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十歳の少年

 兵士達の熱気の渦の中で、マケンドお兄様は馬に騎乗した。そこにメフィスが歩み寄る。


「マケンド王子。戦地からお戻りなられた際は心身共にお疲れでしょう。是非私の推奨する超高級娼館で気分転換を図って下さい」


 おい破廉恥宰相!!今いい所なの!!お兄様がやる気と勇気を出して格好良く出陣する所なの!!


 それを台無しにする気かお前は!だが私の怒りも虚しく、お兄様はメフィスが見せる超高級娼館のチラシを食い入るように見ていた。


「これは特別優待券です。超特別な接待を受ける事が出来ます。是非お持ち下さい」


 いい加減にしなさいよこの傾国宰相!!大事な出陣ってこの時に、お兄様がそんな物を受け取る筈が······


 お兄様はその超特別優待券をメフィスから素早く受け取り、そそくさと懐にしまった。


 受け取ったあああっ!!この男娼好きの馬鹿兄が悪魔の優待券を!!さっ、最低!!メフィスもマケンドお兄様も最低よ!!


 メフィスは用が済んだとばかりに兵士達の出陣も見送らず王宮の中に戻って行った。私は意を決し、そのメフィスの後を追う。


「マケンドお兄様!直ぐに追いつくわ。先に行っていて下さい!」


 マケンドお兄様は頷き、先頭に立ち軍を誘導して行く。出陣する前に、私にはどうしてもやらなければならない事があった。


 それはメフィスに宣言しておく事だった。亡くなったお父様の遺言がどうあれ、私はメフィスが王位につく事を認めない。


 それを許したら、メフィスにこのタルニト国は破壊されてしまう。メフィスは自分と母親を見捨てたお父様に復讐しようとしている。


 それはつまり、お父様が守ったこの国を滅ぼす事だ。それだけはさせてはならない。例え国が分裂する事となっても。


 私の予想通り、メフィスは玉座の前に佇んでいた。メフィスのその背中から感じられるのは悪意。そして孤独だった。


「玉座を物欲しそうに眺めているわね。そんなにそこに座りたいの?」


 私の言葉に、メフィスは振り返る。そして玉座に右手を添える。


「欲しがる必要はないさ。後半月で労せず私の物となる······いや。違うな」


 メフィスの細い両目に、どこか憂いの影が落ちたように見えた。


「アーテリア。君の言う通りだ。私はこの玉座をずっと欲していた。何故なら、ここに座る事が私の復讐の一つの到達点だからだ」


 メフィスの重く暗い言葉に、私は嫌な予感しかしなかった。


「······そしてそこから本当の復讐が始まる。あの男が守ってきたこの国をズタズタに引き裂いてやるのさ」


 メフィスは玉座を掴み、口の端を釣り上げる。私は用意した台詞を言う時だと判断する。


 その時、メフィスに異変が生じた。吐血すると同時に、黒髪がみるみる内に白髪に変わって行く。


「······メ、メフィス?」


 私は言うべき言葉が吹き飛んだ。またあの発作だ。あのメフィスの人格が一変する発作。


「······アーテリア。白髪の私は、黒髪メフィスの良心の一部だ」


 口元の血を拭いながら、白髪メフィスは驚くべき発言をする。りょ、良心の一部!?


「私は十歳の時、母親を亡くした。それからの私は絶望と孤独の日々を送った。私は正気を保つ為に、自分の全てを復讐の色で染め上げた」


 メフィスはお父様に似た優しい眼差しで、私を苦しそうに見る。


「白髪の私。つまりメフィスの良心は長い間表に出る事は無かった。だが、君の父マケンド。そしてアーテリア。君達に会ってから、白髪の私は時々表に出るようになった」


 ······時々?それは何か意味があるの?


「······恐らくだが、孤独の人生を歩んだメフィスが母以外の肉親に初めて会った事によって、眠っていた良心が僅かに目覚めたのだろう」


 メ、メフィスの良心が目覚めた?白髪メフィスがそこ迄言うと、再び白髪が黒髪に変化してきた。


「アーテリア!!白髪の私。メフィスの良心は間もなく消えて無くなる。黒髪メフィスの復讐心が余りに強いからだ!黒髪メフィスは必ずこのタルニト国に災いをもたらす。必ず、必ずメフィスを排除するんだ!!」


 ······それが、白髪メフィスの最後の言葉となった。黒髪に戻ったメフィスは、鋭く悪意に満ちた目で私を見る。


「······もう遅い。何もかもだ。私はやり遂げるぞアーテリア!このタルニトを壊してやるんだ!!」


 私はメフィスに一歩ずつ近づいていた。この男に何を言うんだっけ?ああ。そうだわ。お前に王位は渡さない。どんな事をしてもお前を追放する。


 ······この国を滅ぼそうとしている男の前に私は立った。何故か私の口は開かず、自分の意思と反して両腕が動いた。


 私は両腕を伸ばし、メフィスの頭の後ろに回した。そしてメフィスの頭を自分の胸に引き寄せる。


「······ごめんね。ずっと独りにして。寂しかったでしょう?辛かったでしょう?」


 ······あれ?私何を言っているのかしら。この悪魔みたいな奴に、ちゃんと言わなきゃいけない事があるのに。


 私の腕に勝手に力が入り、メフィスの頭を抱きしめる。


「······でも。もう独りじゃないわ。マケンドお兄様も。私もいる。これからは独りじゃないわ。ずっと私達が側にいるから」


 ······気づいた時、私は涙を流していた。そうか。私は語りかけていたのだ。この国を滅ぼそうとしている目の前の男にでは無い。


 母親を亡くし、悲しみと絶望に打ちひしがれる十歳の少年に。私は語りかけていた。私の両手首を誰かが掴んだ。


 メフィスは乱暴に私の両腕を振りほどいた。その時、メフィスの表情を見て私は驚いた。メフィスは何かに怯えたような顔をしていたのだ。


「止めろっ!!私に同情などするな!!そんなものを私は望んでいない!!」


 メフィスは髪を振り乱し、怯えた両目で私を見ていた。一度俯くと、踵を返し王の間から立ち去って行った。


 ······一人残った私は玉座を見た。人を狂わす権力の象徴。その存在理由を玉座は何も語らず、ただそこに佇んでいた。

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