積年の屈辱を拳に乗せて
刻一刻と雨の勢いは強くなっていく。雨音に対抗するように、軍事演習の開始のドラが鳴らされた。
サラント軍。センブルク軍。そしてパッパラ率いる我がタルニト軍が戦闘を開始する。
「女王陛下。雨でお身体が冷えます。テントの中へどうぞ」
慣れない軍服で動きにくそうなルルラが、心配そうに私に進言する。だが、私は微笑して首を横に振る。
「心配には及ばないわ。ルルラ。二千人の兵士達がこれから泥塗れになるのに、王である私が雨に濡れるのを嫌がる訳には行きません」
ルルラが一礼して引き下がると、黒いマントに身を包んだ長身の男が私の前に跪いた。
「では女王陛下。我々も行って参ります」
四十代に見える長身の男は、長髪と口元の髭を雨に濡らし低い声で私に呟く。
「ライツ宮廷魔術師隊長。よろしくお願いします」
その冷静沈着な仕事ぶりで宮廷内の女官から人気がある宮廷魔術師の隊長は、私の言葉に敬礼し、部下達と共に風の呪文で雨空に飛び立った。
ライツ以下宮廷魔術師達は、上空から戦況を私達に伝える役目を担ってくれる。それと合わせて、私は望遠鏡で戦場を凝視する。
四倍と五倍相手に戦う我々は、両軍を引きずり回す。やる事はその一点に絞られていた。否。他に選択肢などあり得なかった。
パッパラと私達は、このノルーンの野の地形を頭に叩き込んだ。それはもう、地図に穴か空くほどに見続けた。
ノルーンの野は森と言うには小さすぎる森林が無数に点在していた。それは空から俯瞰すると、迷路のような地形だった。
パッパラ以下二千の兵士達は、十日間の準備期間の間、この迷路の地形で訓練を重ねた。
その内に私達は気づいた。このノルーンの野は、北に移動すると大きな森に到達する。その森の入り口は二つ。
その二つ道の道は狭く、大軍が一気に侵入出来ない。二つの道は蛇行するようにくねり、やがて一つの出口に繋がる。
その繋がった出口は、森林に囲まれた広い袋小路のような場所だ。そこを、我が軍の最終決戦場に設定した。
私達はこの蛇の様にくねった二つの森の道を「双子の蛇」と名付けた。そして「双子の蛇」の出口の袋小路を「双子の蛇の頭」と命名した。
迷路のようなこのノルーンの野を最大限に利用し両軍を掻き回し兵力を分散させる。そして両軍の総大将。
すなわち、モーリフ中将とガリツア中将を「双子の蛇」に誘い込み「双子の蛇の頭」に到達させる。
「双子の蛇の頭」には、森にパッパラ率いる二百の精鋭が身を潜め、モーリフ中将とガリツア中将の兜の羽根に襲いかかる。
それが、私達タルニト軍の考え抜いた作戦行動だった。
「現実は机上で考えた物事通りには進みませんぞ」
メフィスがこの作戦に水をさしたが、私達には他の方法など無かった。私はルルラに訪ねた。
軍事演習が始まった際、サラントとセンブルクは最初どんな動きを見せるか。
「サラント軍とセンブルク軍は、阿吽の呼吸で我がタルニト軍を共同で攻撃してくると思われます。両軍にとって数に劣るタルニト軍は目障りな羽虫のような存在。その邪魔な羽虫を最初に排除し、サラントとセンブルクは互いに雌雄を決しようとするでしょう」
八千と一万に挟撃される!そんな事をされたら、我が軍はひとたまりもないわ!
「ですが女王陛下。両軍は互いの決戦の前に損害を嫌い、我が軍の相手を譲り合うでしょう。つまり戦いが始まった際、両軍は動かないと思われます」
サラントとセンブルクは動かない?と言う事は?
「我が軍は動かず居座った両軍に突撃します。少数の我が軍に油断しきった敵軍は、なす術なく大きな被害を受けるかと」
······このルルラの流れるような返答。もう私はルルラが何を言おうと驚かないと思っていたが、聞くたびにこの娘には驚かせられる。
「······ルルラ。サラントとセンブルク。最初に攻めるのはどちらがいいかしら?」
「はい。女王陛下。センブルクはサラントより兵力が少のうございます。サラントより損害を嫌がりより消極的なセンブルクがよろしいかと」
雨の中で始まった軍事演習は、当初から激変する事となった。我がタルニト軍は、迷わず全軍がセンブルク軍に突入した。
私は訓示の際、兵士達を煽るような言葉をかけた。たが、その必要は無かったかもしれない。
兵士達の戦意は元より高かった。長年両大国に良いように利用され、軽んじられた長年の恨みは、私が考えるより遥かに根深かった。
気楽な王女の身だった私は、その事について深く考えた事は無かった。仕方ない。その程度しか思った事は無い。
だが私は戦闘が始まると私の高揚は興奮に変わるまでにそう時間を必要としなかった。タルニト軍二千が雄叫びを上げながらセンブルク軍の前衛を蹴散らす。
急な軍事演習の準備。自国からこのノルーンの野までの強行軍。明らかにセンブルク軍の士気は低かった。
しかも少数のタルニト軍が先制攻撃を仕掛けてくるなど、夢にも思わなかっただろう。長年の恨みを戦意に乗せ叩きつける我が軍に、センブルク軍の前衛はたちまち崩壊して行く。
今回の軍事演習は武器の使用は禁じられている。許されている攻撃は盾か身体を相手にぶつける方法のみだ。
逆を言うと、身体ならどこを使っても良いという事だ。タルニト軍二千の兵士達は、センブルク軍兵士達を殴り、蹴り、体当たりをして倒していく。
······パッパラ!深追いは駄目よ!私は心の中で祈るように呟く。パッパラ率いる二千の兵士達が、センブルク軍中衛に達しようとした瞬間、我が軍は反転しセンブルク軍から離脱した。
よし!私は心の中で叫んだ。それは絶妙なタイミングだった。パッパラ達がこれ以上深追いすれば、態勢を立て直したセンブルク軍に反撃を受ける所だった。
センブルク軍から離脱したタルニト軍二千は、勢いそのままに今度はサラント軍に突っ込んで行く。
サラント軍前衛は、センブルク軍同様に大混乱に陥った。