白髪と清らかな心
私の目の前で、メフィスが信じられない変貌を遂げた。白髪一本無い黒髪が、老人のように真っ白になった。
「······メ、メフィス宰相。あ、貴方一体?」
咳が止まり、メフィスは細い息を吐き呼吸を整える。そして、ゆっくりと俯けた顔を上げた。
それは、私が知っているの宰相の顔では無かった。細く鋭すぎる両眼は大きく開き、表情から険が消えていた。
「······失礼致しました。女王陛下。驚かせて申し訳ありません。これは、私の持病の一つです」
じ、持病って、三つ感染している性病の事?そ、それよりもメフィスの声がおかしいわ!!
何時もの乾いた声じゃない!温かみがあって、それでいてとても爽やかな声だ。お、お前どうしたメフィス!?
「この発作が出ますと、私の髪は一時的に白髪になります。発作が治まりますと黒髪に戻るのですが」
メフィスはまるで「こんな恥ずかしい症状を女王陛下にお見せして情けなさで一杯です」的な表情だ。
「メ、メフィス宰相。本当に大丈夫なの?」
私は恐る恐る豹変した宰相に問いかける。
「はい。女王陛下。髪の色が変わるだけで、後は一切問題はごさません」
メフィスは爽やかな笑顔を私に見せた。い、いやいやいや!変わったの髪の毛だけじゃないから!
その柔らかい表情。その穏やかな声色。その丁寧な物言い。何から何までさっき迄のアンタとは別人だから!!
その時、私は既視感を覚えた。このメフィスの優しげな瞳。私はどこかで見たような気がした。
「女王陛下。私は関税関係の書類を作成致しますので失礼致します」
メフィスは笑顔を残して礼儀正しく去って行った。呆然とした私は、暫くその場に立ち尽くしていた。
緊急会議から三日後、外交大臣ロイランは軍事演習交渉の為に出立した。宮廷魔術士と共に風の呪文で飛び立つ際、ロイランは「お任せを」と笑顔を見せてくれた。
ロイランはサラント国。センブルク国を歴訪する。勿論私はサラントとの交渉が捗るよう、王子であるバフリアットに頼み込んだ。
バフリアットは「アーテリアの為なら」と自分の書簡をロイランに持たせてくれた。バフリアットはサラント国王である父親に送った手紙に「軍事演習は武装勢力を牽制する効果が期待出来る」と書いてくれたらしい。
そんなバフリアットに感謝はしたが、心はときめなかった。私は既にこの頃から、バフリアットは国益の為に利用する対象でしかなかった。
······少し前まで夢中になっていたバフリアットを見る自分の心が、恐ろしく冷めている事に私は気付いていた。
以前メフィスに言われた「権力の沼」と言う言葉を思い出したが、私は深く考えなかった。
健気に。そして前向きに失恋を忘れようとしているだけ。私はそう思う事にした。ロイランが外遊中に、私とパッパラは軍事演習の場所を幾つかの候補から絞った。
そして、その軍事演習の候補地からその報はもたらされた。
「······レドカ公爵とホワツ公爵が私兵を用いて衝突寸前ですって!?」
伝令の報告に私は驚いた。玉座の側で同じく話を聞いていた白髪のメフィス(まだ元に戻らない)が二人の公爵について説明する。
このタルニト国王宮には、二つの大きな派閥があった。小国故に外交は常に穏便に運び、他国との摩擦は極力避けようとする穏健派。
それを率いるのがホワツ公爵だ。それに対して、他国に弱腰な態度を取る事を良しとせず、必要なら武力の行使を厭わないと言う強硬派。
その派閥を率いているのがレドカ公爵。二つの派閥は以前から中が悪かったが、お父様である全国王が亡くなってからは、その間柄は険悪になっていったと言う。
「······恐れながら女王陛下。先月の砦の視察騒ぎがレドカ公爵を刺激した様です」
白髪メフィスが「いえ女王陛下。決して貴方の責任では無いんで」的な申し訳なさそうな瞳で私を見る。
先月私が、領内に駐留するサラント軍の砦にバフリアットと共に視察に行った件。その行為が、強硬派のレドカ公爵に「女王は我らの考えに賛同されている」と勘違いさせたらしい。
レドカ公爵はホワツ公爵に迫った。我らが派閥に属せよと。交渉は決裂し、両派閥は「ノルーンの野」と呼ばれる平野で私兵を動員し戦闘状態寸前との事だった。
わ、私の砦の視察がとんでも無い事を引き起こしたって事!?と、とにかく二人の公爵を止めないと!
「直ちに両公爵に使者を送り、王宮に出頭する様命じなさい。この命に従わないなら、私に反旗を翻したと判断すると付け加えて」
私は平静を装い使者に指示する。
「ハッ!承知致しました!」
使者は直ぐ様ノルーンの野に赴いて行った。私は深くため息をつく。軍事演習の事で頭が一杯なのに、こんな問題が起きるなんて!
私は白髪メフィス(どうでもいいけど、いつ元に戻るのアンタ?)の後ろに控えていたモンブラ査察官に話しかける。
「お恥ずかしい所をお見せしました。モンブラ殿。カリフェースではこんな問題は起こらないでしょうね」
私の自嘲気味の言葉に、若き査察官は苦笑する。
「女王陛下。それは過大な評価です。どこ国にも派閥は存在しています。勿論カリフェースも同様です。頭の痛い所ですね」
モンブラ殿の言葉に、私は少し救われた気持ちになった。その時、新たな伝令が王宮に飛び込んで来た。
「申し上げます!ゆ、勇者ソレット一行が王都の宿に宿泊しているそうです!!」
衛兵の突然の報告に、私の思考は停止した。