◆嗚咽
半ば強引に盟約の証を刻印づけられたナタリーは、少々鬱状態に入っていた。
朝から晩まで部屋に閉じこもり、食事もとらずにただベッドに沈みこんでいる。
とうとう本当にエリクソンの‘モノ’になってしまったということが彼女の精神を弱めていた。
(あたしは一生エリクに血を与えるためだけに生きるのね。これじゃ、家畜同然だわ)
これまでも彼に、お前はただの食事だなんだと言われてきたが、人間として負けたくないというプライドを支えに対抗してきた。
種族自体に差がありすぎて、力の差は目にみえている。バンパイアと人間=捕食する者とされるもの。それでも盟約は互いのリスクとコストを考慮した上での同意だった。だからナタリーは、対等な立場での盟約なのだと考えていた。
だが、冷静に考えてみれば対等でも何でもなかった。血を一生彼に与える代わりに、下級バンパイアから命を守ってもらう。それが契約内容。でも、将来的に長い目で見て考えたらこちらの方が圧倒的に不利だ。
最近発生し、世間を騒がせている下級バンパイア。その存在は今現在は騒がれているが、同時にそれらを討伐する上級のバンパイアが現れた。その一人がエリクソン。今も何処かで奴らを始末しにあちこち飛び回ってると思われる。
そのおかげで契約どおり、一度襲われた時のあるナタリーは以前と変わらぬ平和な生活を過ごすことができている。
ここまではいい。
下級バンパイアが早く人間界から姿を消してくれれば世界中の人間は恐怖しなくて済むことができるのだ。
あとは用が済んだ上級のバンパイアも魔界に帰ってくれればいい。
……エリクも……
だが、それは叶わない。何故なら盟約は、ナタリーがエリクソンに‘一生’血を捧げるというものだからだ。
人間である自分には分からないが、エリクソンはナタリーの血液は極上だと言っていた。
彼の友人のツバイも、ナタリーを見て美味しそうだと言っている。
そんな褒め言葉はちっともナタリーの心を暖かいものにしてはくれず、逆に彼らに喰われるという恐怖で北極の氷の如く凍りつかせるものであった。
それが余計、エリクソンを自分に執着させる要因となってしまうのだ。
目の前に美味い餌が無防備に転がっていて喰わない人間がいるだろうか。
ナタリーは彼にとって正にそれなのだ。
もしエリクソンがナタリーを諦めるとすれば、それは彼女より美味い血液をもった人間が現れた時だろう。そうすれば彼はナタリーに飽きて、そちらに心変わりするはずである。
だが、不本意ながら現在はナタリーが1番になっている。捕食される側としては心から喜べる数字ではなかった。
「…はぁ…」
ナタリーは枕から顔をあげ息を吐いた。
丸一日そのことだけを考えていたが、いつまでもそうして落ち込んでいる場合じゃない。自分の意思で彼とそういう約束をしたのだ。取り消してほしいなんてもう言えない。
ナタリーは首の左側につけられた赤い刻印に軽く触れる。
初めこそつけられた痛みでズキズキ疼いていたが、一日たった今はすっかり肌に馴染んでしまって一切痛みを感じなくなった。
それが余計にナタリーの心を悲しみの海に沈めてしまう。
耐えきれず、少女の溢れる思いが透明な雫となって頬を伝う。
薄暗い部屋に小さな嗚咽が響きわたった。
よほど耳を凝らさないと聞こえないほどの嗚咽が、部屋の外にいるエリクソンには届いていた。
彼は今、ナタリーの部屋の前にいる。壁に寄り掛かり、腕を組みながら二人を隔てる薄い扉一枚を通してそれを聞いていたのだ。
昼間はバンパイアの気配を辿り本来の役割を果たしていたのだが、力を使うとどうにも腹が空いて仕方がない。
下級バンパイアを倒すのは容易だが、ナタリーに刻印づけた時に力を大幅に使ったため、力が激減していたのだ。
そこで夜になり、家に戻ってきたところなので彼女の部屋を訪ねようとしていた所だったのである。
いつものように乱暴に扉を開け、突入しようとドアノブに手をかけたが、瞬時にそれをやめた。
扉に耳をあてると、かすかだが声を押し殺して泣く彼女の声が聞こえてきたのだ。
普段、ナタリーは泣くということはしない。エリクソンが見てきた彼女は、怒るか不貞腐れた顔くらいしか見た時がない。笑っても彼女が親友のカトレアといる時だけだ。普段あまり弱みを見せない彼女の嗚咽に、エリクソンは一瞬戸惑った。
(チッ……あの女が泣いていようが知ったことか)
エリクソンは再びドアノブに手をかけた。
が……。
身体が扉を開こうとしない。
何故か動こうとしない。
身体は血液を欲しているというのに。
エリクソンは苛立ち、扉からスッと一歩下がった。
そのまま壁に寄り掛かり、静かに彼女の嗚咽が聞こえなくなるのを待つ。
(俺はなにやってんだ…)
彼女の部屋の前で立ち往生してる自分がよく分からない。
「……」
待っていたって仕方がない。どうせ彼女が出てきても前回の吸血から日も経っていないから、彼女から血液を頂くにしても足りないに決まっている。
エリクソンは馬鹿馬鹿しくなってようやくその場から離れた。
帰ってきてからずっと空腹である。
ナタリーの血液を頂戴できないのならと、他をあたることにした。
とはいえ、正体を明かし吸血しても支障のない人間を探さなくてはならない。
村の人間は自分の顔を知っている者がちらほらいる。しかもナタリーの恋人としてだ。
正体がバレて厄介なことになっては困る。村の中では自分は彼女の恋人役を演じなくてはならないのだ。
(村の人間が駄目ならどうすっかな……)
男から吸血するのは気が引けるし、女から吸血するにしてもそれなりに美味い血液をもった人間じゃなければ食欲が失せる。
短時間でそんな人間を探すのは無理な話しだった。
「……ぁ」
思い当たる節はないかと頭をフル回転させると、すぐに思い付いた。
「あいつがいるじゃねぇか」
それなりに血液が美味で、しかも美しい女。
エリクソンは家を出ると、暗がりの中、村を囲うように生い茂る森の中へと姿を消した。




