逃げる時は整然と
フォルツ軍動く。その報は、私達タルニト軍。いやタルニト国にとって僥倖と言って良かった。
この事態は必ずハッパス大将の耳に入る。ハッパス大将率いるサラント軍三万は現在我がタルニト領内を侵攻中だ。
フォルツ国がサラント国の国境を破れば、必ずハッパス大将は軍を引き返す。いや。ハッパス大将は最初からそのつもりだったのだ。
まだタルニトの王都が陥落したとの情報は入っていない。これで王都は。タルニト国は救われる!!
「気を緩めるなよ!こうなった以上、俺達タルニト軍が侵攻している事をハッパスに知られないと意味が無い!」
すっかり気を緩めていた私を叱りつけるように、ロンティーヌが厳しい声を上げる。そ、そうだわ!
ハッパス大将はフォルツ軍がサラント国の王都に攻める日数を計算して軍を引き返す。つまり、その日数分だけサラント軍はタルニト領内にいると言う事だ。
今すぐサラント軍に撤退して貰う為に、私達がサラント領内にいる事を知ってもらわないと!
「いいか!全軍をもって城に押し寄せるぞ!但しこれは擬態だ。攻める振りをするだけでいい!敵の弓矢や魔法攻撃の射程に入るなよ
!!」
ロンティーヌが指示を出すと、パッパラ以下タルニト軍四千はサラントの城に猛然と迫った。
タルニト軍に気付いた城壁の門番は、慌てて敵襲の銅鑼を鳴らす。サラント軍はその練度の高さを伺わせるように、素早く攻撃準備を整えた。
私達は射程外と分かっていて弓矢を放つ。弓矢は城壁に届かず力尽きるように落下して行った。
パッパラやスカーズが中心となって雄叫びを上げ、その迫力たるや攻める気満々だと万人に感じさせた。
その時、城壁から飛び立つ人影が二つ見えた。風の呪文で飛び立つ魔術士と思われた。一人はサラントの王都へ。もう一人はハッパス大将の元へ向かったのだろう。
「ようし!目的は達成した!全軍とっとと逃げるぞ!!」
ロンティーヌが号令し、タルニト軍は全軍反転し逃走を開始した。もうサラント国領内に留める必要は何一つ無かった。
私達は最初に無血で落とした砦に残してきた、タルニト兵達三百人と合流し、来た道をひたすら戻る。
五日後、私達タルニト軍はサラント領内から脱し、自国に戻る事が出来た。
「安心している暇は無いぞ!まだ北にウラフ軍団が残っている!このまま北上するぞ!!」
ロンティーヌが兵士達に激を飛ばす。ある兵士に言わせると、ロンティーヌは作家では無く。臨時参謀でも無く。ただの鬼軍曹らしい。
「今度の相手は武装勢力だ。まさか連中にも不戦の誓いとやらを持ち出す気じゃないだろうな?」
ロンティーヌは据わった両眼で私を睨む。も、勿論よ。不戦の誓いはあくまでサラント国とセンブルク国に対して。
野党や盗賊に容赦する気なんて最初から無いわ。
私達は北上すると共に、領内の被害状況の情報収集に全力を尽くした。私達がサラント領内に侵入していた間、ハッパス大将はどれ程の損害を我がタルニト国に与えたのか。
「······被害がまったく無い?」
私は報告を受け耳を疑った。被害が無いとはどう言う事なのか。ハッパス大将はどこで何をしていたのか?
情報を集めると、その理由が明らかになった。何とハッパス大将は、サラントとタルニトの国境付近にずっと留まっていたらしい。
「······ハッパスは最初からフォルツ国の出兵が狙いだったと言う訳だ。小国のタルニトなど眼中に無かったようだな」
ロンティーヌは不機嫌な顔でそう言った。た、確かに国境付近からなら最短で自国に戻れる。
でも、当初ハッパス大将はタルニト領内でセンブルクと武力衝突した自国の駐留軍の救援に向かう。それが私達に通達して来た内容だった筈だ。
「ハッパスはタルニトに駐留している兵士達を見捨てたって事さ。全てはフォルツ軍を誘い出し討つ為だ。女王。アンタにハッパスと同じ真似が出来るか?」
······ロンティーヌの問いに、私は黙り込んでしまった。多数を救う為に少数を切り捨てる。君主はそう決断しなくてはならない時がある。
著者にそう書いたロンティーヌ本人に言われて改めて思った。私にはそんな決断は出来ないだろう。
やはり私には王たる資格は無いのだろうか。以前メフィスにも私は王失格だと言われた事があった。
私は邪念を振り払うように頭を振った。今はそれどころでは無いのだ。西と東の難事を食い止めた。
あとは北のウラフ軍団を止めるだけ。幸いウラフ軍団はまだ北の国境から侵入していなかった。
「ウラフも当然情報は集めている。センブルクとサラントの動きが鈍い為に慎重になっているのだろう」
ロンティーヌはそう分析した。ウラフは元々メフィスを名指して報復に来襲してきた。タルニト領内で起きたサラントとセンブルクの駐留軍の衝突が拡大し、両大国同士がタルニト領内で本格的に争うのを待っていた。
タルニト国がそれで大混乱に陥った時こそ、ウラフが攻め入る好機だったのだ。だが、ウラフの思惑とは異なり、両大国の衝突は起きなかった。
ウラフの焦燥と苛立ちが手に取るように予想出来た。
「ロンティーヌ。このままウラフが撤退する事はあるかしら?」
報復すべきタルニト国に混乱が生じなければ、ウラフが諦める選択肢を選ばないだろうか?
「可能性は低いな。ウラフ本人がそうしたくとも部下達が納得しないだろう。所詮連中は野党の群れだ。略奪の成果も無く引き下がらないだろうさ」
ロンティーヌがそう言うと、臨時参謀の一番弟子になり仰せたルルラが質問する。
「ではロンティーヌさん。ウラフは北の国境近くの村々を略奪して撤退するでしょうか?」
「あり得る事だな。だから俺達は急いでいるのさ」
北の国境付近の村々には既に避難命令を出していた。ウラフがタルニト領内に侵入しても、略奪する物は残っでいない。
更にウラフが南下すれば、我がタルニト軍の砦が待ち構えている。その砦を死守すれば、ウラフ軍団から無辜の民を守れる。
だが、逆を言えばその砦が落とされれば、その先はウラフ軍団の思うままに略奪されてしまう。
私達にとっても、ウラフ軍団にとっても、その砦が最大の勝負の分かれ道だった。その時、北の国境付近から宮廷魔術士が帰還して来た。
「申し上げます!ウラフ軍団が動き始めました!国境を破り、我がタルニト領内へ侵入を開始した模様です!」
ついにウラフ軍団が行動を取った。変わらぬ情勢に痺れを切らしたのか。とにかくウラフ軍団より先に砦に向かわなければならない。
砦には百人弱しか兵力を配置していない。ウラフ軍団に攻められてたらひとたまりもない。
そして、再び空から人影が降り立って来た。
「も、申し上げます!ウラフ軍団の他に戦旗を確認致しました!それも複数です!」
他の宮廷魔術士が更に驚愕の報告を重ねる。
「戦旗は他の武装勢力です!その数総勢二万五千!!大挙して南下をしております!」
報告を受けた私は、身体の力が抜けて行く事を感じた。それは、余りに絶望的な報告だった。




