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ルート3 砂金の真心 金沢真弓⑤

「ふむ……」


 ベッドの上で花のように開いた二つの手の平に顎を置く。すると、頬にも覚える滑らかなシルクの手袋の心地に、彼女の心地は多少の安堵を覚えるのだった。


「どう、しましょうかね……」


 月野光は、一時未来からやって来たのだという亡霊じみた姉の友と同じ名前を持つ存在をイマジナリーフレンドとして仲良くしていたことがある。

 その名は、水野葵。元主人公と言い張っていたその、奇跡を用いた時間軸の巻き戻しという無理の中で世界の下に隠れてしまった一枚レイヤは、光にとってかけがえのないものだった。

 それこそ、彼女は恋を想起するほどにそのろくに触れ合えもしない浅薄に対して愛をする。葵が一度たりとて本心を向けてくれなかったことを察しながらも、その冷たさを良しとして。


「わたくしにとっては、或いはあの日々が……いいえ、未練ですわね」


 だが、まやかしを友とするに少女は希望に満ちすぎている。光は、右も左も手前も奥も分からぬ自己中心でしかない子供であることに耐えきれずに、葵を手放した。

 すると、あの主人公だったらしき過ちは、光に別段執着もなかったのかふわりと消える。そして何処へと向かったのかと思って縁を辿れば、先は病院の一室。


「バッドエンドに主人公は長々と居られなかった……それだけのことなのでしょう」


 やがて水野葵は金沢真弓に取り憑いたまま次第に、消えていった。光はそんなことを、真弓との交わりと共に実感する毎日である。

 新しい友の中で跡形もない在りし日の友が、悲しいと言えばその通り。どうして、アレは終わっているのに人に影響与えるだけ与えて消えるなんてことを選んだろうかと、時に光も悩むことがある。

 しかし、光に多大な影響を与えた水野葵のような何かが、どうしてあの無力のまま永らえようとしたのかは消えた今誰にも分からない。或いはちっぽけなまま愛のために生きたがろうとしている彼女の愛する日田百合の影響なのかもしれないが、判断は不可能。


 死人は語らず、ましてやアレはスクロールを続けるばかりの世に奇跡的に映り込んだばかりの残穢。生き生きと実行される全ての裏のソースコードコメント程度の意味に主人公は堕ち、続きはしなかった。

 そう、あの子はバッドエンドとして世界にピリオドを決めた、滅びの理由だというのに誰に謝ることすらなく消えてしまったのだ。

 そんなの、いけないことだった。もっとも、その生き汚さに哀悼代わりの敬意を持って倣うのは人の勝手だろう。


 そして、少女は主人公の遺言に壊れる。愛していたが、故に。


「望まれて、わたくしは生きるのです」


 そう、光は滅びに染まり始めた世の中で、唯一人水野葵が付けた注釈のような覚書を大事に生き続けていた。

 大まかに、アレは世界を大切に思えとうそぶいて、素敵な恋をしなさいと諭した上に、光は希望の光にもなれるだろうと冗談のような予言までしている。

 その内で、一番大変だったのが主人公さんの愛しきアレと違ってこの酷くどうでも良い世の全てを大切に思うようになることだと彼女は思う。己を愛で洗脳するのは、天性を持っていた光ですら難しい。

 あばたをろくに見ずに、光の照り返しのみに喜ぶ。そんな、どこかの百合さんみたいに馬鹿みたいな生き方に慣れるのは、辛いもの。己から棘を抜き続ける痛苦、平凡へと堕する感覚を光はしかし許し続けたのだった。

 自己嫌悪というヤスリでざりざりと削った角を笑顔で棄てて、そうして誰にも気にされることがなくなったのが、今の月野光だ。

 どうでもいい人。やっと少女はそうなれた。


「さて――お陰でわたくしも、何の意味も持たない存在になれましたわ」


 断捨離。要らないものを捨てるならば、己一人きり。日田百合と同じそんな境地に至って、ようやく月野光は憎たらしい世界を愛せた。

 もっともそこまでしないと認められなかったというのは、どうにも彼女にとっても癪なことではある。あの日田百合の幸せすら飲み込めない極小サイズと同等の自己価値に至ってようやくスタートラインとは、笑うに笑えない。

 まあきっと、私が生きてさえいたらそこまでさせることはなかったのにと、水野葵が存在していれば涙ながらに諭したのだろうが。

 しかし実際のところ水野葵は死後の先まで尽く消滅していて、滅びゆく世界を愛そうとする光は唯一人ぼっち。己への愛を切り捨てなければ、遍く全てを愛する光になることは不可能だった。

 そして、そんな無私というこの世に一つもあってはならないものの二つ目と化してしまった少女は、黒の瞳の奥で何もかもが輝いて見えるようになった壊れきった心の中で次の覚書に手を付ける。

 幼少期の癖のように中空に向けて、滑らかに光は呟くのだった。


「さて……別にそこらの石ころと恋に興ずることだって可能なわたくしではありますが、それでいいかはよく分からないのですよね。素敵な恋、とは一体どういったものでしょうか?」


 自分より素敵な恋をしなさい、という葵から貰った思いやりから来る言葉を光は受け取っている。しかし先にありとあらゆるものへの価値を本心から欺瞞した上平均化させてきてしまった彼女に、恋という想いの偏りの結果を自然発生させるのは難だ。

 好きといえば何もかもに対して言えるだろう。好きの対象の固定を恋と呼ぶならば最早光は何もかもに恋を発生させられてしまう、百合のような人でなしと殆ど同じだった。

 自覚している通りに、彼女はその気になれば醜男と真剣に恋を奏でることだって問題なく、明日の死刑囚のために全てを捧げることだって簡単。それどころか、ひらがな一文字と永遠の恋を誓うことだって、唯一認めていない日田百合に恋を覚えることだって不可能ではない。


「素敵……それは心惹かれる様のことだった筈ですが、ここに至って心なんて殺し尽くして来た業がわたくしの邪魔をするのですね」


 何もかもに比べたら、私なんて。世界を愛するためにそれくらいのどん底に自らを貶している光は、しかしだからこそ素敵という言葉がわからなくなっていた。


「ふむ……ここは恋を知るお姉さまにお聞きするとしますか」


 己に恋はない。ならば、参照すべきはそれ以外から。そう結論付けた月野光は起き上がり。


「行きましょう」


 今はなきイマジナリーフレンドに語るように続けて言って。寝具以外にチリ一つ、モノ一、愛一つもないただの空虚である己の部屋を後にするのだった。



 月野という家は、どうしようもなく贅を棄てきれない。それは、幾ら姉である月野椿が良化させようとも変わらなかった。

 まあ、それは当然である。名家が突然侘び寂びを纏ったところでそんなものは周囲を不安がらせるばかり。だから、このマイセンのような等級のモノですら容れられない、そんな度量の狭さに首を振るのは光だけだった。

 だが、そんな自己否定の一貫をお首にも出さず、メイドが淹れてくれた琥珀色を覗き込みながら気軽に恋について妹は問う。すると自然、初心な姉は想定外の質問に顔を紅くするのだった。


「こ、恋? えっと……光。それって……」

「おほほ……お姉さまのご想像の通り。あの日田百合にまつわる想いについてお聞きしたいと思いまして、こうして参上したのですよ。あ……お姉さま。そういえばお時間は、よろしくて?」

「ええ……大事な妹とお話する時間は大事だから……でも、少し答えを決めるまで待っていてくれない?」

「分かりましたわ」


 拙速であっても答えは早くいただきたかったのに、とそう思いながら姉の心のために光は表情を変えずにゆったりと座って続きを待つ。

 ああでもないし、こうでもないし、と恋についての持論の決定に悩む椿は百面相をしてから、ふと落ち着いた様子の妹を見つけて、黙る。

 そして、怖ず怖ずと姉は妹にこう呟いた。


「光は変わった……わよね」

「おほほ……お姉さまがそれを仰るのですか? 悪辣から親愛へと変わった貴女と比べればわたくしなんて、不変も同じでしょう」

「……本当に、変わっちゃったのね」

「ふむ。やはりバレていましたか」


 教育、そして薫陶が指先まで行き渡っているメイドは不動。だが、光の身の回りの世話を断られるようになったことで椿の元で働くようになった彼女の面にはどうにも辛さが浮かんでいた。

 本当は知らぬは、光一人ばかり。だが我が家の大切な次女が、何を元に堪えて変貌をしようとしていたか、それを誰も理解できなかった。しかし、諦めきれずに静観していれば、この自分勝手だった少女はどうしようもなくプライドをハリボテにまで毀損しきって薄く笑んでいる。まるで、あの子の下手なモノマネのようにして、浅薄にも。

 終わりの世界にて愛すべき妹の行く末を悩んでいた椿はこれ幸いにと、問う。


「なんで、貴女は虐められていたことを言わなかったの?」

「彼女らのわたくしに対する害意も、それはそれで良しと思えましたから」

「……どうして、貴女の部屋にはもう殆ど何もないの?」

「上納、もしくは返品ですよ。いと高き全てに価値あるものは向かうべきです。わたくしには、何もかもが勿体ないのです」

「気にしなかった私達を……何故貴女は愛してくれるの?」

「逆ですよ。貴女はわたくしを月野の次女としてふさわしい存在と信じ続けて下さった。ならば、その信に裏切ったわたくしが愛を返すのは道理でしょう」


 言葉の一粒一粒がブリキのダンス。きいきいきいきい耳苦しい、それらはどうしたって本心には思えない。だが、それでも月野光はそれを本心と定めてそれ以外の全てを認めずに壊してしまった。

 ただ、欺瞞のためだけに以前の辛辣さを纏ってはいて、それがまた、おかしい。

 いつものように振る舞いながらこの子は、イジメっ子をすら抱きしめて更に嫌われて、笑顔で受け取った誕生日プレゼントですら隠れて売り払って募金に宛てていた。

 その上で、ごく最近までそれに気づかなかった月野の者達に礼を尽くす。そんな、嘘のような正道の輝きなんて果たして名付け親ですら望んでいなかったのに、どうして。

 思わず、椿は最愛の人を思い出し、こう問ってしまった。


「光が目指したのは……百合ちゃん?」

「いいえ。ですが、アレが理想に近いというのは認めざるを得ませんね」

「壊れてる」

「壊したのです」

「なら……百合ちゃんも壊れてるってこと?」


 月野光は決して、いい子ではなかった。わがままを言うし、人を抓ることを遊びとしていたことだってあるくらい、自分中心な子供でもあったと椿は知っている。

 それが、大好きなあの子、多才な椿ですら決して真似できないと思うくらいにいい子ちゃんな日田百合みたいなものになろうなんて、明らかな無理だ。

 そもそも、悪徳から生まれた他人の不幸を喜ぶことを先に知った子が、他人の幸せに微笑むことが可能になるまでに心を入れ替えるのは、殆ど総取り替えに他ならないだろう。

 私を殺す。それは一時だって難しいのに、これからずっと終わりまでなんて、あり得ない。だが、この子はそうして、こうなった。

 なるほど壊れているのに違いなく、ひょっとして光が倣った百合も壊れているのではという恐れまで湧いてしまう。

 だが、似合わないくらいにとても優しく笑んで、光はこう事実を告げた。


「いいえ……アレこそ伽藍堂の無限。わたくしには到底真似できない本物の無償の愛を持っているのでしょうね」

「なら……」

「ですが、わたくしは諦めません」


 少女は愛した水野葵のお化けに見捨てられた自分が大嫌いだ。でも、彼女はこうあるべしという道を遺してくれた。なら、幾ら辛くともそれに殉じたくなるのは光の当然。

 葵はきっと、端から輝く善人である百合の方が好きだろう。だが、それでもきっと悪でありながら本物と同等の善になろうと手を伸ばし続けるわたくしだって嫌いではない筈。

 だったら、それで良い。いい人に成れたとして、次に進もうと彼女は思えた。


「世界が終わり、何もかもが残らない……それがどうしたというのでしょう?」


 主人公の影響を受けて、空に走る赤い線、死線が見えるようになったのは光も同じ。

 蒼穹を横断するあのけばけばしいほどの赤に、彼女が恐れを覚えないことはないけれども、そんなことよりずっと光は葵の望みを叶えられないことが嫌だった。

 そう、終わる。けれども今終われるものかと、彼女は思う。


「わたくしは最初自分以外何一つ大切に思えなかった、悪徳の子。それが狂気に変じて全てを愛したいと思えた。そんな些細な熱こそがわたくしには全てなのです」


 命を賭けるなんて、そんなの思いはせずとも知らずに全てを投じていた。こんな感情が恋ではないと葵は言っていたけれども、しかし。

 呆然とした表情で、良いお姉さんは問った。


「どうして光は、そこまでするの?」

「だって……寂しいではありませんか」


 そう、寂しい。光はずっと寂しかった。あの人が消えて静かになって、そしてあの日の何もかもが嘘のようになってしまい、けれども心が叫び続けているのならば。

 止まれない。光は、想うことこそ全てと知っている。


「誰も彼女を知らず覚えず消えていったとしても、わたくしばかりはあの人の言葉の証明を続けて……決して無にはさせません」


 そう、暁に消える世の中だからといって、あの日の幽かな期待と願いの尊さを誰が否定出来るだろう。

 あの素敵な人のために私は、だから成るんだ。そればかりの少女は、しかしこの頃諦めきっていたお姉さんにはそれこそ輝いて見えて。

 仔細は不明。とはいえ大体を理解した椿はこう、言った。


「光は……素敵な恋を、していたのね」


 間違いないと自らの言に頷く椿。それをぱちくりと大きく黒い瞳に映した光は改めてこう理解する。


「あら。やはりわたくしは恋をしていたのですね」


 一度否定された。でも、それでもやっぱりアレは恋であり、今も燃え盛っている。

 ならば好し。知らずしていた緊張を解き、光は笑んだ。


「おほほ」


 幸せに満ちていて、美しい。椿が見た、これが彼女の最後の弛緩と誰が知るだろう。


 さて、世界は愛せるようになったし、素敵な恋はずっと出来ていた。


「なら、次は最期に希望の光となるべきでしょうね」


 言い、椅子から立ち上がって背を向ける。対話に満足した彼女はそのシルクの手袋の故を、此度語らなかった。


「……光?」

「お時間ありがとうございます。お話心から楽しかったですわ。それではさようなら、お姉さま」


 それで十分。何時ものように、好きだからこそ誰にも己の心を明かさず、指先の赤をも隠したまま。


「大好きですわ」


 誰にも聞こえて良い、そんな本心を改めて呟くのだった。



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