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ルート4 佳日の希望 日田アヤメ⑥


 アイラブユーを受け取って貰えることは、幸甚だ。

 何故ならそれは相手の自愛の存在証明でもあるのだから。皆無からノックは返ってこない。そして恋に同じものを返したということはつまり、日田百合はとうとう愛してもらいたくなったのである。


「アヤメ、愛してる」

「お姉ちゃん……」


 そう、実の妹にあたしを愛して欲しいと抱き返す。痛みのためにより柔らかな身体が、熱を帯びた少女に絡みついた。

 倒錯、過ち、そんな当然至極の文言はあまりにこの二人の前では勝手だ。彼女らの間には互い以外に他に助けなどなく。なら、誰が正せた。

 故にこれこそ彼女らの自然であり、余所者は要らず。二人の間にかかるこのばってんこそを正解として、血の色どころかその内容まで似通った日田の姓を冠る少女達は間近にて見つめ合う。

 百合は、アヤメに白桃色の唇を優しく動かして、こう言った。


「お姉ちゃん、じゃなくてもいいよ。アヤメにとって一番に好きな人が恋人ってカタチなら、あたしはそれになるから」

「なら……ゆ、百合?」

「うん! あたしは百合だよ……あはは、そういえば、アヤメが赤ちゃんの頃初めて言った言葉って何だか知ってる?」

「それは……分からないけど」

「百合、だって。あたしの名前! あの時期はよくお世話してくれてた菊子さんがいっぱい呼んでくれてたから、だろうけれど……うん。また呼んでくれて嬉しいな」

「百合……」


 アヤメは聡い方ではあるが、流石に物心付く前までは憶えていない。叔母さんが存外幼い頃の自分たちの世話をしてくれていたというのは彼女にも感動的な話であるが、だがそれ以上に緊張して吐いた恋人の名前が笑顔で受け入れられたのが良すぎた。

 百合。それは少女が何より求めた一輪の名。そこそこ一途であった自覚はあったが、まさかこの口が言葉として吐いたその突端からこの人を求めていたとは。

 なら、終わりまでも。そう考えるアヤメの前に、お姉さんの顔をしていない百合の紅く上気した様子の頬が益々緩む。彼女は、彼女に向けてこう望んだ。


「アヤメ。これから精一杯思い出を作ろ。仲良く、そして決して忘れられないように深く」

「うん。うんっ! 私、百合と……もっと恋をするね!」

「あはっ、それは嬉しいなー」


 言い、本当にそんなの嬉しいと百合は微笑む。アヤメは、妹である。それで愛せて嬉しくって、でも恋まで出来るようになったのなんてもう、たまらない。

 目に入れたところで痛くない相手のために、心が痛いという感覚に新鮮なものを覚えながら、百合は。


「アヤメ」

「あ」


 一切離れず、むしろ身と心を寄せながら、少しだけ背伸びをして。アヤメの耳元にて初めて心の底から悔しそうにしながらこう囀るのだった。


「ただ……あたしの命は、あとちょっとなのが残念だけど」

「えっ?」


 そう、やっと彼女が手に入れたその一輪はとても傷んで病んでいて、でも汚れず腐ることさえなく、花冠を少し申し訳無さそうに傾げながら、でもあと少しを共に生きたいようで。

 少女はそんな大事なものを失くす覚悟なんて、していない。それでも、この子が花のまま散るだろうというのは分かっていたことである。

 だから、努めずとも平常に口元を動かして、アヤメは百合に問った。


「そう……そうなんだ。……具体的にはどれくらい?」

「お医者様は……あと一年生きられたら奇跡だって」

「なら、泣いている暇なんてないわね」

「うん!」


 泣いた烏がもう笑うといっても、そもそも泣き暮れることすら時間の無駄だ。

 恋を叶えて、私は幸せだ。たとえ絶望が待っていたとしても、それでもこの一つ年上の女の子は今ここでかっかと熱と愛を放っている。

 なら、泣きたくなる心に鞭を打ち、笑え。そう、笑うんだとアヤメは口元を動かして。


「う、ううう……」

「……アヤメ?」


 うめき声を喉はあげるばかりで、何一つ言えやしない。途端に百合も心配そうに見てくるが笑うなんてそんなの、無理だった。

 急がば回れ。好きに、嘘は吐けない。そして悲しみにだって、背を向けられない、アヤメはそんな純な女の子だったのだ。それを、今更に痛感しながら彼女は嗚咽をあげるばかり。


「わた、ごめ……うう、こんなの、ゆ、り困っちゃ、ううっ」

「そっか……うんうん」


 近頃二回目の我がことのために泣いてくれる身内をあやすのに慣れず、ぽんぽんとただ背中を撫でながら、百合は妹でもある最愛のことを思う。

 誰に似たか、この子は本当に優しい子である。そして、我慢の似合わない素直ないい子でもあったのを、お姉さんは忘れていた。

 そして、そんな彼女が泣いてくれたそのお陰で、百合も一つ理解したことがある。

 肩口濡れるに任せて、耳にその奥の心に届くようにと彼女は呟く。


「ありがとう。我慢して……それでもあたしのために泣いてくれて、ありがとう」

「う、うう、わたし、良かった、う……の?」

「うん。あたしは仕方がないと思っていたけど……そんなことないや。あはは。やっぱり、悔しい」

「ゆ、り?」


 笑い、それでも。アヤメの湿潤した視界に映らぬ雫が、知らず彼女の白い首元にかかった。少し生温いそれにハッとして、彼女はでも離れることは出来ないと更に強く抱きしめる。そんなだから、百合はそれを言えたのだろう。


「悔しいよおっ、どうしてあたしだけ。ううん……そんなことより、もうあたしアヤメと離れたくないのにっ、死んじゃうのなんて、いやだあ!」


 本心を、産声のように生まれて初めて少女は紡いだ。押し込めすぎて今や時遅く、歪に歪んでもいたそれは悲鳴のようで当然。

 自分の辛さに顔を歪めるなんて慣れないことをして、百合は百合のために本当に久方ぶりに、泣いた。


「う、うう……」

「ああーん! ああっ、うああ」


 そしてその夜に二人は泣いて、泣き濡れる。

 やがて別れは嫌だと、真っ当に相手の何もかもを惜しんで煌めく少女達は、熟れた果実のように、その瞳を真っ赤にするのだった。


「……ん」

「うん……」


 やがて、疲れに沈黙する彼女ら。その日二人は最後に力なくした身体を動かしシーツの隙間に一つになって。哀の雫は粘つく愛の滴りに変わり、果実はその味を知るのだった。




 それから、二人は何時になくくっついて、笑うようになった。


「あはは」

「ふふ」


 また、喧嘩もしょっちゅうして、周囲を困らせもする。


「もう、アヤメったら強情! おにぎりはまんまるが一番だよ!」

「いーえ。そんなの百合がただ握りやすい形が丸ってだけじゃない。貸しなさい、私が本物のおにぎりって奴を見せてあげるから」

「なにおー! 生意気!」

「……いや、ピクニックのための弁当作り一つでこの子達よくここまでいちゃつけるもんだねえ」


 でも、彼女らの愛の形は折り紙よりもしっかりしているもの。仲は直ぐに戻るからこそむしろそのぶつかりあいを楽しんだ。


「んー? ……すごい! この三角おにぎり、味はやっぱよく分かんないけどみっしり握られてて食べごたえ抜群!」

「……百合の作ったおにぎりも、何時も通り最高よ」

「アヤメ、作ってくれてありがとう! それとさっきはごめんね!」

「いいのよ。私も少し大人気なかったから」

「……結。あれがバカップルっていう奴だ。ピクニック初心者だからって一緒してやってる私達を放っていちゃつくなんて、悪者さ」

「お姉ちゃん! 私達も負けないで、食べさせあいっこしよ! あーん」

「幾ら相手が結といってもアブノーマルの誘いは……分かった分かった、食べるよ。あーん」


 そんな日は、勿論長く続くものではない。終わりのはじまりは、急である。先まで歩いていた百合が隣でふらりとし、それをアヤメは支えた。


「あ……やばいかも」

「百合!」

「あはは……もう、足に力が入んないや。どこも全部ざりざりしてて、もう何がどこにあるかもよく分かんない」

「っ……でも、まだ……私が代わりになるから。足をまず、支えるわ」

「うん。まずはお医者様に診てもらってからだけど……お願い、アヤメ」


 少女を倒し、やがて伏せさせる百合の病魔の正体は、何を隠そう彼女の血液である。

 彼女は細胞の一片たりとて代替の利かない特異な存在であり、故に前の医者には解剖されて内臓を一部腑分けされた過去があったりする。

 事件として暴かれ、現在の主治医と変わる前に彼はこう結論付けた。


 日田百合は間違って人の間に生まれてしまった天使だと。


 そして、その通りに彼女の身体に流れる日田の人の血はこれっぽっちも合致しなかった。

 その赤血球が丸かろうが、幸せに包まれているべき天上の肉体には棘と同じ。液の状態すら生き急いでいるようで少女を削り続けている。

 天使のような彼女は本来不死身だったかもしれない。でも、そんなのを許さぬ土に萌える生き物の道理が理想を鼓動とともに壊し続けて、その結果。



「あ……う」

「百合!」


 人として存在してしまったがために内に仕舞われた羽が、今にも羽ばたきそうだと百合は感じる。早く死んで天に消えてしまえばいいと語るこの世の道理に愛想笑いをし続けて、その結果がこれだ。


「百合ちゃん……」

「百合……」

「っ、百合い……」

「ゆ、百合ちゃん」


 最愛と、それ以外にも囲まれていかないでと、声にならない叫びを浴びせられ、終わる。

 そんなのはなんて幸せで。


「や」


 嫌なのだろう、と今際の際に百合は思った。

 本当は、笑顔で去るべきで、彼女らの記憶には美しく残りたくもある。でも、それでも大切だからこそ、いやいやを続けて最期まで日田百合は、日田百合の想いを大事にする。

 もう、力はない骨と皮の手。動きはとっくに終えているそれを、命を梳って得た全力で持って動かす。

 ぴくり、とした腕を目敏くアヤメは見つけて。


「百合、どう――」

「ん」


 縋り付くようにそれに触れた彼女の頬に、百合はキスをした。



 そして、命の線は途絶えてゼロになる。少女の命だったものは、式典の後に燃されて灰以外に煙にもなり。


「百合……お姉ちゃん。私たち、幸せだったよね?」


 独りになったアヤメはもう一つも紅くない空に向けて、向こうにきっと居るのだろう姉/恋人に向けてそう問いかけるのだった。




 これはそんな、日田百合の終わり。


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