ルート5 新月の誇り 月野椿④
TUKINOグループは世界に根を張る凄まじい規模の財閥である。
そして、匹敵していただろうブーンコーポレーションや上水会、のようなその他の俗に言う六大グループ企業が軒並み衰退している現状、その影響力は随一。
財界に国政はもとより、そのフォーラー達の欠落影響が少ないが故の販路の確かさに拠って、この広い世界の太い血管として今は活躍している。
そして、近頃は本社からの方針変更により顧客最優先と変貌した上、本家の私財を用いたボランティア活動等により市井での信頼も獲得していた。
最初は人がバラバラになってこの世から落っこちているだの眉唾な話を広めた、陰謀論に染まった企業とレッテルを貼られたこともあったが、それが終わる世界の異常な真実とされてしまえば、掌返しも数多。
この滅びゆく世界の最後の希望のように扱われ、TUKINOが小出しにしている成果に偽りの繁栄の続きを想起しながら、人の多くがその影響の中心であるとされる月野椿を持ち上げた。
「椿ちゃん! またなんか凄い記事書かれてるよー。なんか、椿ちゃんが皆落っこちないパワー、みたいなのを持っているって思っている人いっぱいいるみたい!」
「はぁ……新聞紙持ってきてくれてありがとう、百合ちゃん。本当にもうどこも書くことないのかしらね……こんな私自身知らなかったような泡沫新興宗教もどきを取り上げるなんて」
「うーん……そういえば、最近どこかの誰かが活躍したとか記事少ないかもね。でも、あたしもそうだけれど、皆椿ちゃん達の頑張りが取り上げられること、何もない中で明るいことだと感じてると思うよ!」
「そうだといいけれど……」
椿は、百合が持ってきた赤い丸のついた薄い新聞紙に、むしろ憂いるばかり。笑顔の恋人の前ですることではないとため息さえ飲み込めたが、しかし現状誰一人掬えていない今を彼女は迎合できない。
無論、TUKINO主導の多数の落下から生き延びている者達への金銭などの援助は決して悪いものではないだろう。そして、単独でフォーラーという概念を国々の柵を破壊し周知させたことも大きい。多くが、現在それに恩を感じているのは知っていた。
とはいえ、現状が良くても常に高みで固定される訳ではないというのはこの世の常。これからどうなるのか。どうなってしまうのかという不安で、椿は気が重かった。
「揺り返しが、怖いわね……」
「百合、帰し? 椿ちゃん……あたし、お家に返されちゃう?」
「ああ、そうじゃなくて……百合ちゃんじゃなくて、今の保証が出来なくなった時が怖いというかなんというか……」
「あはは! 冗談! 困ってる椿ちゃん、可愛い!」
「もう、百合ちゃんたら……ふふ」
「そしてもっと、笑顔の椿ちゃんは可愛いよ! もっと、椿ちゃんは皆を笑顔にしている分だけ、笑顔になろ」
「……そう、ね。ありがとう、百合ちゃん」
「えへへ。どういたしましてー」
しかし、何も考えていないような隣の百合は、むしろ透明な心にてそれを敏に感じているようで、常に笑顔を努めて椿を笑わせる。
彼女にとって、自分の好みのメイド服姿でうろちょろしている恋人なんてものは、大変な癒やしだ。報告が上がる専門的で判り難い言葉達を上手く飲み込むのに苦労する日々に、良くも悪くも看板となってしまったために多くの通信媒体に出演する際の緊張すら洗われるようで。
「ふふ」
「あはは」
幸せ故に、気が緩む。そう、そんな風にして月野椿は満月足る才能を新月の如くに曇らせてしまう。
本来の他人に冷たく自分以外の何一つ信じられない心が変わらずここにあったなら、いち早く気づけて、対応できたことだろう。
だが、そんなゲームの中のイフではない、このルートの椿は絶対零度の悪役令嬢なんかではなく人を信じることの出来る優しい子であり、そのために。
「お嬢様、お逃げくだ……あ」
「えっ」
彼らの自爆テロの被害を受けて、親愛なるメイドの一人の血液と臓物をその顔に浴びることになるのだった。
さて、改めてTUKINOグループとは財閥である。その世界に対する影響力はとても、高い。
だが、それだけ。別段具体的な支配域が存在するわけでも政を行うための頭数もない。
そして何より、己を護るための武装兵力に欠けていた。
しかしこの世界の日本、特に月野本家の周りには土川楠花という絶対的な防衛力が機能していている上に、要人警護もどこより確かに行われている。更に、月野の所属の者はフォーラーの発生率が群を抜いて少ないという実証もあった。
それこそ、正しくこの世でここより安全であると勘違いしてしまうに十分。守られている者は、外の荒波の実感はなく。それでも、確かに外には滅びに対する恐慌が蔓延っていた。
また、不幸は重なるもので、重ねれば特に効果があると知る悪意がそうするのは必定。故に、その全てはとんでもない速度で同時多発的に進行する。
「二つ! ……ったく、総攻撃するなら宣戦布告くらいして欲しいもんだ……っと」
「お前らが言うかよ……ぐあっ」
「また一つ……っ、数が多いね……な」
「『停まれ』っ、オレでもあんま留めちゃおけねえぞ! 今だ!」
「燃えろっ」
「出力、全開!」
「くっ。どいつも軽いが……これは縫い、止められたか……ヤバいね」
その日のごく短い時間に、かの最強の鬼は海の上にて展開された数多の暴力装置との会戦のために動きを止めた。砲門の数と火力の渦、そしてそれ以上に強力な命令を僅かだろうと遵守せざるを得ないために。
これは、それこそ目の国の秘蔵っ子たる、神の二段下と詠われる上位存在を用いてまでして秘密裏に行われている作戦。こんなの、本来ならば鬼の逆鱗に触れる行為であり、平常では行われることはないものだ。だが何もかもが終わってしまう寸前の今には土川楠花の打倒という夢物語より具体的な目的が設定されている。
「クソ、斬れな……」
「くっ、もう保たな……あ」
「逃げっ」
「やれ――――千、二千……くらいかい? 手間をかけさせてくれたもんだよ」
それこそ能力者だけでなく戦艦や世界を揺るがすほどの爆弾のこの世にある殆どを投入して行われた、最大火力の集中にて、それらを掌の一振りで払った楠花も流石に煤けざるを得ない。
眉をひそめて大分焼けた肌を少し気にしてから、しかし次に彼女は世界に孔を開けて疾く去ろうとした。
ばちり、と力を入れ過ぎた彼女の指先が赤熱を帯び空気が爆ぜていく。
「早く行かないと、百合達が危ないな」
なにせ彼女の周囲の何もかもが融けて蒸発している。起きた振動は世界の裏まで駆け巡っているだろうし、そのダメージの影響は波として楠花の愛する人達の元まで飛沫を上げる可能性が高かったから。
だが。突き破ろうとした柔らかい筈の世界は硬質な音を持って黒く悪意を持って返す。そんな事態にようやく全てを理解した鬼は表情を変えて、マントルまでも空いた孔が広がる眼下を睨むのだった。
「これは……っち。お前さんまで今回の事態に一枚噛んでたとはねえっ!」
瞳黒黒と化して本気で猛る鬼の前に現れたのもまた、暗黒。
それは、生きとし生ける何もかもに対するカウンター。全てに対する悪意を持って、しかしまあ今日はこれくらいでいいかと毎日何もかもの生存を見逃してきていた人でなし。
彼は足るを知っていて、でも終わりの前には少しはっちゃけても良いかなと方針を変えた、最悪。
そして、この世界線にて最強最大の鬼に対して唯一敵になりうる、楠花への嫌がらせでもあったのだった。
丸い黒は世界ごと潰さんばかりの鬼のかける威圧をも気にせずその場から更に一段浮かび、そして解ける。
「ははっ」
やがて中から現れたのは、男性の昏いヒトガタ。しかし彼は内に全てを毀損し得る鏃を持ち得ていて誰よりも高値。
そう。つまるところこれは神と同位の陰、偽の邪なる神なのである。
彼は当たり前のように宙を往きながら薄く目を開き、こう鬼を嗤った。
「――――それは勿論、世界の滅びにオレみたいな悪の加速装置が関わってやらない筈がないだろう?」
自ら黒く滅ぼすまでもない世界が赤く勝手に滅んだ。此度の事態は男にとってただそれだけのこと。だからそれに慌てふためき自滅する全てが愉快で仕方がなかったが、そろそろ自分も赤く落ちる番だと悟ってしまえば少しくらい彼も遊んでみたくなるものだ。
白と黒の盤面にて、明確に真っ黒く上水会の御曹司はキングをその手に動かす。
「さて、滅びを楽しもうじゃないか。ははは」
ついでのように彼が体の横にまっすぐ均等に何も無いの上に並べる鍵状の黒色は、全てが必殺。とはいえ何もかもを触れることで殺傷せしめる権利を持つそれらを持ってすら、生き汚い鬼を殺傷せしめるには足りない。
だが紙一重で敵うことなくとも、それでも今ここで戯れることこそ鬼にとっての最悪とは知っていた。
故に最良のタイミングを活かせた、護れず嘆けと彼は嘲笑うしかない。
「関わらないところで幾ら悪どかろうがどうでもいいとしてたが……こりゃ、あの時殺しておけばよかったかねえ、上水善人!」
そして整いすぎている嫌いな顔が放つ戯言に、ぶちんと鬼は気炎を上げ、怒す。
黒く焼けた楠の鬼の迫力を見て笑いは流石に止まる。だがしかし、つまらぬ在り来りな脅しにばってんを付けた善人は真顔になりこんな宣言をした。
「ふん。悪たる覚悟が遅いにも程があるな――――さあ、鬼は外。侵略者は蚊帳の外で、全ては悪に滅びればいい!」
物語に交じる、黒。インクは物語をべたりと台無しにして。
「くっ……頼んだよっ、光!」
願い。そして、鬼は一時その場に磔となるのだった。