権力者の判断
「······何が可笑しいのメフィス宰相?この状況下に於いて、笑う要素が何処にあるのかしら」
この危機的な状況を冷笑するメフィスに対して、私は最早殺意に近い感情が溢れ睨みつけた。
「······いえ。これは失礼致しました。戦場とは予想外の事が起きる物ですな」
メフィスの言葉に、血の気が失せた表情のルルラが敏感に反応した。メフィスは明らかにルルラに対して揶揄をしていた。この事態が予測出来なかったのかと。
だがそれはお門違いの批判だ。今日この日。三カ国の軍事演習が集結した時に武装軍団が現れるなど、誰が予想出来るのか。
「それにしても、ウラフという首領は噂通り鼻が効く男ですな。我々の軍事演習を嗅ぎ付けるとは」
メフィスの乾いた声に、私は脳裏に何か引っ掛かったような気分になる。ウラフと言う男は獰猛で抜け目が無いと言う評判を聞いた事がある。
だが、幾らそんな男でも、三カ国の軍が集結している場所にノコノコと現れるだろうか?
三カ国合計に兵力も劣るウラフ軍団がなぜこのタイミングで現れたの?まるで勝利する事を確信しているかのようだ。
······まさかウラフ軍団は事前に知っていた?この軍事演習が武器を使用せず、兵士達が丸腰な事を?
だとしたら何故それを知っている?どうやってその情報を掴んだの?
······誰かがウラフに情報を流した?私はその考えに到達した瞬間、反射的にメフィスの顔を見た。
「······メフィス宰相。貴方まさか、ウラフにこの軍事演習の情報を流したの?」
私の言葉に、周囲の臣下達はざわつき始めた。一方的に被告人扱いされた宰相は、表情一つ変えず口を開く。
「女王陛下。私は噂を流しただけです。ウラフはその噂を信じ、このノルーンの地に現れた。それだけの事です」
被告人は悪びれす、堂々と自分の犯行を白日の元に晒した。噂程度でウラフが動く筈が無い。
ウラフが信用に足る情報をメフィスが流した。私はそう確信した。
「メフィス宰相!こんな大それた事をしでかして、ただで済むと思っているの!!」
自分の国の為に戦った兵士達を何だと思っているのか。私は感情的になり、ヒステリーに近い叫び声を上げた。
「いけませんな。女王陛下。王たる者は常に感情的になってはいけませぬ。感情に身を任せれば、国を誤った方向へ導きますぞ」
······その国を傾けようとしている張本人が、何をいけしゃあしゃあとほざいているのよ!!
私はメフィスに掴みかかる勢いで近づく。それを遮るように、ライツ隊長が私とメフィスの間に立った。
「······女王陛下。状況は差し迫っております。直ちに撤退命令を」
ライツ隊長の冷静な声に、私は少しだけ落ち着けた。そうだ。今はメフィス如きに時間を割いていられない。
我がタルニト軍の兵達は疲れ果て、しかも丸腰だ。完全武装のウラフ軍団に対抗出来る筈が無かった。
「直ぐに緊急退避のドラを鳴らして!」
私の命令は直ぐに実行された。緊急退避のドラ。それは不測の事態が発生した時の退避命令だ。
今回の軍事演習で設定された共通事項であり、このドラを聞けば三カ国の兵士達は退避してくれる筈だった。
「申し上げます!ウラフ軍団が兵力を二つに分けました。一つはノルーンの野に拡散した三カ国の兵士達に向かっており、も、もう一つは「双子の蛇」の入り口に侵入して行きます!!その数およそ八千!!」
私はその情報に驚愕した。何故ウラフが「双子の蛇」まで知っているのか?答えは簡単だった。
今日この日。我がタルニト軍の作戦行動を全て漏らさずウラフに伝えた者がいるからだ。私はもう怒気を隠さずメフィスを睨む。
「我がタルニト国の為です。女王陛下」
メフィスは乾いた声で平然と呟く。
「このままウラフ軍団はモーリフ中将とガリツア中将を討ち取るでしょう。サラントとセンブルクの兵士達も多くは同じ運命を辿ります。そうなれば、両大国は大きな人的損失を被る事になります。そして我が国の安全は五年は保証されるでしょう」
サラント軍とセンブルク軍に損害を与える為。メフィスは自分の犯行をもう隠そうとはしなかった。
······国の為?安全が保証される?では犠牲になる我が軍の兵士達はどうなるの?ウラフ軍団の手にかかる兵士達の命はどうなるの?
「パッパラやスカーズ達はどうなっても構わない。そう言う事ですか!!」
私の怒声に比例して、メフィスの態度は更に落ち着いていた。
「女王陛下。多数を救う為には少数を犠牲にしなくてはならない時が権力者にはあります。今がその時です。今回はいい教訓となるでしょう」
ライツ隊長が間に入っていなければ、私は間違い無くメフィスを殴っていただろう。メフィスの言った事は、ルルラからも聞いた。ロンティーヌの君主像にも書かれていた。
けど。だけども。私は少数を犠牲にするような権力者にはなりたくない。いえ、決してなるもんか!!
「アーテリア!い、言え女王陛下。ここは危険です!直ちに避難して下さい!」
近衛兵長のナニエルが珍しく叫ぶ。周囲の臣下達も同様の事を言い始めた。
「······パッパラやスカーズ。そして二千の兵士達が退却を完了する迄、私はここを一歩も動きません」
「ア、アーテリア!!」
私の宣言に、ナニエルが悲鳴の様な声を上げる。
「気をお確かに。女王陛下。貴方は安っぽい正義感の為に王の立場を軽んじるおつもりか?貴方を失った後、タルニト国がどうなるかお考えか?」
メフィスが厳しい目つきで私を非難する。私は冷徹宰相の言葉に耳を貸さない。
「上等よメフィス宰相。私の死因は愚かな正義感とタルニトの歴史書に記して頂戴。逃げたい者は止めないわ。好きになさい」
ここに、私とメフィスとの亀裂は決定的なものとなった。気づくと、私の目の前に立っていたライツ隊長が跪いていた。
「では女王陛下。我々宮廷魔術師隊に御命令下さい。パッパラ大将達の救出を」
ライツ隊長は変わらぬ冷静な声で、恐ろしい事を言い放った。宮廷魔術師達に風の呪文で「双子の蛇」の袋小路に飛んでもらい、パッパラ達タルニト軍兵士を救出する。
そこは、ウラフ軍団が迫る絶望的な死地だった。