◆名はエリクソン
前回のすぐ続きになります。
柔らかい日射しがさしこんでくる穏やかな朝。布団にもそもそとくるまって夢心地にひたっていると、下から何やら騒がしい音がする。
せっかくもう一眠りしようと、うとうとしていた所なのに非常に耳障りである。すると物音はどんどん大きくなってきて、部屋の扉が壊れるんじゃないかと思うくらいの勢いで開いた。
「おいっ!!ナタリー、お前飯食え!いつまで寝てんだ」
綺麗な顔をした黒髪の青年が入ってきた。
そう、彼はナタリーの使用人…
「早く飯食って血液増やせ。俺の食事がかかってるんだぞ!」
…ではなく、最近居候しはじめたバンパイアである。名前はまだ知らない。
ナタリーは布団にくるまったままゆっくり身を起こした。
「ちょっと…、いきなり女性の部屋に入ってくるなんて失礼じゃないっ。着替えるからあっち行っててよ」
布団をすっぽりかぶって身を隠す。
男はそんなナタリーの言うことなど聞かずにツカツカと部屋に入ってくると、布団をナタリーから取り上げた。
「!?やだぁっ」
寝間着姿が露になるのを防ぐように丸くなる。
「誰がお前なんかの寝間着姿見てムラムラするか」
「………。馬鹿っ!変態!」
ナタリーは手元にあった枕で男を二、三度殴ると、かけてあったカーディガンをはおると勢いよく部屋を出た。
失礼なヤツ!いきなり部屋を開けるわ、そのまま中に入ってくるわ、布団ははぎとるわ、デリカシーの無いバンパイア!
ナタリーはリビングの椅子に腰かけると、目の前の料理を口に運んだ。
「なんなのもう!イライラするっ………って…………ぇ…?」
無意識のうちに口に運んでいたが、これは一体誰が作ったのだろう…。
一人暮らしなので食事はいつも自分で作っていたが、今日は起きたばかりで作るどころかキッチンすら立っていない。
「…………」
「あ?なんだ。まだ食ってないのか」
髪を掻きあげながらバンパイアの男が二階から降りてきた。
「…この料理…誰がつくったの…」
男は皮製の椅子にドカッと座ると自分を指差して
「俺」と一言。
「……へ?」
何を言っているのだろうとぽかんとする。
「なにボケッとしてるんだ…。早く食え」
「え…、ぁ…はぃ」
バンパイアが料理したの…?妙な感じだが、さっき
「飯食って血液を増やせ」と言っていたから、おそらくそれのためだろう。
…だけど、わざわざ自分で作って食べさせるんだ…。
変なの。最初から変なバンパイアだけど。夜は眠いって言うし、朝早く起きて朝食は作ってくれてるし…。
チラッと男を盗み見ると目が合った。というより頬杖をつきながらずっとナタリーが食事をしているのを見ているのだ。
「な…何?見られてると食べづらいんだけど…」
「早く血が欲しいと思って」
ガクッとする。結局この男は血のことしか考えてないんだ。
別に違う答えを期待していたわけではないのだが。
「…このスープおいしい…何入れたの?」
会話無しでは気まずいので料理の感想を言ってみる。
「それは魔…」
魔…といいかけて男は口ごもった。
魔…………………?魔って何…?なんか嫌な予感がするんですけど。
何か怪しいもの入れてるんじゃ…?ピタッと口に運んでいた手を休める。
「食えるもの以外は入れてない。だから早く食え」
自分の失言に動きをとめたナタリーに食事を再開するよう急き立てる。
ナタリーは怪しい…と思いつつも、見た目も味も一見普通に見えるので、残さずに食べた。
「ねぇ…」
リビングの真ん中で抱き合う二人。
「あんだよ…」
ナタリーの首筋から少し唇をはなして彼女を見る。
「…私の血って美味しいの?」
なんだそんなことかと男はまた首筋に顔を埋めるとブツリ…とナタリーの肌を貫いた。
「……っ…」
ズキズキと鈍い痛みが首に広がって苦しそうな声が漏れる。
これからずっとこんな生活が続くのだろうか…。
ナタリーは天井を見上げた。
部屋中にバンパイアが血をすする音だけが響く。
ゴクリ………
……ゴクリ………
と喉を鳴らして飲みほす音。視線を落としてみると、男が切なげな表情で首筋に顔を埋めてる。
ナタリーはその顔にどこか色っぽさを感じてドキリとしてしまった。
綺麗な顔…。透き通るような肌に黒髪が映える。
男はやっとナタリーの首筋から顔を離すと、唇についた血液をペロリと舐めとった。
ナタリーは、吸血行為が終わったのを確認するとすぐに止血の処置をした。また血を奪われたせいか頭がはっきりしない感じがする。
少々よろめきながらトサッと皮製の椅子に腰かけると目を閉じた。
意識がぼんやりとして、このまま眠れそうな倦怠感がある。
「お前の血、旨かった」
男がぼそりと呟いた。
ナタリーは少し目を見開いて
「良かったね…」と力なく答えた。
「眠いのか?」
血を飲んで満足したのか優しく問いかけてくる。
「うん…」
コクコクとゆっくり頭を上下させて頷く。
このまま寝ちゃおう。再び目を閉じて寝息をたてようとした時、コンコンと扉を叩く音がした。
ナタリーは重たい瞼を開けると体を起こして来客の応対しようした。ところが体を起こそうとした時に、男に制止されてまた椅子に座らされてしまった。
代わりに出てくれるのだろうか。有難いが彼の姿を見られるのは厄介だった。まず見られたら彼とナタリーの関係が問われるだろう。名前も知らない相手なのに。わかっているのは彼は人間じゃないこと。それだけだ。しかし、倦怠感で体を動かすのが億劫だ。
もうどうでもいいや、と思っていると扉がガチャと開いて、女の叫び声が聞こえてきた。
「きゃーーー!!あなたは黒髪の王子様!?なんでここにっ!?」
甲高い女の声。
カトレアだ。
黒髪の王子って…。バンパイアのこと?ダメよカトレア、そんなやつに恋しちゃ。その男人間じゃないんだから。
「アンタ、誰」
無愛想な声。
「初めまして、私カトレアですぅ。ナタリーの友達の!黒髪の王子はなんでナタリーの家に?もしかしてナタリーの知り合いですかぁ?」
どこか可愛こぶりっこな態度で男にアプローチをかけてる。
カトレア、お願いだからそいつだけはやめなさい!
と言いたいが力が抜けたようにぼーっとして動けない。
「あ?俺はナタリーの………………」
言葉に詰まる。なんて言ったら都合のいい関係になる?
「ナタリーの…何?言いづらいこと?まさか恋人…とか?」
「!そう、それ」
は!?
何言ってんのこの男は!ただ単に思い付かなかっただけでしょ。
「えぇぇぇーー!!!!!ナタリーの恋人!?嘘ー!!」
嘘よカトレア。信じないで。
「い…いつから?」
「昨日から。もう同棲中」
違うのカトレア…ただの居候よ。しかも人間じゃないんだから。
「同棲!?いつの間に!!………そんなー…私黒髪の王子のこと狙ってたのにー。でも、親友の恋人だったんじゃ仕方ないわね。友達として応援してあげなきゃ。あの、ナタリーいます?」
「いるのはいるが、ナタリーはちょうど寝るところだ」
「寝るって今お昼ですけど?…もしかして具合悪いんじゃ…ナタリー!」
バンパイアの男を押し退けて部屋に駆け込む。入ってすぐにナタリーの姿が見えて、おでこに手を当てた。
「ナタリー大丈夫!?具合悪いの?」
「……………ぅぅん。眠い」
ナタリーが欠伸をしたのを見てホッと胸を撫でおろす。
「なぁんだ。眠いだけなのね?良かった。ナタリーは一人暮らしで無理しちゃうところあるから気をつけるのよ?でも、恋人と住むようになったから前よりは安心ね」
実際は逆なんだけど…、カトレアが気遣ってくれてるのは嬉しいので
「うん」と頷いた。
「ナタリー、椅子で寝たら疲れちゃうわ。寝室で寝ましょ?……ってあら……寝ちゃった」
スヤスヤと安らかな寝息をたてはじめたナタリーを見て、カトレア曰く黒髪の王子に向き直ると、
「ナタリーを二階に運んで下さい」
と言った。
バンパイアの男は面倒くさそうにしながらも、恋人と答えてしまったので仕方なくナタリーを抱き上げて寝室へと運んだ。
「ナタリー羨ましいわぁ…。黒髪の王子様にお姫様だっこされてるぅ」
ナタリーを軽々と抱き上げて運ぶ男の後ろ姿を見やりながらカトレアが羨んだ。
「あの、ナタリーを幸せにしてあげて下さいね!じゃあまた」
男の後ろ姿に一言そう言うと、カトレアはライアード家を出ていった。
それをみて男は安心したような疲れたような溜め息をつくと、ナタリーをベッドに寝かせた。
思えば自分が人間の世話をしているなどおかしな話である。
「俺、何しにきたんだっけな…」
頭をポリポリ掻いてると背後から声がした。
「何しにって忘れないでくれよエリクソン」
振り返るとそこには、男と同じ赤目を持った銀髪の青年が立っていた。
「ツバイ?なんでお前がここに?」
「その台詞そっくりそのまま返すよ。君が人間の家になんでいるの。エリクソン、君は元々あの下等生物を排除するために来たんでしょ。こんなところ用はないはずだよ?」
「あぁ…そういえばそうだったな」
「全く…全然アレの数が減ってないからおかしいと思ったよ。君程のバンパイアならあんなヤツら一掃できるでしょ。こんなところで油売ってないで僕と行こう?」
本来の目的を忘れてもらっちゃ困るとツバイは呆れ顔で外へ出ようとするが、バンパイアの男…エリクソンは動く気配がない。
「どうしたのエリクソン?行くよ」
「………いや、ここで寝てる女の血を一生もらうと盟約を交したんだ。だからな…」
「ふーん…?」かなり旨い血、に反応してツバイが眠ってるナタリーに近づいていく。
「…確かに美味しそうだね。味見したくなるよ」
ツバイの瞳が妖しく光り、ナタリーの白い首筋を捕える。
そのまま吸い込まれるように顔を近づけて牙で貫こうとした瞬間…
ゴスッ
鈍い音がしてツバイの後頭部に痛みが広がっていく。
「ぃ………った……何?なんで殴んの……?」
エリクソンが拳を高々とあげて二回目の攻撃体制に入っている。
「それは俺の獲物だ。手ぇ出すな」
威圧的に上から見下ろしてくるエリクソンが妙に陰っていて怖い。
「ごめんっ…!悪かったよエリクソン!つい味見したくなって。」
エリクソンが独占したくなるほどこの女の血は美味しいのだろうか。ツバイはますますナタリーの血に興味を持った。
「…ん〜…、バンパイアが目の前にこんな美味しそうなの見つけたら確かに動きたくはなくなるよね。でもさ、たまには仕事してよ?アイツら弱いくせに数は半端ないから僕たちの餌になる人間がどんどん消えていっちゃうかも知れないしね」
「分かってる。しかし面倒だ。出来損ないバンパイアのアレの処分を俺たちがしなくちゃならないなんてな」
「出来損ないのバンパイア…???」
突然の女の声。
エリクソン、ツバイは一斉にナタリーを見た。
「あらら〜…お嬢さんはお目覚めみたいだね。どこから話聞いてたのかな?」
見しらぬ人物の登場に布団で半分顔を隠す。
「…誰…?」
「僕はツバイ。エリクソンと同じバンパイア」
「エリクソン…?エリクソンて……」
チラッと男のほうを見る。
「あ?俺の名前だ。悪いか」
フイッとナタリーから視線をそらす。
別に悪いとか悪くないとかないんだけど…。
「あのねー、エリクソンは照れ屋だから名前はなかなか教えてくれないんだよ。初対面の時教えてくれなかっでしょ」
そういえばそうかも。人間嫌いだから教えたくなかったのかとも思ったが、照れ屋…と言われればそうなのかもしれないとナタリーは思った。
「あと君の名前は…」
「ナタリーです」
ベッドから身を起こすとツバイに簡単に自己紹介した。
「ナタリーね、よろしく。あ、さっきの話だけど出来損ないのバンパイアは世間を騒がしてるやつらのことだよ。俺たちはね、そいつらを排除するためにきたわけ。だってアイツら俺たちの大事な食糧をどんどん殺しちゃうからね。ま、でも君は大丈夫みたいだよ?エリクソンが君のそばにいたいみたいだし、いざとなったら守ってくれるよ」
え?
エリクソンが私のそばにいたい?
「おい、誤解を招くような言い方するな。俺がこの女に惚れたみたいだろう。ただの餌だ餌」
餌…。そうね、私はただ血をあげるために生かされたようなものだもの。「はいはい分かってるよエリクソン。じゃ、僕はそろそろいくね。エリクソンも本当に仕事してよ?じゃあね」
ツバイは寝室の窓から身を乗り出すとそのまま飛び降りてしまった。
「きゃあ!?」
「…アイツも人間じゃないんだ。飛び降りたところで別に死にやしない」
エリクソンが落ち着いた声で説明する。
それにしても心臓に悪いとナタリーは思った。
エリクソンはツバイもいなくなり、ナタリーの部屋を出ていこうと扉に向かって歩き出した。あわててナタリーが声をかける。
「待って!あのね…」
エリクソンが立ち止まる。
「エリクソン……。エリクって呼んでいい…?」
それはなんでもない、ささやかなお願い。
ただ、名前を教えようとしてくれなかった彼には言いづらくて、ナタリーはおずおずと尋ねた。
「……………。……………好きにしろ」
エリクソンはナタリーを振り向きもせずにそういいはなつと、部屋を後にした。