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ルート3 砂金の真心 金沢真弓④

 金沢真弓にとって、生存は約束である。今はなき、水野葵とした大切な約定だった。

 ただ、それだけ。彼女は無理に幸せになるだの目的を持て等と望まれなかった。

 真弓は、本当ならばあの日まで内側で並んでいたあの子に指示される通りに生きていれば楽だったろうにと思わざるを得ない。

 私は言われたら、絶対にそれに殉じることが出来た。それくらいに、恩があるのに。


「この空が、落ちてくるまで……私はどう生きよう?」


 しかし、想う真弓はだからこそこの自由に四苦八苦する今が楽しみでもあるのかもしれなかった。

 手を伸ばした先にある空は多少赤けれども、まだ大体が青い。




「カピバラさん、可愛い!」

「あは。温泉入ってる……おじさんみたい」


 世界は終わるが、まだ終わりきっていない。ならば、この頃まで遊びの余地は随分とあった。

 最近より積極的になった真弓からデートだといって引っ張られた百合は、電車を乗り継いだ先にのんびりとした動物たちの中にて心を安堵することになる。


「あ、夜鷹さん! 本当にお口がま口みたいでおっきいねー」

「宮沢賢治のお話でしか私は知らなかったけれど……ま、ユーモラスだよね」

「わ、後ろにもう一匹居た! あはは! カモフラージュお上手だねー!」


 動物園。デートの先としてはありがちなそこに、百合は大変な満足を覚えているようだった。向けられる円な、どこか意思の欠けるような瞳達に、しかし百合はどこまでも優しい視線を返す。そして、かわいいかわいいと、ただただ騒いでいた。


「……百合ちゃんの方が、可愛いよ?」

「そんなことないよー! きゃー! ちっちゃいお馬さんの隣におっきな亀さん!」


 ぽつり、と忘れられた同行者はそう主張するが、しかし自分なんてどうでもいい百合は当然に褒め言葉を流して柵に突進するかのように大型生物に接近していく。

 ポニーに諸手を上げて黄色い悲鳴を上げ、ヤギへの餌やりに興奮するあからさまな動物大好きっ子。百合は愛をこれでもかと溢れさせていて、無償のそれを気味悪がることも受け取ることもない動物が相手であるからこそ全開だった。

 今も彼女は、最大限近寄ってから、その短躯を精一杯に空にまで伸ばして、無意味に世界でも最も長身の生き物と己の小ささを比べ合っている。百合は笑顔で、己の矮小さを楽しんだ。


「キリンさん! 首凄い長いよー! わあっ!」

「……まあ、良かったかな」


 こんなに喜んでもらえると、かなり放置されている現実を差し引いても嬉しくは思える。

 この前、百合の家に訪れた際に昔使っていたという筆箱に貼られたどうぶつシールの夥しさに苦笑した覚えからの動物園というデートコース選択だったが、間違っていなかったようで何よりではある。


「か、可愛いよお! まあるくてちっちゃいー! わ、ぴょんぴょんしてる! 子供ちゃんはふわふわしてそう!」


 そして偶に公開時間と合ったことで見ることの出来た小さなネズミのようなカンガルー、クオッカ(クアッカワラビー)に、百合はまた爆発。きゃっきゃ騒ぐお子様として視線とカメラの先を避けるように動き回る小型生物を心で感じて愛を叫びにしてしまうのだった。


「ああ……尊いよお……触れなくて辛いけど、でも生きてるのが素敵で……うう……」

「百合ちゃん……あんまり騒いでるとクオッカ達、びっくりしちゃうよ」

「あ……そうだね……しいってしないと」


 そして、しばしば真弓にたしなめられる。大人しく都度お口にちゃっくしてくれるが、また違うところに向かえば騒ぎ立てるに違いない。端的に言って、百合は動物たちの前では大分うるさかった。

 どこに向かおうと叫びながら喜ぶ小さめ女子はそこそこ目立つ。それと恋人繋ぎをしている女の子である真弓もまた、ジロジロと見られているのは理解している。

 とはいえ、自分が動物園に紛れ込んでいるばかりの珍獣であることなんて、とうの昔に自認していたこと。むしろ、多少異形であっても愛はどうしたって誇らしい。

 むしろ、本日のメインと考えて寄ってみたところで跳ねる複数の生き物を前にして、真弓は考えるところがあった。


「この子達が世界一幸せな、生き物、かあ……」

「そうだよねえ。クオッカちゃんたち、お口にこってしてて、可愛い……」

「うん……そう、だよね」


 口角上がる。それが人の笑顔の条件であるからには、確かに真弓からみてもこの生き物たちは笑顔を振りまいているようで、愛らしくも思えた。

 クオッカ達は、その持ち前の特徴を持って人々を幸せにし、動物園でも大事にされているようである。広い飼育スペースを跳ね回る彼らも多少持て余しているような様子が、真弓には印象的であった。

 そもそも彼らは、百合の言う通りに確かに生きている。繁栄には届かなくとも、立派に命を保ってそれを伝えながら懸命に終わりの中にだって体を残しているのだ。化石としてしか残っていない大げさな生き物達と比べても、無常に負けず今にある彼らの尊さといえば、思わず微笑んでしまって然るべきものと思いはするのだが。


「幸せ、かぁ……」

「真弓ちゃん?」


 しかし、五年間も寝て人生を浪費したこともある金沢真弓には、真っ直ぐにそう考えはしなかった。

 全ての命に死という区切りがあり、世界にだって終わりがある。走るのが好きで体育の時間に披露したそのタイムの良さから陸上部に勧誘されたこともある真弓はまた、ゴールテープの大事だって分かってはいた。

 だが、誰もかもがお手々繋いで終わりましょう、なんていうのはあまりに陳腐に過ぎると撚た子供は思わなくもない。

 命は冷たさに抗い燃えるように温度を出すから素晴らしいのであれば、万物に対する絶対零度なんてものは明らかに唾棄すべきものだ。

 彼女が見上げる空には、赤い罅が増えてきている。昨日より今日、今日より明日と、全てが望ましくない結果に近づいているのが道理を知る主人公と接続した真弓には分かるのだ。

 そんな、未来に諦めを覚えざるを得ない少女である真弓には、展示されていて滅びに足掻くことすら出来ないただ生存に優れただけの子達どうしたってが幸せには見えなかった。

 かっかと燃える愛の横で、小さく震える絶望は、こう呟く。


「人の繁茂は石ころの表面を走り広がるアメーバの活動にすら似ている。そこには程度の差しかないと思えてしまう。だから昔の私は人間を重く見る大衆の考えに迎合できなかった。でも……それでも葵は、私が主人公だと言ったよ」

「えっと……うん」

「あの子がこの世の中心で、そのために何もかもが出来ていた。なら、他の存在や、幸せの意味とは何だろうと私は思ったの。全てが水野葵という存在の従属物だったならば、命に頭を垂れて大事なあの子を忘れて滅びに紛れていく全てに、価値はあるの?」


 それは、その昔頭でっかちの天才だった名残から来る、疑問。ありとあらゆるものはサイズ違いの相似で出来たフラクタル。しかし、一点に何もかもを成り立たせる意味があったとするならば、その他の在り来りのモノ達は果たして何なのだろう。水野葵という最重要を知っているからこそ、真弓はこの頃一人悩んでいたのだった。

 だが、突然の難度高めな情報量に、百合は目をしばしばと瞬かせるしかない。さほど賢くも考える癖もない彼女は、真弓の言葉を頭の中で繰り返しても半分程度しか理解できなかった。

 でも、想うのが得意な百合は細部に気取られずに大きな彼女の迷いばかりを感じ、そこに小さく返すのである。


「あはは……真弓ちゃんは難しいこと考えてるんだね。でも、答えはもっと簡単だよ」

「……そう?」


 真っ直ぐ動物ばかりを認めている百合の前で、親から逃げるように一匹の子供がどこかへと跳ね去っていく。その理由は、ただ隣で見ていた人には分からない。でも、想像できて、だからそれが無意味とは思えず、ユーモラスすら感じて微笑むことに価値がないとは彼女には思えないのだった。


 だから、きっと。真弓の迷いは、ただの一歩引いてみるという形を採っているだけの怯えの結果にしか過ぎなのだと、百合は理解せずとも分かってしまう。

 これでもあたしお姉さんやっているんだよね、と改めて事実を想起しながら、迷える子供を優しく彼女は導く。


「ねえ、このクオッカちゃんを見て、真弓ちゃんは可愛いと思う?」

「それは、思うけれど……」

「それが、正解なんだとあたしは思うよ」

「え?」


 可愛い。感じること。それが、正しい。真弓にはそんな諭しなんて理解の外だ。

 何もかもが道理で出来ていて、感情というものはその隙間を埋めるものでしかない。ならば、それを感じることなど無意味では。

 そう誤解する賢しげな子供に、感情こそが全てを繋げる意味そのものだと考える百合は、背伸びして。


「よしよし」

「あ、っと」


 背高の迷い子たる真弓をいい子だと撫でてあげるのだった。

 ぼっと顔を紅くする少女に対し、同い年の少女はこう、伝える。

 がさり、という音にもう繋がった彼女らの視線は外れることもなかった。


「真弓ちゃんは、葵が大好きだったんだね。だから、他の人があの子を忘れて生きてるのがずるいって思っちゃう……」

「あ」


 それこそ、あの子が死んだ後が無意味で諦めても良いもののように感じてしまったんだね、と言外で繋げながら少し百合は寂しげな表情をする。

 でも、この世を愛するテキストとして生き、実際本心から何もかもに価値を覚えている心の少女、佳日の無垢たる日田百合は、大きく笑んで。


「あの子をそんなに好きで居てくれて、ありがとう、真弓ちゃん」


 こう、少女の悩みと愛に、感謝したのだった。


「あ、ああ……」


 そして今更に、どうして日田百合が水野葵に愛されたのかと、その故を金沢真弓は理解する。

 少女は絶望の中に確かな愛を見つけ、滅びにも全力で生きることを選んでいた。

 それが、愚かと見えたとして、懸命であることは否定できない。そして、もうこの子のフラクタルであるのかもしれない何もかもしれない世界を恨むことなんて出来やせずに。


「あ、あああ、わあああーん!」


 人目をはばからず、真弓は涙を零す。もう、誰のせいにも出来ない滅びを前に、少女の心は揺れ動くばかり。終わらないでと今更に嘆く駄々っ子を前にして、百合は。


「ん」

「あ……」


 熱を持ってその答えとした。肩に流れる涙を気にせず、抱擁は彼女なりにきつく、でもどこまでも優しさに満ちた柔らかさであって。


「あ、う……ん、ずるい、よ、こんなの……」


 その真心に、恋をすら忘れる愛を真弓は感じざるを得なかった。


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