とあるバカの教育
はじめまして!
初めてなろうで小説を書き、投稿するまで終始ドキドキしましたw
意味が分からないところもあると思いますが、楽しんで貰えたら嬉しいです
「私、反面教師だね」
俺が久々に会いに行った母に言われて記憶に残っているそれは、まだ進路で迷っている俺に深い傷と同時に大事なことに気づかされた。
俺の両親は高校も行かず将来の事も考えぬまま生活も不安定なまま俺を生んだいわゆる不良だ。
何があったのか分からないが両親は別居し、当然のように俺はまだ自我も芽生えないうちに母方の家族に預けられ、母は俺の教育の不安や疲れから逃げるように県外へ姿を消し、父は稀に俺の欲しいおもちゃを買ってやるだけの上辺だけの父親、当然母方の祖母からは俺の両親への文句や悲観的な言葉を言われ続け、それに反発するかのように俺は勉強や遊びなど家庭の事は無意識に考えず育った。
小学生にあがる時、母に再開した。
教育の疲れも癒えたのか再開して最初の印象は優しそうな人で何か嬉しかった。
それから俺からの要望もあり何とか家族として集まった3人は父親の実家に住むことになった。
俺は学校を転校したりと色々あったがだんだん生活に慣れ高いテストの点数を見せて褒められたり、一緒にお風呂に入ったり楽しい時間を過ごした。
小学校2年生に上がる頃に弟ができ、物心着いた時からはなかった「家族」という言葉にならないほどの感情が出てきてそれからは弟に付きっきりで相手をし、お兄ちゃんとしての「責任感」強く感じた。嬉しい気持ちは祖父母も同じだったのか俺の時のギスギスした感じの空気が和らぎ100日記念には一緒に集まって祝ったぐらいだ。
でもまた「教育の悪魔」がやってきた。
最初は子供のためと我慢していたんだろう、だが次第に母の態度が変わり俺に対する教育という名の暴力が始まった。
俺が気に食わない行動をすると急に手を出すようになり俺の性格も歪み、俺もすぐ手を出すようになり友達や穏やかな父方の祖母にまで文句を言うようになった
父親はどういう訳か止めなかった、多分父親もどうしたらいいのか分からなかったのだろう、多分「教育」を知らないからだろう
俺が小学生4年生の時に教育で変わった母は犯罪を犯した。幸い相手側に謝罪とその分の返済で話は着いたのだが、家族間ではそうもいかず教育で精神的にボロボロな母が泣き崩れながら謝るという家族会議の後、母は追い出されることになり、その経緯も分からない俺は泣いている母を可哀想と思い弟とまた母方の祖母の家に引っ越すことになった。正確には行くところの無い母を呆れ半分
怒り半分で俺達込 母 を引き取ってくれた。
家にいずらかったのか出稼ぎを理由にまた急に母は県外へ姿を消し祖母も呆れて連絡をせず音信不通になった。
俺はその後の俺のことよりも弟が心配になった。
物心着く前から母は姿を消し、俺と弟はたまに来る父親に遊びに連れて行ってくれるというまた上辺だけの父親になり、このままでは俺と同じ自分の不便さに悲しんでしまう道を辿ってしまうと思い誰が弟に教育をするのかということで頭がいっぱいになった。
その時のゲームが好きなだけの家庭の事を考えたことの無いバカがとった行動は「教育という名の暴力」だった
弟がやることなすこと全てに注意をし、悪いことをした時にはこんなはずじゃないのにと教育をしているつもりの自分に対しての憤りや色んな感情をまだ自分が何をしているか分からないまま弟に殴ることでぶつけた。
後で弟の痣を見た時は絶望した。
だが俺はこれを中学卒業「弟は小学生2年生」になるまで続けていた。俺は教育されたから今やってはダメなことといいことを認識できている 教育について俺は母にされたことをやれば弟も自分のように家庭については気にならないし、親に憤りも感じない性格になると…
あれ以来俺は高校に行くのに近い父親の実家に弟を置いて引越し、弟は自分が欲しいものがあっても俺に言えない言えても怖がりながら、俺に殴られないように怯えながら「にいにい、〜いい?」とそれを聞く度、思い出す度、何をしているんだ俺は…と胸が裂けるような思いになる。
馬鹿な俺は今でもこう思う
もしかしたら母からしたら俺たちを思うあまり、今での分を埋めたいがために自分のような過ちをさせないために悪いことをしたら叱ったり、叩いたりとそのことだけで頭がいっぱいだったのだろう、だから仕方がないと。
人によって感じ方が違うことに気づかなかった俺が悪いと、弟が悪いことをしたからと自分の不便さや負の感情を無意識に一緒にぶつけていた事 大好きな弟に頼られるではなく怖がられていたこと
悔やんでも悔やみきれません…
あなたはちゃんと「教育していますか?」
終わり
最後まで見て頂き、有難うございます!
アドバイス等ありましたら、ぜひコメントしてください!