頭の中のもう一人の自分
六月の半ばのよく晴れた日。私は村娘の服装に着替えて、モンブラ殿と一緒に城下町を歩いていた。
多忙な政務も空き時間が生まれ、私はその時間を迷わずクリスさんのお見舞いに使った。
『何を言っているのアーテリア?目的はソレットと仲を深める為でしょう?』
······私の頭の中で、もう一人の私が呟く。私はその言葉を振り払い無視する。駄目よ。
この声に意識を向けては駄目。
無視すればいい。気にしなければいいのよ。そうすれば、その内きっと聞こえなくなるわ。
「え?じゃあ、モンブラ殿は敢えて私の部屋の場所をソレットに教えたのですか?」
私の質問に、モンブラ殿は恐縮した様子でひたすら謝罪をする。近衛兵長のナニエルは、非番の日以外は城に寝泊まりしている。
そのナニエルの荷袋を城に届けに来たソレットに、モンブラ殿はナニエルでは無く、私の部屋を教えた。な、なんで?
「ソレット様と女王陛下が言葉を交わす機会を設けたかったのです」
母親から離れたよちよち歩きの幼児が足にぶつかりそうになり、モンブラ殿は両手で優しく幼児を支えながら真相を話す。
魔族の国々にある一つの国の王妃が、人間と魔族が共存していく道はないかと模索していると言う。
その王妃は、人間と魔族が共同で公共事業を行えば、自然とお互いを理解し合えると考えた。
ソレットはその王妃の考えに賛同し、各国の権力者にそれを勧めているらしい。
······人間と魔族の共存。なんて壮大な事を考える王妃なのかしら。私が留学していたカリフェースでは、人間と魔族が共存している。
それは、人間と魔族が共存している世界唯一の国と言っていい。でも、それはオルギス教と言う宗教が介在しているからだ。
共通の信仰の元なら、人間と魔族の共存は可能だ。でも、その王妃の考えは宗教を必要としない。本当の意味での共存だ。
一体その王妃はどんな人なのかしら?私はモンブラ殿に聞いてみた。
「西方の魔族の国。王妃は人間でリリーカと言うお名前だそうです」
モンブラ殿の返答に私は驚愕した。リ、リリーカ!?カリフェースの留学で知り合った私と同い年の娘!?
······そうだ。確かにリリーカは言っていたわ。人間と魔族が共存しているカリフェースに、その方法を学びに来たと。
リリーカは人間でありながら魔族の王に嫁いだ。なんて大胆な娘だと思っていたけど、そんな大きな事を考えていただなんて。
「そのリリーカ王妃のお考えを広めているソレット様に、是非女王陛下ともお話をして頂きたかったのです」
······なる程。このタルニト国にも、人間と魔族の共存を考えて欲しいと言う事か。人間と魔族は昔から争って来た。
二つの種族が共存すれば、確かに戦争など起きないかもしれない。すごくいい考えだ。でも、正直我が国はそんな事を考える余裕は無い。
敵は魔族では無く、同じ種族の人間なのだ。二つの大国に挟まれ、右往左往するしか無いこの現状では、とてもリリーカの思想に賛同する状況ではない。
『だから利用出来る物は何でも利用するのよ』
私は頭の中の言葉を無視した時、目的地の宿屋に到着した。部屋に入ると、ソレットが笑顔で出迎えてくれた。
その笑顔を見た瞬間、私の胸は激しく高鳴る。私と目が合った瞬間、何故かソレットは目を逸した。な、なんで?
とにかくソレットの明るい表情を見ると、クリスさんが快方に向かっている事が分かる。ベットに寝ているクリスさんは、時々意識が戻るようになったと言う。
「ナニエルの話によると、あと二ヶ月程で回復するらしい。本当にナニエルには感謝しかない」
ソレットは眠っているクリスさんを見つめながら安堵した声を出す。そうだ?ナニエルはどこかしら?もう帰ったのかな?
「一階の食堂で俺の仲間と昼食を摂っている。アーテリアとモンブラも一緒に行かないか?」
ソレットの誘いに、私とモンブラ殿は一階の食堂に降りて行く。ソレットの話では、仲間達はクリスさんの治療の方法を探す為に、各地を回っていたらしい。
丁度昼時のこの時間。食堂は混み合っていた。ソレットは迷う素振りを見せず、食堂の一番奥に歩いて行く。
「こっちだソレット!お前の分を勝手に注文しといたぞ!」
食堂の喧騒を遮るように、大きな声が私の耳に聴こえた。ソレットは右手を軽く上げ、その声の主に返答する。
「あと二人分追加だハリアス。クリスの命の恩人。ナニエルの友人達を連れて来たぞ」
ソレットの言葉に、ハリアスと呼ばれた黒い魔法衣を着た男は勢い良く立ち上がる。
「おおモンブラ!久方ぶりだな?」
ハリアスさんの言葉に、モンブラ殿も笑顔が溢れる。
「ハリアス様!それにゴント様も!ご無沙汰しております」
赤い鎧を着た長身の男が静かにモンブラ殿に応える。この人がゴントさんかな?
「······ん?その長髪の娘がアーテリアか!?ソレット!!」
ハリアスさんが両目を見開き私の名を叫ぶぶ。私は初対面の相手にいきなり名を呼ばれ動揺する。
私はこの時知る由も無かった。自分が生ける伝説の勇者に及ぼした、ささやかな影響に。




