ルート3 砂金の真心 金沢真弓⑦
グラウンド・ゼロとは爆心地。黄昏とは夕暮れ時もしくは酷く衰えた様に対しても言うだろう。
金沢真弓に、彼女が一度訳知り顔で紡いだそんな言葉の連続の意味は分からなかった。そもそも、一体全体月野光というお友達は中々不思議な物言いをしていて分かりにくかったからだ。
「光ちゃんも……」
「……この次がわたくしということなど、よおく分かっていますわ」
しかし、今やそんな不明瞭な光の少女は今や端々を赤地で括弧されピリオドに近寄ってしまっている。この子も、死に落ちるのだ。全てに等しく用意されて起きながら生において経験することのない死という末路。そこに壊れて落ち行くのは、あまりに残酷だと真弓は思ってしまう。
隣でクッションに骨の浮き出た背を預けながら眦を下げる百合に、しかし光はからりと笑って、こう言うのだ。
「おほほ。ですが、安心なさい。楽土でなくてもスクロールから落ちた先には次があります。ゲーム・オーバー。なら新しくはじめるのは当然と言えるでしょう?」
手袋ごと紅く傷んだ指先くるり。虚空に遊ぶ行為は光を弄ることと似ている。そして同じように、バラバラに落ちることは死を想起するものではあるが、実際のところ別だ。
横スクロールするゲームで配管工を幾ら落として残機を失くそうとも、その実彼のデータが消え去ることはない。諦めに電源を落としても再びゲームを起動させれば、酷い敗衄を忘れたかのように、配管工ははじめの位置にてぼうっと空を見ている。
なるほど、この世界がゲームのようだと語ったのが主人公たる水野葵であるからには、世界が終わっても次の生が繰り返しとして発生するのはあり得ないことではないのかもしれない。
とはいえ、ゲームと現実を重ねるのは今に生きていればそれだけ不可能ごとに感じられてしまうもの。ましてや、新しく始まってしまえば、これまでの自分もなかったことになってしまうので、つまり死んでしまうのと大差ないだろう。
よく分かっていない様子の百合を他所に、真弓は少女の言をまやかしの優しさと考えてこう問った。
「光ちゃん、変な宗教にでもハマったの?」
「いえ……いいや。ひょっとしたら半分あっているかもしれませんわね。何しろ、この結論には我が姉を信奉するTUKINOグループの献身と犠牲が下敷きになっていますから」
「お姉さん……椿ちゃん? 椿ちゃんは元気、してた?」
「それこそ、貴女とわたくし等と比べれば余程健康な様子でしたわ」
「良かった……」
この末世。百合ですら取り敢えず、生きていさえすればもう良いとする。それでいて苦しくなければもっと嬉しい。
ずっと使命を盾に忙しさと後ろめたさに任せて最愛の百合への連絡すら断っていた椿。不明故に心の底から心配していた終わりかけは、しかし誰かの健全に淡く笑んだ。
そんな、死にかけの笑みは、あまりに無意味であるがだからこそ人の心に熱を点す。終わりに誰かを思えるのはやはり尊いのかもしれないと。
癖にて通りの良いブロンドの髪に指を通そうとして失敗した椿は思わず唸った。
「ふむ」
「椿ちゃん?」
「これ、もう大体ただ邪魔ですわね」
「わ」
光は嫌になり紅に染まった長髪の大部分と赤くなった右手首を一緒にぶちりと捨てる。
そして、ちょっとだけ身軽になった彼女は口も軽やかにこう目標に対して擦り合せをするのだった。
「百合さん。一つ、答え合わせをしましょう」
「えっと、何?」
「この世に対するわたくし達の結論に、ですわ」
地の硬さに負けて割れた自分だったものを踏みつけながら、光は一歩。そして努めて黙している様子の真弓を他所にして本物と偽物の、生粋と物真似の聖人/狂人達はこう心を合わせる。
「えっと……世界は大体間違っていて」
「でも、それと同じくらいに皆正しくって」
「光のように」
「目が離せない」
「だから真っ黒なあたし達は」
「何もかもが好きなのですわ」
光とは透過して反射する、すべてに意味を齎すもの。そして、彼女らにとって世界は光で、自分だけが暗黒。
黒は、光を飲み込む。これはただそれだけのことであり、だからこそ彼女たちは間違っていながらも何もかもを愛せた。
思わず、シーツを強く掴みながら真弓は理解に驚愕する。
「百合ちゃん、光ちゃん……キミ、達は……」
「そうですわ。わたくしは、わたくし達はだからこそ光り輝く何もかものために諦めることも夢を見ることもしない……ああ、後月野の集合知をあまり馬鹿になさらない方が良いですわよ? 後はフラグを立てることばかりだと水野葵と同じ見識に達した彼らは結論付けている」
「ああ……そっか。光ちゃんの言うグラウンド・ゼロって爆心地じゃなくって、そのままゼロ地点ってことなんだ」
「……えっと?」
彼女らの宣誓まで通った迂遠な説明にて、ようやく鈍っていた元天才の真弓は理解を深めた。相変わらず首を横に傾げたよく分かっていない百合を撫でてあげながら、彼女は頭を回転させる。
まず、グラウンド・ゼロがゼロ地点だとすると。そしてフラグ。それがもし伏線や前触れのようなものではなく、条件判定を示す変数として光が語っているとするならば。
「ゼロ地点とは、もう直ぐ変数がゼロ……未設定のところに向かっているということで……そこで変数の設定を、再定義することがフラグを立てるということ?」
「そうですわね……八十点を差し上げましょう」
「後に二十はどこ?」
「黄昏の中に……まあ、流石に判りにくいのでネタバレして差し上げますが、私が語った黄昏とは神々の黄昏……終末の日をもじったもの。そして、終末を唯一逃れたのはホッドミーミルの森……まあユグドラシルのようなもの、つまりはでっかい樹だと理解していますわ」
「樹……土川楠花……界を破り突き抜け続けるもの……つまり、光ちゃんは!」
「ええ。アレは終末で滅びるような生易しい存在ではなく……だからこそ、変数を託せましたわ」
「え、今度は楠花ちゃん? 本当に、どういうことー?」
アイティ系なんて知識の外である百合はちんぷんかんぷん。それに北欧神話の知識の披露まで含まれてしまえば、訳がわからなくても仕方ない。だが、そこに時々ふらりと様子を見に来てくれる大切な鬼さんの名前があってしまえば話は別だ。
理解しておかなければ後悔するかもと足りない頭を働かせる彼女は、だが隣の真弓はか弱いその手を取って、顔を希望の赤色で上気させながらこう告げる。
「百合ちゃん、まだ終わらない……いや、もしかしたら終わった後に次があるかもしれないんだ!」
「えっと、次?」
「ええ。そうですわね。そこではきっと水野葵が主人公である必要はなさそうですし……」
終わり、でもその後に次があってしまう。それが今ひとつ分からない百合に、しかし賢しい人たちは満足げ。それこそ、端ばかりでなく心の内にまで赤に侵食されている筈の光はそんなの気にしているどころではないと、グッドエンドの先を想像してみる。
相変わらず皆間違っていて、同じくらい正しくて、光のごとく輝いている全ての中で自ら以外の幸せを望む彼女は、当然ながら他人の空似でしかない百合のことだって認めていて、だから。
「なら、今度は貴女が、貴女の物語の主人公になるのは、いかがです?」
「あたしが? あたしのために?」
「ええ。そういうのもあって、良いでしょう」
訳知り顔に頷いて、その度に結晶化が進んで大切な彼女の何もかもが落ちていく。
しかし、哀しくもそんなことはどうでもよく、そして何だかんだ彼女は日田百合という人間のことがどうでもよくはなかった。
光は平等に照らすもの。だが、光源が輝いているとは限らない。
微笑んで――ミシリと縦に罅割れた――彼女は戯けて言うのだった。
「そうですわね……ま、わたくし名付けのセンスまではないものでして、急ごしらえで申し訳ございませんが、それこそ『皆に攻略される百合さんのお話』程度でも良いのではないでしょうか?」
「えっと、百合ちゃん攻略される側なの?」
「ええ。この唐変木はそうでもなければどうあろうと自愛なんて分からないでしょう……あら」
「わ、光ちゃん!」
そして、おふざけの時間は最後まで続かない。腰から真っ二つに、彼女は割れて彼女たちの間に紅い塊となって落ちる。
慌てて、見つめる先輩たちの揃わぬ瞳を、壊れた乙女は細く見つめた。
自分なんかがただ終わることなく心よりの親愛と悲しみに塗れながらの死を得られるというのは面白くないと思う捻くれな光も、だからこそ幸せに思わなくはない。
包まれて、抱かれて。優しくて温かくて。こんなの、皆に何度だって味わって欲しければ、だからこそ何もかもを失くすわけにはいかず、彼女なりに頑張ったのだ。
そして、それは絶対に結実する。何故ならば。
「おほほ……光とは……仰ぐばかりではなく、掴むものですわ!」
最期の力で手を持ち上げて、太陽光を手の平の中に収めた光は勝利宣言を末期の言葉としたのだった。
世界とは、情報である。そしてそれを、無限を超えた質量で破壊することで越えて蔓延る存在であるのが、楠の鬼の本質だ。
故に、その中でも小粒である土川楠花とて最大限まで背筋を伸ばせば界を割れる。
とはいえ、限界はあり、暗澹たる言葉と数字の海にて茫漠となった楠花の意識は朧。それですら、今ひとつ核心には届ききれない。
そう、このゲームのような世界の操作に及ぶなど、とてもとても。
これでは、水野葵の教え子であるアイツの依頼を遂行するなんて難しいなと他人事のように鬼は笑った。
「けらけら……流石に私でも根を伸ばせるのはここまでか。これじゃ爪の先までも理には届きそうにないねぇ」
そう、光のように道理は遠く。愛を叶えるにはもう大きく張り出しすぎていて、楠花はスカスカだ。こんな無理をして、それでも結末は自分では変えられないと理解できる。
そもそも、人の世の話に鬼が出しゃばり過ぎることなんて、阿呆らしい。それぞれ己が領分にて勝手にしていればいいのだけれども。
「なら、お前に聞かせてやろうか。あの馬鹿な子供の懸命な丸を」
せめて、こんな少女の壊れた結論は勝手なばかりに進む世界に示しておかなければと、思って鬼は伸ばした手の内でそれを操作する。
それは、世界中の人々が星に出るために、そしてそれを超えた先を夢見て構築した素材にて出来ていたものだから、それをこんな虚無にて実行するには余りある性能だった。
元々は、異なる世界の人達に自らの存在を伝えるためにと作成されたそれは、自らをバッドと滅ぼす世界に対する強烈なアンサーを披露する。
そう、近未来的な端末に蓄音されていた光の玲瓏な声は待ってましたとこの世界の理と合わせた言語にて、こう叫んだのだった。
『葵のバーカ。この世は百点満点ですわよ!』
今回の数値は百の内の十。それにマル一つがついて、その条件を達成する。
[if exp="100 <= ai"]
*good end
[endif]
これはそんな、バッドエンドの終わり。




