それにしたってこれは寝耳に水の災難に過ぎる。遠い沿岸の津波の被害も心配だし、これがもし続くようであったらどこに住んでいようが大変だ。

 ただでさえ突発的なフォーラーの不安からTUKINOが技術を含めて出資し、現状機械化自動化著しいインフラも物理的な断絶が起きてしまえば直すのには相当な時間がかかるだろう。

 計算上世界が滅びる数年前であろう今に原状回復に割く余力なんてないというのに、困ったものである。弱り目に祟り目。逆風に、しかし負けるものですかと貴い少女は思う。


「はぁ……今更に携帯煩くなって……取り敢えず、気をつけながら出ましょうか」


 そんな一考をした後の今更に音を立て始めた携帯端末にため息を吐いて、椿は百合の手を取った。すると、その柔らかい先端から僅かに感じた震えに、彼女は少女の恐怖を覚える。

 元気しているようで、その内は確りと地震を恐れていた。いや、百合のことだからひょっとしたら自分ではなく皆が台無しになるのが怖いのかもしれないが、それもある種健全な思考だろう。

 椿がぎゅっと力を入れて握ったことで、百合は前を向く。そして、こちらへ駆ける上司の姿を目に入れ、そのまま呼ぶのだった。


「うん……あ、メイド長さん!」

「お嬢様、百合さん……ご無事で良かった……さあ、一緒に避難をしましょう」

「ええ……恒美、貴女も無事で良かったわ。メイド部隊は大丈夫そう?」

「勿論です……と言いたいところですが一名……B隊だった吉見が慌てて足首を負傷していて、現在治療中です。所見としては捻挫ですので、元Aの荒井に介助を任せています」

「そう……怪我人が出てしまったのは残念だけれど、まだそれくらいで良かったとも言えるかしら」

「はい……また暗くなる前、夕時にも遠いこともひょっとしたら幸いな点かもしれません……といっても、家屋の損傷に巻き込まれた方々の慰めにはならないでしょうが」


 背高のメイド長の先導にて、少女たちは話しながら多少歪んだ家中を進む。

 広い廊下。展示物である月野の歴史の証左であるところの骨董品は多くがガラス越しに倒れて時に割れている。

 ただ、防犯のためにも分厚く頑丈に設えているガラスは罅が入っているくらいが精々で、歩行に問題はなかった。

 年に数回実施していた避難訓練の通り、とはいかなくても無事に外に出た彼女らは大勢がごった返す中に紛れ込む。

 メイド隊を探すどころか家に隣接しているビルに勤めていたのだろう見知らぬ大人達にぶつからないように三人は手を繋ぐ。その際に田所メイド長は椿と繋がれていない余った手で鼻頭を抑える等のいつも通りの行動をしていたが、それを流してこの場で特に偉い彼女は問う。


「……最寄りの避難所、中学校だったわよね」

「ええ……ですが、私達が一斉に向かえる程のキャパはなさそうです」

「お家、アヤメも大丈夫かな……」

「そうね、百合ちゃん。でもきっと大切な人の無事を確かめたいのは他の人も同じで……幸い、この家はざっと見たところ損壊はしていない……ちょっとお父さんとお話をしてくるわね」

「あ、椿ちゃん……」


 そして、何か叫んでいる声こそ聞こえなくても遠く父等が壇上に立ったことで見つけた家族の健全な姿に椿は、繋いだ手をあえて離して事態の方向をすり合わせに人混みを進む。

 当然、心細さに百合は声を出してしまうが、それを止めるように椿が離したその小さな手のひらを掴む手があった。

 手袋に包まれたその少し冷ためな手の持ち主を知っている百合は、つとそちらを見上げる。自然、彼女は力の篭った恒美と目が合うこととなる。


「百合さん、お嬢様を信じて待ちましょう」

「はい……でも田所さんも、家族が心配ですよね」

「う、ん……私の場合は親兄弟とは縁が切れていますが……まあ、それでも流石に死んで欲しいとは思っていませんね」

「うう……誰も悪いことなってないといいなあ……」

「……そう、ですねえ」


 事態に弱っている少女のためになればと話をした恒美であったが、しかしあまりの自他の内面の差異に思わず苦く笑ってしまう。

 そう、人の善性を信じ切ってしまっている百合に、元家族にこれからも生きて苦しめ、と思っているとは流石に言えなかった。だから、大人しく上司っぽくその場にしらと待つばかりである。

 やがて、時間とともに人が三々五々に捌けて、百合と恒美の手のひらが違和感ないくらいに温かくなった頃。

 十名強程のメイドたちを引き連れて足早に椿が戻ってくる。取ったメモを一瞥することもなく、彼女は着くなりこう語った。


「メイド隊と、百合ちゃん。お父さん達と話をして、私達のこれからの方針が決まったわ。まず、貴女達はしばらく同じ被災者として職務よりも自らの命を大事に私と行動を共にしてもらいます」

「それは、我々にとっても重畳なことですが……いいえ。さしあたって、メイド達で食料品の確認等を行っても大丈夫でしょうか?」

「ん……非常時故に基本的には、ある程度自己判断でも良いとは聞いているけれど……そうね、困った時に経理に人事を任せるようなことなんてあり得ないし……まず水場に慣れている私達は水に食べ物、そして生活用品の無事の確認をしましょうか」

「うん! 皆どうなるか不安だろうから、安全の確保にあたしも頑張らないと!」

「そうね。及ばずながら私も頑張るわ」

「えっと……ひょっとして、お嬢様が現場指揮をとられるので?」


 メイド長の進言を認め、椿はあたしも頑張ると鼻息荒くする百合を優しく抱く。そして、次に新たな疑問を持った恒美の問いを受けることになった。

 質問を想定していた椿はでも、少し申し訳無さそうにしながらこう続ける。


「そう。お母さんと光は別の役目に手を挙げたし……私では不足かしら?」

「いいえ。そういう訳ではなく……ただ、瓦礫にお嬢様が向かわれるのは危険ではないかと」

「はぁ……先も言ったけれど現状私達はここに被災者として並んでいるのだから、遠慮は不要よ。それに……責任者として私は貴女達の役に立ちたいの」

「……畏まりました。ただ、メイド隊にも大なり小なり向き不向きがありますので、選抜に少々お時間をいただきたく……」

「それは、当然ね。お願い」


 集まったメイドたち。端末をタップして情報収集に走ろうとしていた者や、ただ不安に顔を青くしていた者、足を挫いた友人を気にしていた者等などはそれぞれ恒美に声をかけられていくことで前を向けるようになっていく。

 最早触れるだけで変わるように劇的なまでのそのリーダーシップに、新参の百合も目を丸くして称賛するのだった。


「椿ちゃんもだけど凄いね、田所さん……格好いいや」

「そうね……私としても恒美には長年本当に助けられているわ。それこそ、私には勿体ないくらいに働いてくれてる」

「そっかあ。なら、あたし見習っても頑張らないと!」

「……どうして、百合ちゃんがやる気出してるの?」

「だって、素敵な人が身近にこんなに沢山いるの幸せだもん! 見習ってあたしも皆を幸せに出来たら、って思っちゃうよ」

「……そっか」

「わ。椿ちゃん、あたしの頭ぐしぐししないでー」

「百合ちゃん、大好きよ」

「あたし、あたしだって、椿ちゃんのこと、大好きだよ!」


 それはそら言のような、少女の夢。百合も奉仕は性格上得意ではあるが、それでもメイド長に並ぶには時間も経験も足りなく、それを埋めるための時間だって後数年保てばいいところ。

 結局のところ、この少女は身の程知らず。世界の生存を望んで、何もかもの幸せを願って、欠片もその夢想に貢献することなく消えるのが定め。

 そんな虚しいばかりの生き物は、しかし笑顔を努めて今を助けようとし続けている。過去を忘れて明日を考えられず、だから懸命にも不明に震えながら明るくしていた。

 そんな百合のどうしようもなさが恋する心には嬉しい。

 絹織りものの如くに光を透かす白の髪を乱しながら、椿はこの子を愛おしく思うのだった。


「うー……髪の毛乱れちゃった……って、あれ?」

「どうしたの、百合ちゃん?」

「えっと、なんか変な雰囲気の男の人がこっちに走って……」

「……何かしら」


 そんなご主人様とメイドのいじらしい触れ合いは、公衆の面前で目立っていたが、だがそればかりが要因ではないのだろう。被災のため壊れて監視も蔑ろになってしまった入り口を越えて真っ直ぐに広場へ、そして椿の元へ駆けてくる男の姿が百合には見て取れた。

 他人というものに嫌忌するところ欠片もない彼女はぽかんと殺気塗れの男が手から筒状の物を取り出すのを見逃してしまう。

 そして、百合の平和ボケが感染ってしまった椿も警戒を遅れさせてしまい、だから。間に合ったのは、恒美の次に年かさのメイド一人だった。


「おあああぁあっ」

「な」

「っ」


 彼女は奇声をあげて突貫してきた男と椿の間に割って入って。


「お嬢様、お逃げくだ……あ」

「えっ」


 男が持っていた時限式爆弾の、その爆風と飛散物の盾となって。

 千切れて欠片と化した後に周囲に赤く散らばったのだった。

 感じたことのない熱を頬に感じ、それはあまりに早く冷めていく。命とはそういうものなのだと、椿は今更に知った。

 責任、悲しみ、恐怖。荒れ狂う心を処理できずにおこりのように、少女は震える。


「あ、ああああ……」

「椿ちゃん! また違う人が来たよっ! 今度は沢山……逃げないと!」

「あ、う。あ、うん、うう……」

「っ、誰か椿ちゃん連れてくの手伝って!」

「百合さ……あ」

「あ、斉藤さん大丈夫……え?」


 そして、そのまま臥しそうになる彼女を有事と無理して支えながら、百合は周囲に声をかけた。だが、必死なそれこそが、何よりも悪手。

 彼が位置に着いた時から既にあまりに近かった少女はともかくとして、ターゲットの確保の邪魔になりそうな次に動いた者。それが狙撃手の処理対象である。

 故に数百メートルの遠くからトリガーは引かれた。弾丸は過たずに月野椿を助けようとしたメイドの頭部を貫通してその内部を赤くピンクに溢れるまでに毀損させることとなる。

 最近推しのアイドルの話で盛り上がった憶えのある斉藤衣子が頭から地面に落ちる姿を、百合は目撃した。

 弾け、落ちた頭からはだくだくと血が流れてホワイトブリム毎地面を赤く汚していく。

 あんまりなそれを見て、とうとう百合はしっかりしなければとも思えなくなった。


「う、あ……」


 ぼう、としてしまった百合の心を他所に事態は動き、気づけば周囲には黒いツナギのような材質の衣類をまとった男たちが囲むように集っている。

 彼らは一様に顔を伺えないようなマスクとゴーグルを身に着けており、そして複数人が手に黒くて重そうな金属を持って構えていた。

 まるであれは映画で見た兵隊さんが持っている銃そっくりだという感想を持つ百合。

 遅れて正気に戻ってぎゅうと百合を守るように抱く椿は短く、彼らにこう聞き質した。


「……貴方達の目的は、何?」

「貴様らの、死だ」

「そう……っ! メイド達には手を出さないで!」

「私の知ったことではない」


 僅かでも時間稼ぎになれば良いと思った対話。しかし応じたのはリーダー格のようである一人のみ。冷静を超えて最早機械的な低音を響かせるそれ以外はへたり込み動けなくなったメイド達に暴力をふるい出す。

 その銃底によるあまりに遠慮のない殴打の目的は女子の意識を刈り取るためではなく、限りある銃弾を用いない殺傷。遠くから聞こえ出した悲鳴にも紛れない必死の椿の静止すら届かず、男たちはただ機械的に一度で駄目なら何度でもと悲鳴の合間に鈍い音を響かせる。

 それでも茫然自失となった百合のためにも身じろぎの取れない椿は憎き相手をただ睨んで、こう叫ぶ。


「貴方達……こんなことをして何になるっていうの!」

「貴様らを根絶やしに出来る」

「そんなっ、私達を殺しても何も……それに、私達が居なくなったら誰が、世界が滅ぶのを止め……っ」

「煩いな」

「っ――――!」


 暴力の否定のために口を動かして、その返答は乾いた音、一つ。そして、それきりで椿の右太ももから下は力が入らなくなる。

 倒れ遅れて熱と痺れるような痛みを覚え、しかし彼女は苦悶の悲鳴すら上げられない。

 煩いから、脚を撃たれた。眼の前の男にとって月野椿という存在はきっと虫けら程度であり、ならばきっとこの腕の中の百合もそれに倣うだろう。

 故に、何一つも返せない椿に、やっと満足を覚えたのか少し喜色を声に乗せ、主犯格はこう言い切った。


「世界の滅びなんてどうでもいい。お前達だけの繁栄だけが、罪だ」


 そう。世に世界救済を標榜する椿等を崇める宗教があれば、その反対として神の裁きに反抗している月野の者達を神敵と見做す者達も居た。

 そして、この男達は先に自爆を行ったそんな後者な彼らを利用するばかりの、ただの幸せ者達に対する嫉妬を持つ者達に雇われたばかりの兵隊。


 さあ。この世で多く富を持ち、己を何もかも叶えることの出来る神の如くの存在と勘違いしていた者達が、その富を奪った挙げ句世界のためという彼らにとっては至極どうでもいいことに使っている存在を見たらどう思うか。

 それは単純。己を神格化している自己正当性を担保している彼らは、そんな目障り殺してしまうのが当然とするのだった。

 その心を嫉妬とも取らず、行いを正義と考え罰とする。


「死ね」


 だから、向けられた銃口の奥から聞こえてくるような、そんな一言ばかりが彼の雇用者達の答え。


「百合ちゃんだけは、失わせないからっ!」

「そうか」


 必死の宣言を聞けども無視してあまりに軽く、安全装置のない大げさな銃のトリガーにかかった指に力は籠められる。

 照準合わせすら蔑ろに、男は単に二つの命を毀損しようとして。


「――醜いっ!」

「がっ」


 ゴーグル破損する程強かに米神をヒールの先で蹴飛ばされ、むしろ意識を刈り取られるのだった。

 翻る白と黒。少し丈の長いそれが彼女のスカートだと気づいた椿はその名を呼んで。


「恒、美」

「っ」

「あ」


 連続する、銃声。明らかに胴体を貫通したそれに止まらずに、彼女は動き続ける。

 それは、異能ではない。体系としては、古武術に類する動き。円と直線で人を惑わす忍びの術だ。低練度であれば装備充実した兵隊共に太刀打ち出来るはずもない、時代遅れなその人を殺すための技術は。


「っあ!」

「ぐっ」

「こいつっ!」

「のっ!」

「があっ」


 しかし、親兄弟の愛を得るため必死になって練習した全盛の動きを上回って、止まらない。また、止まれないから止まってやらずに一撃で多く昏倒させ続けた。


「この下郎共……かかってきなさい!」


 これが死に際の集中力に所以するものと理解しながら尚、恒美は銃とナイフの群れに立ち回る。即死を避けるばかりの動きは存外相手の予想外のようであり、すれ違いざまにくすねたナイフでまた一人行動不能に出来た。

 メイド長としてではなく、伏せたボディガードとして護るべき最愛の主は動けずに頼りの百合も気を失っていて逃がせない。そして、隙を伺うためにわざと受けた殴打によるダメージが予想以上に辛くもある。ならば、ここで死兵として生かすしかないだろうというのが、恒美の判断。


「っう、お嬢様……」

「恒美ぃ!」


 だから十名全部を上手く仕留められたのは、彼女にとって花丸を付けたいほどの結果ではあった。狙撃手が新たな狙いか発見されたために動いたのか狙撃が先の一発以外なかったのは、最早幸甚である。


 決して死ぬには良い日でなくとも、それでも殺された他のメイドよりは思い残すことはないだろう。でも最期に椿に触れたいなと踏ん張る恒美。しかし、彼女が涙を零す主のために一歩踏み出すまでもなく状況は更に悪化する。


「動くな! この女がどうなってもいいのか!」

「う……」

「光、お嬢、様……」


 怒声と共にまた皮の靴底で乱雑に地を踏みしめて暗い色した装備の男どもが次々と現れた。そして、そのうちの一人は暴力によって意識のない様子の月野光を携え銃口を頭にピタリと付けているのである。

 当然、もう一人のお嬢様を人質にされて動けるほど薄情ではない恒美は静止してしまい、その合間に次々と銃口が向かう。


「無理、だったかぁ」


 本来、死ぬにはもう充分な程の銃弾を浴びている。なら、明らかにこれ以降は無意味であるが、相手はそんなことも分からない最低。

 せめて最期にお嬢様達を目に入れて死のうと、そう思った恒美は。


「――――おほほ」


 つまり目を逸らした隙間に挿入された高笑いにぎょっとして、次に。


「ごめんなさい、葵」


 そんな言葉を聞いた覚えを最後に、衝撃に吹き飛ばされたのだった。



 その日。月野光はこれまでになく賢明で懸命だった。土川楠花と相談しながらバッドエンドを殺すための腹案としてTUKINOグループ内外から技術者の力を借りて作成中だった装置を半ば壊されながらも、しかし彼女は現況をどうにかしようと頭を働かせ続ける。

 しばらく周囲の人が次々に殺傷されるのを聞きながらも、光は暴力のショックに気絶したフリをして、運ばれるがままに動かなかった。それは、最大の好機を見過ごさないために。

 やがて、月野の子という立場から使えると軽々とは殺されなかった光は広場で起きた誤算の帳尻を合わせるために人質として運ばれる。

 足から血を流して蹲る姉を横目にこれが自分の命を使う最大のチャンスと判じた彼女は謝罪とともに。


『これでもまだ未完成なのですか?』

『ええ。異界を想定したどんな環境でも安定する充電池というのは逆に難しく不安定でして。特に新技術と素材を用いた底のこの部分はちょっとの負荷でも与えてしまえば……』

『どうなるのです?』

『どかん、ですね』

『へぇ……それは、物騒ですわね』


 先に殴り殺された研究者の一人とそんな会話をした過去の記憶を想起。そして掌の中に隠していた、希望の寄す処だった音波発生装置の一部にぎゅっと力を入れて。


「光っ」


 この残酷で素敵な終わりの世界で二番目に大切な家族の一人を護るために、諸共に爆散したのである。



「恒美っ!」

「お嬢、様……」


 光のそんな頑張り物語は、誰も知らない。しかし、ばたばたと響く大きなヘリコプターの音に見覚えのあるミリタリーカラーが遠くに見えだすようになり、ようやく椿も自分の生存を実感して、脚を引きずり名前を叫びながら恒美の元へと進む。

 だが、応じて目を開けたメイドは主に安心させるために起き上がる力もなく、その場に身を横たえるばかり。

 冷たくなるばかりの身体で、彼女は小さくこう呟いた。


「ごめんなさい、お嬢様……もう、私は付いていけそうにないです。ダメ、でした」

「――そんなことは、ないの。私は全てを知らなかったけど。あなたに教えてもらったから。だから、皆の幸せを望めた」

「なら……良かった、です、ね」


 恒美はならよし、とする。今を失って明日はないのかもしれないけれど、それでも。あれだけ高飛車だった少女は他幸を望めた。それはなんて輝かしいこと。

 そのために、ボロ雑巾のような自分がここまで働けたのだから、良いんだ。

 あの日その身の小ささを気にしていた子供が今やどうしようもなくなった自分を見下ろしている現実すら最早心地よく、熱さと冷たさに壊れそうな身体すらどうでもよくて。


「あの子、大事……に」

「恒美……っ」


 尊い二人の幸せのみを最期に推して、メイド長田所恒美は三十四年の生涯にピリオドを打ったのだった。


「あり、がとう……」


 血に濡れた彼女は血を失った彼女の前で項垂れ、そして。


「すぅ……」

「ごめんね、百合ちゃん」


 眠り姫を前にもう、月野椿に世界は救えない。


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