背中を押す時はきっと、さり気なく相手に気づかれぬように
つい最近不思議なことがあったので聞いてもらえませんか?そんなに長い話ではないのでお付き合いいただけますと幸いです。
月曜日の夜、仕事帰りの話です。夜と言っても20時頃なので深夜ではありません。駅で電車を待っていた時の事です。
私は乗り換えがしやすい車両に乗りたかったため、電車の最後尾車両が止まるホームの端の方に立っていました。私が駅に着いた時、ちょうど電車が行ったところだったので私の周りには人がいませんでした。次の電車まで15分。私は暇つぶしにスマホをいじりながらぼんやりと次の電車を待っていました。
私はマスクがあまり好きではありません。ずっと付けていると耳が痛くなるからです。コロナのせいで職場でも一日中マスクをつけなければいけなくなった事は私にとってとても辛い事です。ノーメイクで出社しても誤魔化せるのは助かるんですが、やはりマスクは苦手です。
周りに誰もいない事を確認した私は、電車が来るまでマスクを外すことにしました。一日中マスクをしていたこともあり、外した瞬間、疲れからか溜息のような深呼吸を無意識のうちにしていました。
「ん……?」
何か獣の匂いと言いますか、気配と言いますか、突然背後に違和感を覚えました。気になった私はそっと後ろを振り向きました。
ザッ…
それはあまりにも不自然な動きでした。
いつの間にか私のすぐ後ろに灰色の制服を着た駅員さんがいました。そして私が振り向いた瞬間に後退りをし、何事も無かったかのようにホームのさらに端の所まで歩いて行きました。
振り向いた時、一瞬だったのでわかりませんが私の背中に触れようとしていたような気がします。
明らかに異常だったのでスマホをいじるふりをしながら駅員さんの様子を見ることにしました。駅員さんは爪先が少しホームから出るギリギリのところに直立しながら何もない線路を見つめていました。何も動きがないので目を逸らそうとしたその時、何かのスイッチが入ったかのように駅員さんが突然指差し確認をし始めました。
駅で駅員さんが指差し確認をするところをそんなに見たことはありませんがその駅員さんの指差し確認は明らかに変だと思いました。なぜなら全ての動作が大きく、暴力的と言いますか乱暴だったからです。
駅員さんは壊れた機械のように腕を振り回しながら繰り返し何度も何度も指差し確認をしていました。一言も話すことなく無言で能面のような無表情を貼り付けながら。
私は衝撃的な光景に思わずその場で固まってしまいました。
暫くするとホームに人が増えてきて私がいる端の方まで人がちらほらやってきました。すると灰色の制服の駅員さんは指差し確認をやめ、何食わぬ顔でホームの真ん中の方へと歩いて行きました。
不思議なことに駅員さんはやってくる人たちの顔を舐め回すように見つめながら歩いているのですが誰一人として駅員さんの存在に気づいていないようでした。
私はこれまで何年もこの駅を使っていますが灰色の制服を着た駅員さんを見たことがありません。もちろん変な指差し確認をしていたあの駅員さんも。
あの時マスクを外して後ろを見ていなかったらどうなっていたのだろうかと思うととても怖くなりました。
月曜日の夜、衝撃的な出来事だったのでこの事は暫く忘れたくても忘れられないだろうと思っていました。しかし今、私はあの駅員さんの顔を思い出そうとしても思い出すことができません。
顔以外のことも、この件についてはかなりの勢いで忘れていっています。この話を誰かに聞いて欲しいと思い、たまたまメモしていたおかげでなんとか思い出す事ができている状態です。駅員さんと遭遇した15分ほどの記憶だけがどんどん消えていくのです。その事も余計に私を不安にさせます。
ありきたりでしょう?
ありきたりな話なんですが誰かに聞いて欲しかったんです。すみません貴重なお時間いただいてしまって。お付き合いいただきありがとうございました。
あ、そうそう。この話には少し続きがあるんです。関係があるかどうかはわかりませんが、変な駅員さんを見たあの日の帰りの事です。私は次に来た電車に乗り何事もなく最寄駅で降りることができました。
駅を出ようとした時の事です。突然構内アナウンスで人身事故が発生したため電車が遅れるという情報が流れました。人身事故があったのは私が電車に乗ったあの駅でした。
私の考え過ぎだといいんですがあなたはどう思われますか?