絶望下の救出行
「······そんな命令は出せません。ライツ隊長。それは貴方達に死ねと言っているのと同義です」
ウラフ軍団が迫る緊迫した最中、ライツ隊長は微塵も冷静さを失っていなかった。
「これは困りましたな。女王陛下。私は本音を言うと早く逃げたいのです。ですが味方を助けない事には女王陛下は動かれない。では早急に味方を助け出し、女王陛下共々一緒に退避したいのです」
ライツ隊長は立ち上がり、部下達の元へ歩いて行く。宮廷魔術師達は一人として逃げ出さず、私の前で跪いていた。
「女王陛下。ライツ以下宮廷魔術師二十名。これよりパッパラ大将達の救出に向かいます」
私は深呼吸し、血の滲むような思いで声を必死に絞り出す。
「······お願いします。一人でも多くの兵達を助けて」
私の小さな声に、ライツ隊長は笑みを浮かべ、颯爽と立ち上がる。
「先ずは袋小路のパッパラ大将達から救出するぞ!!これからは時間との戦いだ!!」
ライツ隊長が部下達に命じ、宮廷魔術士達は飛び立った。腕の良い魔法使いでも、一度で風の呪文で運べる人数は三、四人だ。
一体、宮廷魔術士達は何往復すればタルニト兵二千を運びきれるのか。その間にもウラフ軍団の白刃が迫っている。
それは、余りにも絶望的な救出行だった。
「申し上げます!!西より新たな軍勢が現れました!その数二万!!あ、あの戦旗は、サラント軍、ハッパス大将の物です!!」
突然の報告に、このノルーンの野は二度激変した。私はロイランを見る。ロイランは信じられないと言った様子だ。
「······まさか。ハッパス大将はウラフ軍団の襲来を予見して別兵力を準備していたと?し
、信じられません。そんな事が何故知り得たのでしょう?」
ハッパス大将の恐ろしさを間近で感じたロイランは、汗を流しながらサラント軍大将を畏怖していた。
「ロイラン様の言う通り、ハッパス大将は何らかの方法でウラフ軍団の事を察知した。ハッパス大将はこの軍事演習を利用してウラフ軍団の殲滅を意図したのではないでしょうか?」
ルルラが不安そうな表情で推測を語る。何らかの方法?ハッパス大将はどこでウラフ軍団の襲来を予測出来たのか?
私は蒼白な顔でメフィスに振り返った。ハッパス大将にウラフの情報を流したのはメフィス!?
「噂です。女王陛下。ウラフもハッパス大将も、噂を耳にしたに過ぎません」
メフィスの返答に私は確信した。間違いないわ。ハッパス大将に情報を漏らしたのはメフィスだ。
メフィスは大方、ハッパス大将とウラフ軍団をぶつけ合い、共倒れを図ったのだろう。なんて男だ。なんて冷酷な事を考えるのか。
「ハッパス大将率いる二万とウラフ軍団八千が戦闘を開始しました!!」
私はすぐさま望遠鏡を除き込み、見える範囲での戦況を伺った。メフィスの意図はどうあれ、ハッパス大将の参戦は私達にとって救いの神だった。
ノルーンの野に散らばった三カ国の非武装の兵士達はこれで助かる。後は「双子の蛇」の袋小路に残ったパッパラ達五百人の兵士達だ。
そこに救出に向かった宮廷魔術士達が、兵士達を伴って私達の元へ帰還する。宮廷魔術士達は休む間もなく再び袋小路へ飛び立つ。
帰還した兵士達の話によると、パッパラとスカーズは自分達の番は最後でいいと助けを拒否したらしい。
パッパラとスカーズの判断は、指揮者として立派な物だったが、私は馬鹿正直者達めと心の中で非難した。
ウラフ軍団が「双子の蛇」の蛇行した細い道を進み、刻一刻とパッパラ達が残る袋小路に近づく。
その間にも宮廷魔術士達は次々と兵士達を救出して連れてくる。魔術士達の表情に、疲労が色濃く出るようになった。
無理もない。軍事演習の間もずっと状況報告の為に空と地上を往復していたのだ。一人の魔術士が着地と同時に倒れ込んだ。
私はもう限界と判断した魔術士には、再度の飛行を禁じた。一人。また一人と飛行を禁じられた魔術士達が増えていく。
経過する時間が、私には無限のように感じられた。二十人の宮廷魔術士達は体力の限界を極め、状況報告以外の飛行を禁じた。
ただ一人、ライツ隊長だけが最後の往復から帰還してきた。タルニト軍五百人の兵士達は見事無事に帰って来た。
ライツ隊長は最後まで残っていたパッパラとスカーズを連れて帰ってくる筈だった。だが、私はライツ隊長が連れて来た相手を見て愕然とした。
それは、モーリフ中将とガリツア中将だった。絶句する私に、ライツ隊長が息を切らした声で詫びる。
「申し訳ございません。女王陛下。パッパラ大将とスカーズ中将は全ての兵達の撤兵が完了するまで最後まで残る。そう仰っていました」
······最後まで残る?確かに袋小路にはサラント軍とセンブルク軍の兵士達がまだ多数残っている。
けど、それは他国の兵士達だ。何故パッパラとスカーズは両大国の兵士達の為に命を危険に晒すのか?
「······あの馬鹿共っ!!」
私は女王としての立場を忘れ、感情的な叫び声を発した。軍事演習が始まる前の、パッパラ言葉が甦る。
自分に何かあったら、飼い猫の世話を頼むと。その言葉が、何か暗示めいていた事に私は不安になった。
その時、私の視界の端に再び飛び立とうとしたライツ隊長の姿が映った。
「ライツ隊長!貴方はもう限界です!飛行する事を禁じます」
私の声に、ライツ隊長は涼しい顔で微笑んだ。
「女王陛下。後一度だけ飛ぶ事をお許し下さい。今度こそパッパラ大将とスカーズ中将を無理にでも連れて来て見せます」
私はこの時判断に迷った。限界のライツ隊長を飛行させ、一か八かの博打に賭けるか。女王として正しい判断は何なのか?
「······あの馬鹿正直者が」
迷う私の耳に、メフィスの小声が聞こえた。それは、メフィスがパッパラを罵った言葉だった。
もしかしてメフィスは、パッパラ達を救出する所まで計算していたのだろうか?もう頭の中はぐちゃぐちゃになっていた。
「······ライツ隊長。パッパラとスカーズを助けて下さい。お願いします」
私の口から自然と溢れたのは、馬鹿な二人を助ける為にライツ隊長を死地に送る命令だった。
「女王陛下。もし私が戻る事が叶わない時は
、王都の妻にお伝え下さい。年に一度、命日に墓に十年物の赤ワインをかけてくれと」
ライツ隊長は不敵に思える程の笑顔ではっきりとそう言った。
「······御免こうむるわ。ライツ隊長。妻に何か伝えたいのなら、自分の口で言いなさい」
「······最もですな。では女王陛下。行って参ります」
ライツ隊長は笑顔でそう言い残し、死地に飛び立った。その瞬間、凶報が私達にもたらされる。
「申し上げます!ウラフ軍団が「蛇の道」の袋小路に間もなく達します!!」
私は両足に力が入らなくなった。完全武装のウラフ軍団七千が、丸腰のパッパラ達に襲いかかろうとしている。
正にその場所に、ライツ隊長が飛び込んで行った。私の心は絶望感に覆われて行った。もう少し、もう少しでいいから時間を頂戴!お願いだから!!
「お願いよっ!!」
私は涙を流しながら絶叫した。その時、再び報告が私の耳に届いた。
「申し上げます!袋小路に突入したウラフ軍団の先鋒が進軍を停止致しました!」
報告は次々と飛び込んで来た。
「申し上げます!ウラフ軍団の先鋒は爆裂の呪文を受け停止した模様です!さ、三人の冒険者と思われる者達がウラフ軍団の前に立ちはだかっています!!」
三人の冒険者と聞いて、私の頭の中は真っ白になる。まさかと言う考えが私の脳裏に過った。
「申し上げます!三人の冒険者は一人は黒の魔法衣!一人は赤い鎧の戦士。一人は全身に青い鎧を身に着けています!!」
青い鎧と聞いて、私の心臓は胸から飛び出すかと思われる程躍動した。絶望的な死地に、勇者達が現れた事を私は知った。




