サラント国の名将
タルニト軍四千五百は夕暮れ時に砦を出発した。軟禁した両大国の駐留軍兵士の監視、ナニエルの薬草調達の為に、砦には五百人の兵士を残した。
ここ迄の日数の経過はロンティーヌの予定通りだった。私達は残り五日で東のサラント国との国境まで辿り着く。
そうすれば、サラント国が今出兵準備をしている本軍に対処出来る。
······対処。私はその言葉に気持ちが重くなった。サラント軍を率いるのはハッパス大将と思われた。
あの三カ国軍事演習の際、突然襲来したウラフ軍団を殲滅した人だ。あの時はハッパス大将が救いの神と思えたが、今回はその救いの神と戦わなくてはならないのだ。
「ハッパス大将は名将だ。その名将が率いる三万に対してこちらは五千弱。どう逆立ちしても勝てる訳がない」
ロンティーヌが行軍途中に開かれる軍議でそう断言した。い、いや。そんな自信満々で負けを宣言されても。
情報によると、ハッパス大将はこの年四十五歳。五年前まではサラント軍が誇る千騎長だったが、多くの戦功を立て大将まで栄達した。
「ではロンティーヌ殿。我等は玉砕する為に国境に向かっているのですか?」
食事の最中に開かれた軍議だった為、ライツ隊長はワイングラス片手に臨時参謀に質問する。
「玉砕などするか。だが女王以下、皆には相当の覚悟をして貰うぞ。俺の策はこうだ」
ロンティーヌはライ麦パンを片手で噛み切り、地図を指差し説明を始めた。サラント軍三万が東からタルニト領内に侵入したのを確認した後、私達は南に迂回して、反時計回りにサラント領内に入る。
そこからなんと、サラント国王都を目指すとロンティーヌは言い放った。お、王都を攻め落とす!?う、嘘でしょう?
「ハッパス大将率いる主力三万が出撃すれば、サラントの王都は空だ。地図を見てくれ。南の迂回ルートから王都まで、城と砦が三つある。この三つさえ落とせば王都は目の前だ」
ロンティーヌは地図にあるサラント国、王都の場所を指さした。
「······ロンティーヌ殿は、どこに決着点を考えているんッスか?」
先の決闘で、別人のように腫れ上がった顔をしかめ、スカーズが質問する。
「いい質問だ。俺はサラントの王都を占領する事に固執してはいない。タルニト軍が王都に迫っている。それをハッパス大将に理解させればいいのさ」
ロンティーヌは説明を続ける。王都の危機に、ハッパス大将は急いで軍を引き返す。私達はハッパス大将が戻って来る前に、来た道を引き返してタルニトに戻る。
ハッパス大将は私達タルニト軍の大胆な行動に警戒し、大規模な兵力を動かす事に躊躇する。
そしてその時間を利用し、私達は北のウラフ軍団を討つ為に移動する。な、なる程。ハッパス大将に自国に留まって貰う為の作戦なのね。
「······ロンティーヌ殿。サラント軍がタルニト領内に侵入したら、タルニトの王都を含め街や村はどうなるッスか?」
パッパラは三人前の量の昼食を平らげ、食後の紅茶を飲みながらロンティーヌに問う。
「相当な覚悟がいると言っただろう。タルニト軍全軍が出払っているんだ。下手をすれば、いや確実に王都も落とされるだろうよ」
お、王都が落とされる?街や村も?私の頭の中で、王都に残っているメフィスやタインシュの顔が浮かんだ。
「そ、そんなの駄目よ!王都や街や村の住民達はどうなるの!?」
私はナプキンを放り投げる勢いで席から立ち上がり、ロンティーヌの作戦に抗議する。
「ならサラント軍三万と正面からぶつかり玉砕するか?ハッパスに破れれば結果は同じ事だろう?」
ロンティーヌは苦々しく返答する。それはまるで、出来の悪い生徒に辟易している様だった。
「いい加減に覚悟を決めろ!俺達は土台無茶な条件下で戦いを強いられているんだ。小細工を弄さないと大国に対抗出来んし、犠牲も避けられないんだよ!!」
······ロンティーヌの言う事は最もだ。私達にはまだ北にウラフ軍団がいる。タルニト軍に大きな損害を出さず、尚かつサラント軍を撤退させるには、ロンティーヌの策しか無かった。
「······ロンティーヌさん。サラント国は北東に国境を面しているフォルツ国と深刻な緊張状態にあります。その中で、ハッパス大将が主力を持って我がタルニトへ出兵してくるでしょうか?」
沈黙が流れた軍議室で、ルルラがロンティーヌに重要な質問をした。臨時参謀は生徒を値踏みするように無遠慮な視線を向ける。
「······着眼点は悪くないぞ。ルルラ。だがハッパスの心理をもっと良く考えろ。ハッパスの目的はなんだ?タルニト領内にいる自国の駐留軍を救う事か?ついでにタルニトの王都を占領する事か?」
ロンティーヌの問いに、ルルラは汗を流しながら考える。
「······まさか!ハッパス大将の本当の狙いはフォルツ国!?」
ルルラの答えに、私達は驚愕する。ただ一人ロンティーヌだけが表情を変えなかった。
「そうだルルラ。ハッパスのタルニト国侵攻は陽動だ。フォルツ国をおびき寄せる為のな」
ロンティーヌは生徒の答えに及第点を言い渡すように大きく頷いた。ハッパス大将はタルニト軍を蹴散らし、王都を陥落させる。
サラント軍主力が本国から出撃している事を察知したフォルツ国は、必ずその隙を狙ってサラント国へ侵攻する。
それこそハッパスの狙いだとロンティーヌは言う。ハッパスは軍を取って返し、フォルツ軍をサラント領内で迎え撃つ。
戦いの大義名分と地の利はサラント軍にあり、恐らくフォルツ軍は苦戦すると臨時参謀は予測した。
······それが本当なら、ハッパス大将にとって私達タルニト国など陽動の為のオマケ程度の存在なのだ。
「サラント軍は、フォルツ国との国境に一万の兵力を置いてある。フォルツ軍はこの一万の軍を突破すれば、後は空のサラント国王都が待っている。この誘惑には勝てんだろうさ」
ロンティーヌはパンを握った手で地図を指し示す。それなら私達はただ黙ってサラント国とフォルツ国の成り行きを見守れば良かったが、それは時間があればの話だった。
北のウラフ軍団がいつ動くか分からない以上、やはりハッパス大将率いるサラント軍には私達の陽動で王都に戻って貰わないと駄目なのだ。
「もう一度言うぞ。覚悟を決めろ」
ロンティーヌの言葉は、私に向けられていた。タルニト国の不戦の国是は、風前の灯となろうとしていた。




