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2.Ночь охотника

狩人の夜



「また狩りへ? ……気を付けてな。

今時期、遭難でもしたら、まず助からんよ」


 そう言っていたのは、近所の馴染みのアウトドア用品店のオーナー(36)。


 彼とは子供の頃から中々に親しい間柄にあるが、最近、段々と私を見る目が変わってきたのがわかる。

 経験上、私のような人間にああいう人が"そういう目"を向けてくるのは珍しいと思った。


 ……というか彼は、私がまだ16の学生だということを、理解しているのだろうか?


(……人は見かけによらないな)


 確か出会った当初の頃の話が嘘でなければ、今年でちょうど結婚十年目を迎えるはずだ。

 その手の噂は一切耳にしてこなかったし、てっきり去勢された"朴念仁"かと思っていたのだが……。


 しかし私は、彼に対してとくに「気持ち悪い」だとか「見損なった」だとか、そういう感情を抱くことはなかった。

 なぜなら、基本的に私は他人に対して無関心で、また、誰に対しても"好意"を抱いたことがないからだ。

 それに親しいとは言え、彼が一方的に私に良くしてくれているに過ぎない。


 だから、たとえ彼が犯罪者になろうとも、なろうとしていようとも、「そうか……」という感想しか出てこないのだ。



「……それにしても、この起伏に乏しい身体のどこに、欲情したんだろうか……」



 その部屋は、連日余裕でマイナスを記録し続ける外の気温とは打って変わって、じんわりと暖かった。


 "狩り"の時にだけ住まう、トレーラーハウスの壁に備え付けられた、大きめの姿見。

 私はそこに映る自らの裸体を何となく眺めながら、その疑問についてしばらく考え込んでいた。


 短めの銀髪。と言っても前髪は長く、そのままでは目元に掛かるので横に流している。

 顔はまあ、我ながら整っている方だと思う。

 ……しかし、「可愛い」とは言い難い。


 同年代の女子には「格好いい」とか「オオカミみたいで素敵」とか、女として喜んでいいのか悩ましい評価を受けている。

 体格の割に軟弱者だらけの男子より、余程女子ウケがいいのは皮肉なものだ。


 ……まあ、それはいい。

 それよりも今、問題なのは……。


 私は視線を下に移した。


 この辺りの山々と違って、急な勾配は見受けられない胸元。

 薄い胴体と細い両足との繋ぎ目には、いまいち肉感に欠けるクレバスがひと(すじ)

 男にとっては情欲の対象であるはずのそれらに、しかし私は不信感を覚えていた。


「……なあ、お前、興奮するか?

……この私の身体に」

「ぐぅ……?」


 振り向いて相棒に尋ねると、彼は食事を待ち構えているのか尻尾を振りながら足元を徘徊し始めた。

 犬種はシベリアンハスキー。そしてその名前は、旧い友人から取ったものだ。


「……そうか。

……私の魅力は、お前のエサ以下か……」


 私はそう言って落胆しつつ、上下にスポーツ用のグレーの下着を身につけた。


 それから台所の上の棚を開け、犬用のスパム缶を取り出し、プルタブを引っ張って中身を皿にベチャっ、と出して床に置いた。

 私は彼が我慢の限界という様子でそれに食らい付き始めたのを確認してから、次いで自分の夕食の準備に取り掛かった。


(トマト缶……アサリ……アスパラ……オリーブオイル…………)


 適当に合いそうな具材を取り出し、何となく完成図を予想する。

 ちょうどパスタの留め紙を剥がそうとしていた時、後ろから相棒の声が聞こえた。



『……お前はいい女だよ、ご主人。

この俺が保証する。

……お前の一番の相棒である、この俺がね』



 私はハッとして振り返った。


「…………お前今、喋ったか?

……喋ったよな? 流暢なロシア語を」

「……ぐぅう……?」


 しかし当然、それは気のせいだったようだ。


「……疲れと寒さで、おかしくなっているのだろうか」


 私は食欲よりも睡眠欲が勝り、ふかふかの雪のようなベッドにボフッ、と沈み込んだ。


「……おっ?」


 その時、枕元のスマホが振動した。


 受信したメッセージを見ると、『明日はこれで行く!』とだけ。

 添付写真を開くと、そこには得意気に胸を張っている(悲しいがそれでも私より小さな胸だ)、

カジュアルな冬服に身を包んだ送り主の姿があった。


「………………」


 同い年ながら、私よりもずっと背が低く。

 金持ちのくせに、食べる量が少ないせいか子供のような体型をしている。


 腰まで伸びた銀色の髪。

 同じ銀色でも、彼女のそれは少しゴールドが混じっていて品がある。


 その容姿は子供の頃から、何もかも変わっていない。


 変わらず………………可愛らしい。


 まさに、北欧の妖精。

 男勝りな私とは、色々な意味で正反対のタイプだ。


 そしてそんな彼女は、私にとって唯一の"友人"と呼べる存在だった。



「………………………………………………」



 スマホをしばらく眺め、電源を切って再び枕元に放り。

 それから暖色の照明を鬱陶しく思い、目元を片方の腕で隠すように覆った。


「……………………なあ。

悪いがちょっと…………外に出ててくれないか」

「ぐわうっ」


 私の一声で相棒は専用のドアをくぐり抜け、あっという間に姿を消した。


「…………フライデー。

電気を消してくれ」

『……消灯します』


 次いで、私の声に反応したスピーカーデバイスの彼女が、部屋の灯りを消してくれた。



「……………………」



 さっきまで、身も凍るような外気に晒されていたせいだろうか。

 それか、何の罪もない小さな命を、何の感情も抱かずに奪ったから?



 …………それとも…………。



 未だに下着姿でいるのは、"それ"を寒さのせいだと思い込みたかったからだ。


 全身の毛が逆立ち、お腹の辺りが妙に熱を帯びているのがわかる。

 "それ"が、いつだって冷静だと自負していた己の、冷酷な狩人であるはずの私の頭をボーッとさせている。



 ――確かに、私は少しおかしくなったようだ。



 枕を抱きかかえ、横向きの姿勢で。

 そのまま自身の、最も敏感な部分に手を伸ばし。


「……………………んっ」


 私はそれからしばらくの間、その恥ずべき行為に耽ってしまっていた。




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