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ルート2 倒木の無常 木ノ下紫陽花⑥


 冷たさに触れるということ。微かだろうと熱を持つのが生き物であるからには、それは良いことではないものだ。

 死を想起する程の温度のなさ。彼女の総身は温度を奪うためにある。故に、おどろおどろしき幽霊であるのだろう。

 側にいるだけで、吸い取られる。それが命の一部であるならば、なるほどお化けはなんとも恐ろしくて居なくてほしくて目を瞑って布団に籠もるのが然るべき対処法。

 でも、そんな手のつけようのない存在がくれた想いに惚れた少女は。


「紫陽花ちゃんのお肌、すべすべ!」

『きゃっ。百合ちゃん、くすぐったいよー』


 思い切り生の灯火を差し出し、思う存分そのスケスケな全身に愛を吸わせた。

 いちゃいちゃをしつくした百合は紫陽花の肌で触れていないところなんてないし、きっと誰よりも紫陽花という少女の尊き死に体を見ていたに違いなかった。


「うっ、ぐぅ……」

『ゆ、百合ちゃんどうしたの? どこか痛いの?』

「……なんちゃって! 冗談だよ! あははー」

『なんだ! もうっ、驚かさないでよー』


 下手な演技の下に、常に少女の幸せばかりを願って望んでいた幽霊は騙され続ける。

 だが、どうしてただの人にすら足りていない命僅かな乙女が幽霊に取り憑かれることに耐えられるのだろう。

 痛みに親しみ続けている百合ですら、直接的な己の魂の目減りは悍ましい。ぺりぺりと命の外側から薄皮一枚一枚を理知らぬ幽霊の餌として剥ぎ取られていく心地は、正気ではいられない程の気持ちの悪さである。


「あはは、びっくりした紫陽花ちゃんの顔、可愛い!」

『もう、そんな撫でないでよー。もう、百合ちゃんは触るの大好きだよねっ、どうして?』


 だが百合にはそもそも、そのままだと早々に死に入ることを実感で覚えながら、怖気をすら一笑に付す狂気があった。

 それは、このテキストが持つ唯一の存在証明、愛。果たして、それに努めそこから逃げられない日田百合はあまりに誤って、今もお化けの隣にある。

 愛など理性的な存在が持つべきものでなければ、しかし端からこの世は過ちだらけで出来ている。なら、いいよと己のメスで刻まれた落書きだらけの身を死の前にすら少女は差し出すのだ。

 それは。


「あたしが、好きだから」


 何もかもがその一言に尽き、終焉する。



 ああ、この世は何もかもが誤っていて、だから空には赤くバツばかりがついてしまい、今にもその不安定さに割れそうである。


「ぽぽぽ……こんばんは」


 そして、そんなあんまりにも手酷くバッドとされたお空の全てを冠った、大きな大きな女性が最期の少女等の前に一柱。

 彼女こそ最大の怪人であり、最小限の神様。選ばれることなくゴミのように棄てられたこの世を懸命に支えていた、何もかもを見捨てられなかった女性である。

 そんな首が痛くなる程の高みを見上げながら、日田百合は問う。


「えっと高子さん、こんばんは……あれ。もうひょっとしてタイムオーバーかな?」

「ぽぽぽ……そうなっちゃう、かな」

『え? 百合ちゃん、高子さん、どういうこと?』


 マイナス故に、何も知らされていない木ノ下紫陽花は、揃って訳知り顔の二人に首を傾げる。当然、溺死の瞬間に停止している彼女の短髪からは偏りによった滴りが地にぽたりと落ち、嘘のように消えた。

 だが、そんな可愛げな無知を隣に見ても、もう百合は笑えない。それはタイムオーバーを前に、それまでの時間が大切であればこそ一笑に付すことなど出来やしないからだ。

 同じく、状況全てを見下ろして無力の悲しみに笑っていた彼女だって、辛い。何せ、愛したかったお友達をもう看取り続けられないのだから。


「ぽぽぽぽ……私は、紫陽花ちゃん、好きだよ」

『あ、うん……ボクも高子さんのこと、好きだけど……』

『ぽぽ。なら両思いだね……だから……ぽぽ。悲しいかな』

『え?』


 そして、高子はただ見上げて認めてくれた幽霊を誰かさんのように愛のまま撫でつけてあげようとして。


「――――駄目ね」

『高子さん!』

「ん」

『……百合ちゃん?』


 彼女はその柱の体に走った罅に、笑えないくらいに痛んでしまうのだった。

 声を上げる幽霊を、そっと死に損ない過ぎた百合は抱き留める。

 高子が手を引っ込めそんな二人をいいなと思うその合間に、彼女の崩壊は進んだ。あっという間に無理をしていた一柱の全てに終わりの赤が走っていき、次第に暗色を纏っていた彼女も紅に染まっていった。


「ぽぽ。このお話のおしまいおしまいは、貴女達でしておいて」

『高子さん、高子さん! 死んじゃやだよ!』

「私も、やだなあ。ぷぷっ」


 流石に、ここに至って紫陽花も理解する。高子という存在は、大好きなお友達はここに、自分の眼の前で終わってしまうのだと。死を前に必死に首を振り続ける死にきらずを見下ろしながら、高子は柔らかく微笑んだ。

 生死の観劇を続けた自分が不滅と出会いに愛を覚えてしまったこと。それはとても悲劇的で、笑えるけれどもでももう誰かの死を忘れるために笑えはしない。

 何しろ、彼女と彼女を除いたもう殆ど全ては、赤く染まって破顔一つで崩壊する程度でしかないのだった。

 だから、デウス・エクス・マキナ足り得なかった高子は、独りの読者として全霊を持ってこう締め括るのだ。


「ありがとう」


 高子は、この世を呪う正体である。逆に言うならば、呪われた全てを呪りと動かす命達の主でもあるのだった。

 それが、ありがとうと何もかもを諦めて、頭を下げた。つまり、全ては。


『あ、ああああああ』


 ぱきり、という大きな終わりの音。終焉にリズムはなく、故にその崩壊は拙速過ぎたのかもしれない。


「わあ……」


 何より巨大なものの死と共に赤天は崩れ、ざあざあと赤き粒の雨が降り注ぐ。

 赤き尖った落ちていくばかりの何もかもはそれほど百合の頬に痛みを感じさせるようなものではない。


『きゃっ!』


 そして、何よりこの世の道理に関わりのない紫陽花の身体には特に影響もなかった。

 ただ、辺りがあまりに擦れ合いにうるさく見にくく、自然彼女達はぎゅっと身を寄せ合うことになった。

 夥しい程の、終わりの世界の残滓。ルビーのように変じた全ての美しさが、今やただうざったい。

 そして、頬に感じる相手の熱に、そのうちに紫陽花は驚くのだ。


『百合ちゃん、どうしよう……高子さん、空まで壊れちゃって。ボク達はこれからどうすれば……百合ちゃん?』

「そう、だね……どうしよう、かな……」

『百合ちゃん、熱が……それに……』


 今際の際に、命が過分なまでの熱を発するのはよくあること。だが、そんな看取ってきたこれまで全てに最愛までが倣ってしまうのはどうしたって認め難かった。

 世界の噴石に何もかもが埋もれ地にも死線が蔓延る中、死の象徴は頬に一筋の赤を生じさせた百合に対してこう叫ぶ。


『生きて、生きてよぉ! どうか、ボクに君を諦めさせないでっ』


 紫陽花は間違いに、百合に死を望んだことがあった。でも、それは本当のところ百合に自分のように永遠に生きていて欲しかっただけであり、結局のところ最初から最後まで彼女は百合の生存しか願って来なかった。

 木ノ下紫陽花は、永劫のお化けである。終わらない幽霊であり、それは即ち連続性を保証された幽かな霊魂ということだった。

 最早理想的な死の先。でも制作者の設定というそればかりで固定されている彼女と同じ者など他にありえない。

 だから、違っていてそれでいいと日田百合は認めたのだし、そんな彼女の行く先を心配した百合が全てを捧げようと思ったのだ。

 愛した人は、赤に塗れながら、こう言う。


「うん。紫陽花ちゃんは、あたしの死なんかに諦めないでいいよ」

『百合、ちゃん?』


 紫陽花の悲鳴に返って来た言葉は、決して答えではない。諦めに崩れた表情で紡がれた百合の本音は、だがどこまでも真摯な言の葉を紫陽花の元へと落とすのだった。


「生きて……私の永遠」

『あ……』


――――それに、紫陽花ちゃんが思い出をずっと忘れないでくれてたら……あたしが冷たくなっちゃっても、それで終わりじゃない。


 そんなすっかり忘れていたあの日の約束を思い出した幽霊の涙で出来たような頬に、柔らかいものがふわり。それが、くっつきたがりの百合の最期の愛であることに気づけども、時はすでに遅く。


「――あは。また、会おうね」


 白の色。光のようだった少女は赤く堕ち、でも満足そうにこう逝った。


 終には空すらない。全ては赤に飲まれて落っこちて消え去って。




『分かったよ』


 でも、少女は何にもない滅びの黒の中に、ぽつんと一人。


 これはそんな、彼女以外の全ての終わり。



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