ルート4 佳日の希望 日田アヤメ④
樋口三咲は、妹のことが第一に好きである。そして、第二以降に自分のことや家族等が来るだろう。
そんなことを友に公言したところ、ちょっとシスコン過ぎるよと笑われた。瞬間、友だったものに降格した相手に拳が飛んだのは、彼女にとっては至極当然のことである。
もっとも幾ら苦笑されようとも三咲にはそれでも変わる余地なく絶対な価値基準が妹であるに違いはない。
妹の樋口結は、可愛らしく健康的で、優しい。そして何より丹精込めて愛情を込めてきた年下の身内でもあった。
そんなものを愛さないのは、樋口三咲という少女にとってはあり得ないことであり、彼女のためだったら最早地獄堕ちたところで姉として納得出来てしまうだろう。
さて、そんなだからこそ、三咲は誰もかもを自分以上に優先して一番を作らない百合の姿勢を理解出来なかった。
流石に、自分と似たような価値観を持つだろうアヤメの前でお前の姉ちゃんおかしいよ、とは言ったことがない。
むしろ三咲は、姉がアレだとしても最愛の姉に一番に愛されようとしている妹アヤメのことを応援出来ないような、駄目なお姉ちゃんではなかった。
流石に恋愛的にまで拗らせているとは知らないが百合には、もっと妹のこと見てやれよな、というくらいには思っていたのだ。
「きゃっきゃ」
「あはは」
「ねえ、アヤメ。あんたのお姉さん、どうも私の妹にちょっかいかけてるみたいなんだけど」
「そうね……はじめて見たけれど貴女の大事な結ちゃん……姉さんのお腹に乗って楽しんでるわね。羨ましい……」
「ったく、結ったらマウント取ってるんだからそのままボコしても良いってのに、ただ喜んでばっかで……」
「三咲は発想が暴力的ね……私は腹筋の足りない姉さんが何時まで結ちゃんを乗せていられるかが心配だわ」
「あー……そりゃ確かに」
ただ、そんな面倒極まりない他人の姉である日田百合は、今どうしてか帰りの最中、公園のベンチに寝そべったそのお腹の上に大事な妹、結を乗せてだらしなく笑んでいる。
これには、三咲もそうだがアヤメも快いとは思えない。貴女達、遊ぶならそっちじゃなくてこっちだろうと、同学年二人の爛々とした瞳が百合へと真っ直ぐ向いた。
「取り敢えず、結を退かすか」
「そうね……随分と結ちゃんと仲良くしてるけれど……私一言も聞いていないのが、ちょっとムカつくわね」
「どんまいどんまい」
クラスで一番に綺麗なお友達が青筋を立てている様子を横目に、三咲も結の喜色満面ぶりにどうにも納得がいかないと渋面だ。そんなに目の前の玩具は上等かなあと思い、思わず化粧っ気の薄い頬を苛立ちに軽く掻くのだった。
空は、そろそろ茜差し込む頃か。三咲はこっそり好んでいる夕焼けの最後に見える紫の綺麗が今日は見る暇もないだろうことに吐きたくなる溜息を飲み込む。
そして、小さい大切へと各々似たような歩を進め、ピンク色をした遊具達を横目に二人はきゃっきゃとしている彼女らへと近寄った。
稚気は親愛に喜んでばかりいたから、年上が先に気づけたのは当然だったろう。寝そべっていた百合は、最近隠れて見ていたばかりの二人の年下の出現に驚きを顕にした。
「わ、アヤメに……三咲ちゃん! ど、どうしよう、結ちゃん?」
「あ、綺麗なおねーさんに……お姉ちゃんだ! こっちこっち!」
「げふ……あ、あんまりあたしの上でぴょんぴょんし過ぎないでね……中身が出ちゃいそうだから」
「えー、百合お姉ちゃん、うんち?」
「あはは……それどころかお腹の中全部ぱっかりしちゃうかもー」
「わわっ、真っ二つに割れちゃったら百合お姉ちゃんから百合太郎が生まれちゃうよー!」
「わっ。私桃太郎の桃さんみたいだ! それに結ちゃんいよいよ元気で苦しー」
「わわっ、どかないと……きゃ」
「結ったら全く……不安定な土台の上で遊ぶなってあれほど言ったのになあ」
「お姉ちゃん!」
ぽよんぽよんのお腹の上で、くらりくらり。そんな様子の結の両脇に手を差し入れ、三咲は抱き上げる。
一番大好きなお姉ちゃんに抱えられた結はにこにこ縋り付くが、しかし三咲は表情を変えない。それは、幼少期に素直していたら意地悪された経験から来る、無表情。実際目の前の二人がからかうことなんてないとは分かるが、それはそれ。
そんな、ただの素直じゃないお姉ちゃんの横で、日田姉妹もまた助け上げ、助けられていた。もっとも、ちっちゃな姉がしっかりものの妹に抱えられているという樋口姉妹とは間逆なところがユーモラスではあるが。
お腹への集中的なダメージに目を白黒させている百合に向けて、アヤメはこう問った。
「三咲ったら人の姉を下手な踏み台扱いとは酷いわね……姉さん、大丈夫?」
「うーん……結ちゃんに押しっこで負けたら、結果的に大変なことになっちゃったよお」
「小学一年生に力負けしたのね、姉さん……というか、結ちゃんとは仲がいいの?」
「うん! 結ちゃんは一番近くに出来たお友達なんだ!」
「ともだちー」
「はぁ……レベルが似てるからって波長が合っちゃったのかしら……」
互いの手の平を組み合わせて仲良くしているちっちゃい子達を物理的にも見下げているアヤメはそんなことを呟く。まさか眼前の光景が、女子高校生と小学生が遊んでいる様子には見えないために。
姉に思うことではないが、百合は確かに内外共に幼気だとアヤメは思う。そして、樋口さんの家の結ちゃんはそこそこ発育が良い。そのために、身長が殆どお揃いのちびっ子二人が元気している眼の前の光景が生まれているのには違いない。
そんなのは分かっているがこの片一方が、自分が恋する相手でもあるというのが乙女的には複雑である。別にお姉ちゃんの可愛いところが好きなわけじゃないんだけれど、と小学生低学年レベルの心の稚さを披露する百合にアヤメは頭が痛い。
「あ、あっちになんか丸いの転がってる!」
「わ、結ちゃん待ってー」
「百合お姉ちゃん、早く早く!」
「ひえー」
「……センパイ、普通に結より鈍足なのな」
また、頭を抱える友の隣で三咲も内心随分と困惑はしていた。嫌いな先輩が妹と仲良くしている。それも、遊んであげているのではなく、むしろ妹に遊んで貰っているレベルで楽しんでいる始末だ。今も駆け回る結を追っかけようと走り出しては待ってー、と追いつかずにへろへろしていた。
ピンクの遊具にて遊ぶ二人は正しくお似合いの幼さであり、これには他所人の好き嫌いを挟む余地すらなさそうに思える。
正直なところ、なんでこいつなんだと三咲は思うが百合だからこそ結が笑えているのだと思うと仕方がないと認められた。
一つ大きく息を吸って吐いてから、三咲は取り敢えずこう結論づける。
「はぁ。これなら、問題ないか……」
「砂のトンネルだ!」
「わあ、すっごく良く出来てる! 二人共凄いねー」
「へへ」
「でしょ?」
「あたし、手伝うね!」
「結も!」
「わあ、皆一緒ならお城だって作れるね!」
「いや、私としては姉さんが唯ちゃんと一緒に幼稚園っぽい子達と一緒に砂場に水汲んで泥んこ遊び始めたこととか、認めたくないんだけれど……」
「でも、結も……おまけに百合センパイも楽しそうだ」
「それはそう……だけど……あの中で誰が一番年上って一発で分かる人いるのかしら……」
「下手したら、センパイいっちゃん下に見えるよな」
「あははー、お水零しちゃった!」
びちょびちょの更に小さな男の子女の子達に怖じずに、結と一緒になんと制服のまま突貫して砂場を穴だらけにし始めた百合。シャツまで普通に汚れて頬まで真っ黒にして、それでも確かに百合は笑っていた。
いや、こんな子供の遊びより私の隣でひっそり笑んでくれればそれでいいのに、と考えるお隣のアブノーマルな妹を知らず、三咲は続けて口を開く。
「……自慢じゃないどさ、家の結って結構賢いんだよ。百点満点とか、そういうのじゃなくて……空気読みすぎるっていう感じで」
「そうね……家の姉さんは意外と勉強は出来るけれど、それを自慢に思わないでむしろ隠しちゃうようなところはあるわね……泣いて帰ってきたと思ったら、友達に全国模試で一つの教科百点取ったのバレちゃったって言っていたのは、正直意味分からなかったわ」
「あー……あのヒトのことだから勝っちゃったのが嫌だった感じっぽい?」
「そう。姉さんは背伸びしても勝てないくらいの低身長を気に入っていたりするし、そもそも誰にも勝つ気がないのよ。……自信がないから」
「そんな気を遣われるのが嫌っていうセンパイのクソみたいな気性を結が読んであげて、結果誰もが子供みたいに遊んでいる現状に繋がってるってわけか……」
納得がいくようなそうでもないようなと、三咲は内心考察を捏ねくり回しながら、子供とセンパイが共同して砂場の土を練り上げていく様子を眺める。
途中から一人だけいた男の子は飽きて泥団子を大きくすることに夢中になった様子であるが、残った女子三人はスカートを汚しながらも存外熱中して砂山を整形していた。
こと外観は図画工作が得意な百合が手掛けただけあって、それなり以上に見られるものとなっていく。左官じみた所作で真っ平らな壁面を作るその手際は妙に手慣れていた。
「ぎゃおー」
「わあ、怪獣さんだ!」
「どぎゃーん」
「あはは。バケツを投げて、お城壊れちゃった!」
だが、そんなこんなも途中で飽きた園児の子達の怪獣ごっこにより台無しに。西洋風の砂の城はてっぺんに空バケツが突き刺さったヘンテコオブジェに成り下がる。そして、それも皆一緒になって行った怪獣ごっこによって跡形もなく整地されるのだった。
その後、小さいの同士仲良くお話していたと思えば散会して、とことこ年長二人がやってくる。そして、面白いの見られたなと内心感じていた三咲に、何故か自慢するように百合は桃色をした半透明なゴム球を披露しはじめた。
「三咲ちゃん! とのこちゃんからスーパーボール貰ったよ! ピンク色でよく跳ぶやつだって!」
「結はセミ!」
「センパイはともかく、結はどうしてセミなんて……って生きてないかそれ!」
「あはは、じーじー言ってるね!」
「昼の姉さんみたい……結ちゃん、可愛そうだから逃がしてあげてね」
「はーい。ばいばい、せみおちゃん!」
「もう名前つけてたのか……って、せみおとんでもない量のしょんべんこっちにぶちまけて来たぞ!」
「あ、三咲ちゃんあたしのハンカチ……ぐっしょりで使えないね……」
「私のハンカチを貸すから大丈夫よ、姉さん。姉さんは、あっちで結ちゃんと泥落としてきて」
「うん、分かった! 結ちゃん行こ!」
「せみこって名前にしてあげたほうが可愛かったかなー」
アヤメの指示を受け、セミでひと騒動を起こした百合と結は仲良く水場へと急ぐ。今度はそこでまた何かしでかすかと多少ハラハラして下着透けてる姉の後ろ姿に視線釘付けの妹を他所に、子供に慣れているお姉さんはその鳴き声遠く去った方角を眺めながら、こう小さく問った。
「アヤメ……お前、あのセンパイのどんなとこがそんなに好きなん?」
「それは……」
友から今更に問われた、好きという理由。それを、幼女と二人でじゃぶじゃぶ水で身体を洗いっこしている姉を参考にアヤメは考える。
見ての通り、日田百合は酷い矮躯である。そしてまた、成長させてくれなかった身体の中身もあまりに生存に向いていなかった。しかし、それでも甘えたがりの純粋な子どものような彼女は、日田アヤメをこれまで守り愛している。
本来なら、憐れまれて優しくされて愛されるべき存在の百合は、ただ自らが姉であるというばかりでアヤメのためになろうと続けて、未だに成りきっている。
それが辛いのではないかと、一度アヤメも問ったことがあったのだが。
『んーん! むしろあたしはアヤメが居てくれたから、生きてられるんだ!』
姉はそう、言ってくれた。苦しい命の、唯一の楽しみが貴女だと言い切ってくれたのだ。
色々と惚れた理由はあるけれども、結局切ないのはその一言ばかり。だから私は果実でよく、存分に成果として味わって欲しいとアヤメは思うが、誰より妹を大事に思っている百合がそんなことをする筈もない。
姉妹。そんなだから、本当は攻略なんて不可能であり、本当は恋するのだって違うのだろうけれども。
「そんなの、全部に決まってるわよ」
「そっか……」
それでも、嫌いなところですら本当は好きであってしまえばもう、どうしようもないのだ。
そしてこんな間近で見せられたら流石に、三咲はそんな気持ちの色を察してしまう。
隣の彼女があのヒトを見つめる瞳はとても眩しそうで、苦しそうで、でもそれ以外要らないと断じてもいた。
三咲の瞳には、序列一番である結の姿が映っているが、どうにか目に入れられた夕焼け終わりの紫のグラデーションですら大切である。
それが、違い。でも、首を傾げてたり振ったりする程のそれは間違いではなくて。
「なら、後悔だけはすんなよ」
「そんなの、当たり前よ」
つっけんどんな返事に、ただのお姉ちゃんでしかない三咲は、微笑む。彼女と彼女は友達でしかなく、血縁も恋も愛もなければ友情でしか繋がっていないか細い関係ではあるのだが。
「がんばんな」
でも、だからこそ、それを嫌うことはなく応援を行えたのだろう。
それは、暗がり。田んぼに潜むカエルの声ばかりが響く中、帰り道も僅かまでと消化した頃合い。彼女は彼女にこう言った。
「お姉ちゃん」
「んー、どうしたの、アヤメ? わ、ポッケからお水が……」
「はぁ、ちゃんと聞いて」
「あ、うん……どうしたの?」
「私、お姉ちゃんのことが、世界で一番好きよ」
「ありがとう! あたしもアヤメのことが世界で一番……」
「嘘でしょ?」
「え、そんなことはないと思うけど……」
「いいの。私はそれでも百合、貴女が好きだから」
「えっと?」
「大丈夫。分からなくても……それでも私はお姉ちゃんを愛してる」
「そう、なんだ……」
夜は来る。またその暗黒の中で終わりの赤ばかりが天に眩しくても。
「なら、あたしももっと貴女を好きになるよう頑張らないとね」
星も綺麗に輝いているのだ。




