恋心との別離
「勇者ソレット。戦士ゴント。魔法使いハリアス。初めまして。私はタルニト国女王。アーテリアです」
私は心を押し殺し、ひたすら王としての務めを果たそうとした。メフィスが私に近づき耳打ちする。
「女王陛下。勇者達をこのまま王都に留めるよう説得して下さい。ナニエルの恩義を利用し、勇者達の力をタルニトの為に使うのです」
······権力に染まる私の影が、甘い誘惑を囁く。そして同時に、頭の中のもう一人の私も呟く。
『そうよアーテリア。この機に勇者達と縁を深め、このタルニト国を守る鉾になって貰うのよ』
私は質の悪い催眠術にかけられたような気分だった。私は心を強く持ち、ソレット達を見る。
「此度は我がタルニト軍兵士達を救って頂き、厚くお礼を申し上げます。つきましては貴方達の功績に報いたいのですが、何か望みをあるでしょうか?」
私の姿を見たソレットは固まっていたが、暫くすると自失を取り戻した。
「······褒美は不要だ。俺達はそこに立っているナニエルの恩義に報いる為に行動しただけだ」
ソレットの声は暗く沈んでいた。ソレットの返答は予想通りだった。
「······そうですか。聞けば暫く王都に滞在するとか。私に出来る事があれば、何でも仰って下さい」
「一つある」
ソレットの言葉に、何故か私の心臓は止まるのかと思わせる程締め付けられた。
「侍女のアーテリアに伝えて欲しい。俺達はもう王都を去る。世話になったと伝えてくれ」
ソレットはそう言うと、後ろを振り返り歩いて行く。私は玉座から腰が浮き上がりそうになるのを必死に抑えた。
こうして勇者達との謁見は終わった。私は暫くの間、玉座から立ち上がれなかった。ナニエルによると、最悪期を脱したクリスさんの治療は、ナニエルが居なくても可能になったらしい。
メフィスは表情に失望を隠そうとはせず、私を一覧して去って行った。ソレットが居なくなる。もう会えないかもしれない。
そう考えると、心は絶望感に満たされて行った。私は意気消沈して私室に戻る為に廊下を歩いていた。その途中、パッパラとスカーズが大声で私の名を呼んで来た。
「女王陛下!こらから兵士達と打ち上げをやるッス!陛下も良かったら参加しないッスか!?」
パッパラが底抜けな明るさで私を誘って来た。パッパラは弟分のスカーズの頭を叩く。
「女王陛下!このスカーズの野郎、陛下に抱きつかれて完全に陛下に惚れちまったんですよ!陛下の為なら死んでも構わないって豪語したんスよ!」
「な、何言ってんすかパッパラの兄貴!!俺は臣下として忠義を尽くすって意味で言ったんスよ!!」
パッパラの冷やかしに、スカーズが顔を真っ赤にして反論する。私は私室に戻る気にもなれず、パッパラとスカーズについて行く事にした。
勝利の宴の会場は城の西側にある広場だった。兵士達の顔は傷だらけだったが、表情は誰しも明るかった。
今回の軍事演習での突然のウラフ軍団の襲来。我がタルニト軍二千の兵士達は奇跡的に死者を出さなかった。
その代わりに二千人の内、実に九割が負傷者と重症者となった。寡兵で大軍に立ち向かった勇気ある兵士達に、私は心から頭が下がる思いだった。
「女王陛下だ!!」
「戦場から一歩も退かなかった勇気ある陛下に敬礼!!」
「我々と共に戦場に在られた陛下に敬礼!」
私は兵士達から歓呼で迎えられた。違う。私は命令を下しただけよ。泥まみれになり、傷つき、それでもタルニトの為に身体を張ったのは貴方達よ。
沈んでいた私の心は、勇気ある兵士達の笑顔で少し救われた。今日この日。兵士達の笑い声は何時までも城に響いていた。
深夜になり、私室に戻った私は開かれた窓に人影があることに驚いた。人影は私に背中を向けながら、開かれた窓に腰掛けて外を見ていた。
「······ソレット?」
恐る恐る私はその背中に声をかける。窓に座っていた者は振り返り、小さく笑った。
「アーテリア。勝手に入って済まない。お別れを言いに来た」
ソレットはそう言うと、窓から立ち上がり、私の前に歩み寄る。
「謁見の場ではあんな態度を取って悪かった。君が女王だと知って動揺してしまったんだ」
生ける伝説の勇者が、頭を掻きながら困ったような顔をする。私はソレットのその表情を見て、涙が出そうになった。
「······怒っていないの?ソレット。私が女王だと明かさなかった事を」
「俺が君を勝手に侍女だと勘違いしただけだ。別に怒っていないよ」
ソレットは澄んだ瞳で私を見つめ、優しく微笑む。その笑顔に、私の胸は少しずつ苦しくなっていく。
「王都を出るには理由があるんだ。周辺諸国の権力者達に俺達の居場所を知られてね」
ソレットの話では、勇者達に自国に士官するよう、勧誘の訪問が後を絶たないと言う。落ち着いてクリスさんの治療をする為に、場所を変えるらしい。
「謁見の場でも言ったが、ナニエルや君には恩義がある。俺に出来る事があればいつでも言ってくれ。俺は力に······」
「やめて!」
私はソレットの言葉を遮った。駄目よ。絶対に駄目。ソレットの言葉に甘えたら、権力に染まった私の中のもう一人の自分がソレットを必ず利用しようとする。
こんな純粋な人を、小国の利益の為に利用するなんて絶対に駄目!私は拙い演技力を総動員し、能面のような表情を作る。
「いい加減に気づいたらどう?ソレット。私は最初から貴方を利用する為に近付いたのよ」
「······アーテリア?それはどう言う意味だ?」
私の冷たい声色に、ソレットは澄んだ瞳を歪ませる。
「ナニエルの治療を利用し、勇者である貴方と接点を持つ。貴方が私に好意を持つよう誘導し。恩を売りつけ。このタルニト国の利益になる為に働いて貰うつもりだったの」
「······アーテリア。それは本当なのか?」
ソレットの悲しそうな瞳を見て、私の心は折れそうになった。でも、私は寸前の所で踏み留まり演技を続行する。
「初心な勇者さんね。そんな事も分からなかったの?でも、それも貴方達が王都を出るならもう関係ないわ。利用出来ない相手に用は無いの。さようなら。初心な勇者さん」
私はそう言うと、表情をソレットに見られないように背中を向けた。夜風が開かれた窓から入り、カーテンを揺らす音が聞こえる。
「······分かった。でも、クリスを救ってくれた事実は変わりない。感謝するよアーテリア。そしてさようなら」
ソレットが窓に向かって進む足音が聞こえた。その足音一つ一つが、私の胸を押し潰すように響いた。
「······最後に聞かせてくれ。アーテリア。君はジャスミンが俺の幸せを願っていると言った。あの言葉も偽りか?」
「······そんな事を言ったかしら?悪いけど覚えてないわ」
······ソレットからの返答は無かった。カーテンが揺れる音だけが、部屋に一人残された私の耳にいつまでも聞こえていた。




